高湯温泉の湯元の1軒、泉質抜群の希少湯を守り、包丁を握る老舗宿5代目の心意気
磐梯吾妻スカイラインの東入口、標高750m付近に湧出する高湯温泉は、かつて信夫 (しのぶ)高湯と呼ばれ、山形県の白布 (しらぶ) 高湯 (白布温泉)、最上 (もがみ) 高湯 (蔵王温泉) とともに“奥州三高湯”と称された名湯である。
その魅力は、毎分3258ℓもの自然湧出泉。
しかも自然流下で適温となる湯で、10施設すべてで源泉かけ流しを堅持しているところにある。
その湯元であるだけに、吾妻屋の風呂の充実度はすごい。
客室数10室に抑えているので、ほとんどの風呂が貸し切り状態で利用できる贅沢さは、まさに温泉三昧の宿だ。
しかし、老舗と湯を守る苦労は、凡人には計り知れないものがあるに違いない。
その湯守の生きざまに迫るインタビュー。
遠藤 淳一(えんどう じゅんいち) /福島県福島市、高湯温泉の老舗「吾妻屋」の長男として、1955年6月に生まれる。学生時代はスキーの名手として知られ、大回転や滑降を得意とし、県大会優勝、インターハイや国体出場の常連となるなど、スキー三昧の青春時代を送ったあと、老舗の5代目を継承した。福島県温泉協会長、「日本温泉協会」地熱対策特別委員会副委員長、「日本秘湯を守る会」温泉活性化委員長・みちのく支部長、高湯温泉観光協会長などを歴任。(2017年12月現在)
高湯温泉の受難の時代
飯出 遠藤さん、古地図みたいなのあるじゃないですか、すごい立派な。あれはいつ頃の絵?
遠藤 明治20何年かな。
飯出 あれだと吾妻屋さん、木造3階建てで、すごい立派ですよね。
遠藤 あれは鳥瞰図で、絵ですから。
飯出 あの頃が一番賑わっていたんですかね?高湯としては。
遠藤 あそこか、あの頃から復興したというか。高湯は一度、戊辰戦争で全部焼けて。その後、みんな戻ってきて建て直ししたわけ。
飯出 ほとんど丸焼けになっちゃった?
遠藤 そうそう。安達屋さんの蔵だけが残っているという。
飯出 あ〜、安達屋さんも燃えちゃったんだ。
遠藤 そう。戊辰戦争が終わり、復興が始まってあの絵図を描く前に、今度は三島通庸っていう米沢から来た県令が奥羽線の庭坂に高湯のお湯を引っ張っていっちゃった。そこに芝居小屋とか遊郭とかそういう接待と娯楽の場所を作って、高湯のお湯をほとんど引っ張り、取り上げたんですね。
飯出 そのときは、高湯はもう宿なかったんですか?
遠藤 お湯は1/3くらい残されて、そこでみんなで協力しながら細々と。
飯出 あ、宿はあったわけだ。
遠藤 宿はやってたんです。共同浴場小さいの作ったりして。で、昔は松の木管でここから8km以上引っ張ってるから。やっぱり途中で漏れたりしますよね。
飯出 それは何年頃の話?
遠藤 明治10何年です。で、5年くらい続いたのかな。農家の人たちが温泉が畑に回ってきてもう作物できないってことで、お湯もせいぜい50度のお湯ですから、それを途中こぼしながら引っ張ったら30度くらいのお湯になっちゃうし、それで5年くらいでやめて。そこから、高湯が新たに、お湯も戻ってきたし頑張ろうってことで絵図を描いて。まぁ、あの絵はパンフレットみたいなもんです。
飯出 へぇ。高湯は戊辰戦争で焼き払われて、三島通庸が来る前に、宿は何軒かは復興してたんですか?
遠藤 そうです。あの建物はほとんど出来てた。
飯出 あ〜、あの建物ほとんど出来てたんですか。
遠藤 はい。ほとんど原型で出来てた。
飯出 結構、みんな力はあったんですね。
遠藤 そうですね。
▲吾妻屋(左)、安達屋旅館(中央)、共同浴場あったか湯が建ち並ぶ高湯温泉の中心部。
遠藤家のルーツと「吾妻屋」
飯出 安達屋さんは17〜18代目でしょ?
遠藤 はい、と言ってますね。
飯出 一番古いのは安達屋さんなんでしょ?
遠藤 旅館としてはそういう文献あるんですけど、ただ安達屋系とうちの二子塚遠藤系と両説あるんですよね。安達屋さんの開湯より古い幕府へ納めた湯銭代の納入領収証みたいなのがうちにあるんです。ただ、ここで二つの伝説を言い合ってもしょうがないので、まぁちょうどいいから400年祭は安達屋さんの起源でやろうという。
飯出 遠藤さんの先祖っていうのは、どういう人なんですか?
遠藤 うちの先祖はもともと高湯にお金を貸して、下の部落で庄屋をやってたんですよ。
飯出 いわゆる資産家だった?
遠藤 そうですね。戊辰戦争で焼ける前に、うちの先祖の実家の方で高湯にお金貸して、でも焼けちゃったし返せとも言えない。そこのお金を貸していた宿に娘さんがいたんで、婿に入って高湯で商売しろと。吾妻屋の暖簾は前からあったんですけど、うちの代から始まったのはそこからなんですよ。
▲屋外には「風楽」(写真)と「山翠」の浴場棟があり、いずれも湯船は露天風呂。
飯出 それは戊辰戦争の後?
遠藤 戊辰戦争の後です。
飯出 吾妻屋の暖簾のところの娘さんと遠藤さんの祖先が結婚したんだ。
遠藤 まぁ、そうですね。前の暖簾の経営していた方は、もう山に行かないってことで暖簾を引き継いで。
飯出 高湯温泉が発見されたのは一応400年前っていわれてるんですよね?400年祭からもう10年も経っているから410年ですかね?
遠藤 そうです。
飯出 高湯のいまある源泉の4割くらいの権利を遠藤さんのところで持ってるんでしょ?
遠藤 そうですね。
飯出 高湯は今、源泉は何本あるんですか?
遠藤 9本です。
飯出 9本!主力はここの湯花沢とそこの滝の湯?
遠藤 そうですね。(下から見て)道路から右側は湯花沢の方、左側が滝の湯。
▲共同浴場あったか湯から50mの近さにある、高湯温泉の主力源泉「滝の湯源泉」。
飯出 玉子湯なんかは滝の湯の方が多い?
遠藤 そうです。左側は、玉子湯とひげの家とのんびり館、それに共同浴場のあったか湯しかないんですよ。
飯出 それが滝の湯の源泉を引いてるんですね。
遠藤 はい。右側は、うち、安達屋、高原荘、静心山荘、花月とか。
飯出 遠藤さんがここに入ってやることになったのは、遠藤さんにとって曾おじいさんくらい?
遠藤 いや、もっと上ですね。
飯出 もっと上?何代前くらい?
遠藤 私ここ来て5代目だから、もう曽祖父の上。
飯出 あ、そんなに?明治の始めでしょ?
遠藤 明治の始めです。140〜150年前ですからね。
▲ロビー。ショーケースには勝海舟、伊藤博文、江藤新平、斎藤茂吉らの書を展示。
スキー三昧だった青春時代
飯出 遠藤さんは長男?
遠藤 そうです。私一人。
飯出 一人息子なの!?
遠藤 8つくらい離れた姉がいたんですけど、私が小学校6年生くらいのときに山で亡くなったんです。
飯出 山で?事故で?
遠藤 事故で。まぁ、だから親も結構悲しい思いをしたんです。姉が20歳くらいのときです。
飯出 遭難したの?
遠藤 そうです。登山で。
飯出 そうなの…。で、遠藤少年は高校くらいまでは福島だった?
遠藤 そうです。大学は行かないで…。
飯出 なんか、ずっとスキーばっかりしてたんでしょ?
遠藤 そうです。当時は子どもに良い大学行かせようって温泉宿も多いでしょ?ところが、うちの親父は大学行ったってろくなもんになんねぇ、お前は大学行くなって言われて(笑)。
飯出 へぇ(笑)。
▲宿から100mほど離れた場所にある「山翠」の露天風呂。秋は広葉樹の紅葉が鮮やか。
遠藤 スキーやって、そこそこ良い成績残してて。スキーの強い大学からも5、6校は勧誘きてたんだけど。
飯出 インターハイとか出てたんですか?
遠藤 もちろん出てます。県の大会で優勝してますし、国体とか全日本スキー選手権も出ましたよ。スキーの顧問も随分うちの親父を説得したんですけど。
飯出 へぇ。高校のときからそんな大会出てたんですか。
遠藤 はい。で、親父に「わかった。大学行かないからスキーさせろ」って言って。
飯出 海外遠征もしたんですか?
遠藤 海外も行きましたけど。逆に大学行かなくて良かったのは、12月にいつもニセコに入るんですけど、渡り鳥みたいに日大とか同志社とか色々な大学を渡り歩いて。スキーで知り合い多かったから合宿に混ぜてもらったんですよね。
飯出 最もスキーが花形のウィンタースポーツだった時期ですよね。それで、いくつくらいまでそういう生活してたんですか?
遠藤 ずーっとやってましたね。
飯出 旅館を手伝いながらやってたってこと?
遠藤 そうです。夏場は旅館手伝いながら。だから、みんな大学卒業して仕事してても、俺に仕事しろって親父言えないんですよ。大学行かせないし。
飯出 ははは(笑)。
遠藤 今更、スキーやめて宿本気でやれ、とも言えないしねぇ。そんな感じでグズグズと(笑)。
▲冬の「山翠」は雪見の露天風呂が満喫できる。もっともお薦めしたいシーズンだ。
奥さんとのなれそめは
飯出 宿はいつから手伝ったんですか?
遠藤 高校出てからすぐ。だから、親父と一緒に湯の花取ったり、温泉のメンテナンスしたり。夏場は親父について歩いてたんで、別に教えてもらわなくても結構見てると覚えるもんで。ただ、スキーは延々とやってましたね。カミさんと見合いしたときも、スキー焼けで真っ黒に焼けて、逆さパンダですごい顔で(笑)。
飯出 ははは。お見合いだったんですか?恋愛でしょ?
遠藤 いや、お見合いですよ。
飯出 下の保育園で保母さんやってたのを拉致したっていう話じゃなかった?(笑)
遠藤 え〜と、小学校の下に幼稚園が併設されているところが職場で。そこに、玉子湯の娘さんが幼稚園の生徒で入ってきたの。
飯出 へぇ〜、それで?(笑)
遠藤 で、玉子湯の今の社長が。俺もその頃、30歳過ぎてたから。その頃はスキーは現役やめてたんですけど、相変わらず夏になるとニュージーランド行くとか、国体とか出て。そんなんで、スキーばっかやってたんですよ。
飯出 で、そろそろ身を固めろと?
遠藤 うるさかったんですよ。玉子湯の社長も。で、庭塚幼稚園というところで、うちの親戚の子もけっこう行ってて。これでも俺、けっこうウケ良かったみたいなんですよね(笑)。
飯出 スキーでは地元のヒーローみたいですしね。まぁ、言ってみればそこは遠藤家のルーツのところですよね?
遠藤 そうですね。うるさいから一回会えば良いだろうっていう。あっちもうるさいからということで。その気なかったみたいですよ。それで、仏滅の日に (笑)、玉子湯さんでちょっと会ったんです。
飯出 それは、遠藤さんいくつのとき?
遠藤 31歳くらいのときですね。
飯出 奥さん(玲子さん)は?
遠藤 23歳です。
飯出 23歳!若い!
遠藤 カミさんの親父さんは40代で病気で亡くなったんですけど、半年ちょっと病院で面倒みたりして。休んだり、職場復帰したりという経緯があって。
飯出 奥さんは長女なんですか?
遠藤 そうです。
飯出 あの土湯峠近くの鷲倉温泉が実家でしたよね。最初に奥さんにお会いした時、あれ、この話し方どこかで聞いたことがあるなぁ、そうだ、鷲倉温泉の女将さんじゃん、と気づきました(笑)。いまの鷲倉温泉の社長さんは、一つ違いの弟さんでしょ?
遠藤 そうですね。あとちょっと離れた妹がいて3人姉弟です。
飯出 そのときは、もう鷲倉温泉はあったんですか?
遠藤 ありました。
飯出 奥さんは、鷲倉温泉から学校に通ったの?
遠藤 いえ、その山の下に家があって。冬は商売してなかったから。夏場もじいちゃんとばあちゃんが下にいて。
飯出 なるほど。で、一回会えば良いかって会って、そっれでどうしたんですか?会ったら、良いんじゃないって?(笑)
遠藤 ははは。俺はあんまりその気なかったんですけどねぇ(笑)。
飯出 えぇーっ、奥さんが遠藤さんに一目惚れしたわけ?
遠藤 いや、そんなことあるわけないですね(笑)。なんか、変わってる人だって思ったみたいですね。で、俺もその後、スキーに行ったりして。ちょっと間が空いたし、2〜3回飯食ったりしたんですけど、まぁそんなに合わないかなぁなんて思って。玉子湯さんに「あの話なかったことにしましょう」って言ったら怒られてねぇ(笑)。女将さんに「ここに座りなさい!」って言われて正座して。「あなた、今まで何回会ってるの、こんな早く結論出していいの!?」なんて、社長は黙って聞いてるんですけど。で、「そんなことは」って言って(笑)。
飯出 ははは、なるほど(笑)。
遠藤 いや〜、あの奥さんは強いですね。それから気持ちが変わって、人を信じることにして「はい!もう一回考えます!」って。俺、けっこう真面目なほうなんで(笑)。
飯出 で、お見合いしてから1年後くらいに結婚した?
遠藤 そうですね(笑)。
▲遠藤淳一・玲子夫妻と愛犬くるみちゃん。女将さんの笑顔と接客も人気宿の要因。
飯出 奥さんは旅館商売には抵抗なかったんでしょ?
遠藤 全く抵抗ないですね。小さいときから親が旅館やってるの見てたから。うちなんかより大きい旅館だし、夜中に仕事してるの見てるし。
飯出 鷲倉温泉は古いお宿なんですか?
遠藤 暖簾としては古いですよ。うちのカミさんのじいちゃんは結構遊び人で、酒飲みで、豪快な人だったらしい(笑)。
飯出 そんなおじいちゃんを見てるから、奥さんは遠藤さんに対して寛容なんですね?(笑)。
遠藤 そうそう(笑)。親父さんの家系は鉄砲撃ち (猟師) とかしている家系で、山師なんで。まぁ、深沢さん (山梨県奈良田温泉・白根館のご主人) のところみたいな感じですかね。
飯出 いやぁ、深沢さんも銃持たせたら人間変わりますからね。精悍な顔つきになって別人みたいになりますよね。遠藤さんは狩猟はやらないの?
遠藤 やらないですよ(笑)。
飯出 心優しい人はできないですよね(笑)。
遠藤 そうですね(笑)。あとはその家系じゃないと免許取るの難しいんですよ。親父が持ってれば大体大丈夫なんですけど。新たに取るのって、大変なんですよ。
飯出 お父さんは、まだご健在ですか?
遠藤 親父は死にました。震災の前の年に。お袋は去年に。
飯出 去年?
遠藤 はい。親父はお盆の8月15日。お袋は8月13日。本当に商売大変な時にね、もう勘弁してくれよってね(笑) 。でも、そればっかりはどうしようもないですからね。大変でした。
内風呂改装と湯の花のこと
飯出 今の内風呂をリニューアルしたのは一昨年(2015年)でしたっけ?モダンな造りになって。
遠藤 一昨年です。
飯出 造ったのは地元の工務店さんですか?
遠藤 そうです。あの桜の絵を描いたのは親方で、ここに絵を描くって言って。親方のお兄さんが同じ大工さんなんですけど、絵描いたりするんですよ。
▲桜の巨木が描かれた大胆な壁画が目を引く内湯。遊び心が随所に発揮されている。
飯出 あれ、大工さんが描いたんですか?
遠藤 なかなかの画家で。小さい絵を描く人は、迫力のある絵描けないんで。
飯出 絵もいいですけど、僕が一番感心したのはコロコロ。
▲浴室入口の引き戸を開ける際、円形板と文字がくるくる回る趣向の「コロコロ」。
遠藤 あ〜、あれはどこかの幼稚園で見て、大工さんがコロコロ良いなって言って。鶴の湯の佐藤さんに言わせると、コロコロよりも浴場棟の腰板の秋田杉が良いとか、見るとこ違うんですね。鶴の湯さんには随分相談しました。お風呂造る時に配湯はどうしたら良いですかとか。あの人無駄なこと言わないけど、湯面から溢れるような形で造りなさいとか。
飯出 ツボを心得てますね。
遠藤 はい。なので、その通りに(笑)。
飯出 この岩ちょっと大きいとか言わなかった?入る時、ジャマだなとか。写真撮るとき、けっこうジャマなんですが(笑)。
遠藤 言わなかった(笑)。
▲ 内湯には男女別と貸切風呂(写真)がある。いずれの湯船も適温の源泉かけ流し。
飯出 湯の花の工場というか小屋 あるじゃないですか?あれは昔からなんですか?
遠藤 そうです。明治時代から。
飯出 湯の花はどこで買えるんですか?
遠藤 今は、うちと花月でも売ってるし、玉子湯でも。高湯温泉だけで買えます。あとは通信販売です。
飯出 利益出るんですか?
遠藤 みんな温泉のカスで金儲けしてるって言うけど、俺は温泉の文化を一人で守っているという…(笑)。
飯出 まぁ、良い商売だなぁと思うけど、手間かかるでしょ?
遠藤 いやぁ、大変ですよ〜。取ってきて、溜めて、板につけて粉にして…。
飯出 あれは、湯を引っ張ってきているところに出るものを取ってるの?
遠藤 そうです。源泉を引く配管の中に湯の花つきますよね。それを掻き出して下に溜めるんですよ。それをすくって板につけて天日で乾燥させて、粉にして売るという。
飯出 それをやってるのは吾妻屋さんだけ?
遠藤 あんなの俺しかやんないですよ〜(笑)。 昔はみんなやってたんですよ。でも、みんなそんなのやってられないって。
飯出 はぁ。時間かかりますもんね。
遠藤 そうですよぉ。120g入れてね。包装して1個540円(笑)。
▲湯の花を採取する遠藤さん。温泉文化を伝えるための根気のいる地道な作業が続く。
後継者と料理について
飯出 高湯のお湯はものすごい恵まれてますよね。こんな温泉地はそうないですよ。
遠藤 私もいろんな温泉地行って、あぁうちは恵まれてるなと。でも、まぁ地球から湧いてる湯が個人の権利っていうのは、どうもおかしいとも思うんだけど(笑)。
飯出 あれは、発見者のものになるんですかね?
遠藤 わからないですね、もともとは…。
飯出 私有財産になったのは明治になってからですからねぇ。それまでは適当に共同でみんなで使ってたんでしょうしねぇ。で、遠藤さんとこは源泉として何本持ってるんですか?
遠藤 ほとんど共有なんですけど、高湯温泉の源泉9本のうち、うちは7ヵ所に絡んでるんですよ。例えば、うちの露天風呂とかに引いてる湯花沢3番源泉は、うちが2/3、安達屋さんが1/3とか。
▲「風楽」には男女別と貸切の風情漂う露天風呂がある。写真は女性用の露天風呂。
飯出 あ、なるほどねぇ。遠藤さん5代目でしょ。6代目はどうするんですか?
遠藤 いやぁ、俺も若い時そうだったのかもしれないけど、(息子に)日本語通じないですよね?(笑)。
飯出 息子さん、おいくつなんですか?
遠藤 今、28歳くらいかね。
飯出 遠藤さん、子どもは何人?
遠藤 男2人。
飯出 下は?
遠藤 下は県庁に。26歳です。
飯出 お兄ちゃん、今どうしてるんですか?
遠藤 一緒にお客さん迎えに行ったり、一緒に仕事してます。でも、まぁ朝は起きないし。でも人に言わせると俺の時はもっとひどかったみたいだね、お前よりよっぽど良いって言われるから(笑)。
飯出 ははは。
遠藤 俺の方が仕事してたと思うんだけどなぁ〜。
飯出 息子さん、お兄ちゃんはスキーとかそういうのはやらないの?
遠藤 やらない。
飯出 趣味は?
遠藤 趣味、何なんだろうねぇ。わかんない(笑)。
飯出 お兄ちゃん、名前何ていうんですか?
遠藤 聖士 (さとし)。下は慎也 (しんや)。良いお嫁さん紹介してくださいよ〜。山芳園とか、平山旅館とか、飯出さんが仲人したって聞いてますよぉ。
飯出 いや、あれは奇跡みたいなもんで(笑) 。あんなにうまく運ぶと思わなかったし。
遠藤 頭に入れておいてくださいよ(笑)。
飯出 はいはい。ところで、上のお兄ちゃん、大学は出したんですか?
遠藤 はい。札幌の音楽大学。
飯出 音大?今も音楽やってるんですか?
遠藤 う〜ん、暇な時やってるみたいですね。
飯出 大学を出て、すぐ戻ったんですか?
遠藤 そうですね。就職しろって言ったけど、なんか他の宿に修業に行く気もなくて。
飯出 28歳だったら、そろそろいいですよね。
遠藤 良い嫁さん見つけたら、床の間に飾って、何にもしなくていいよって言ってるんですけどね(笑)。
飯出 いないんですよね、なかなか旅館の若女将向きの良い女の子がね(笑)。 今、板前さん入れないで、料理は全部遠藤さんが自分で作ってるんでしょ?
遠藤 そうです。
飯出 えらいよねぇ。最初からそうなんですか?
遠藤 一時、玄関直す時とか、板前入れたことあるんですけど。もう一人でやって30年近いかな。
飯出 調理師免許なんか取って?
遠藤 20歳の時に取って。
飯出 遠藤さんが作ったとは思えないほど、良い料理が出てくるのでビックリするんですけど(笑)。女将さんも手伝うんですか?
遠藤 カミさんは忙しくて手伝う時間がなくてね。カミさんの方が料理知ってますよ。あとは仲居のおばちゃんが手伝ってくれてます。
飯出 じゃあ、遠藤さんが陣頭指揮取るしかないわけ?会議とかある場合は?
遠藤 仕込みだけやって、カミさんに盛り付け頼んだり。あとは、お客さん少なく抑えたり、前もってわかれば商売休んだりね。
▲遠藤さん作とはにわかに信じられない(笑)、洗練された料理が並ぶ夕食の一例。
地熱発電のこと
飯出 あと、地熱発電のこと聞かなきゃと思ってたんですけど、遠藤さんはどういう立場で運動されてるんですか?温泉協会として地熱に取り組んでるわけですか?
遠藤 そうです。福島県の温泉協会長だし、あと磐梯吾妻の地熱対策委員の委員長。
飯出 どういう活動されてるんですか?
遠藤 基本的には反対の立場です。地熱発電は、環境に良いとか、CO2削減とか、安定してると言ってますけど、これは全く嘘っぱちで、どんどん熱量落ちてくるし、環境にだって優しくないですから、みんなに正しいことを伝えています。あとは他の源泉に影響がありますから、一番はそこですね。温泉そのものがやられると減泉、減量したりして、既存の温泉が少なくなったりする悪影響が出ます。そこを一切隠して、国は進めるわけですから。
飯出 言ってみれば、国の方針や動きに対して反旗を翻してるわけじゃないですか。それに対して妨害とかないですか?
遠藤 ありますね。震災の後、地熱発電が注目された翌年に、吾妻・安達太良・磐梯山が注目された時に地熱対策委員長になって、まず半年くらいの間にすべてニュースとか出たんです。ワイドショーとかNHKだと7時とか9時のニュースに。いや、すごかったですよ、バッシングとか嫌がらせとか。夜中に電話きたり、変な手紙送られてきたり。ただ逆に、応援の方もきましたね。
飯出 なんとか福島県は止められて。
遠藤 磐梯山は現地調査が入ってますけど、吾妻や安達太良は全然話ないし。
飯出 調査は入ってるんですか?
遠藤 入ってないです。お断りしてるので。
飯出 福島県内で、地熱発電はどのくらいありましたっけ?
遠藤 西山、会津若松、柳津。バイナリは土湯で小さいもの始まりましたけどね。ただ、国策で動いてるんで、各地で議会決定もしてるので、「日本温泉協会」とか「日本秘湯を守る会」で地熱を止めることは無理なんですよ。そこで、候補になった地域が本気になって反対すれば、そこは止められる。
飯出 なるほど。
▲裏山にある湯花沢源泉の点検清掃が遠藤さんの日課。「湯守」の姿がそこにある。
遠藤 素晴らしいのは、この前の指宿温泉ですよね。9月にイタリアの世界初の地熱発電を見学に行ってる時、指宿の白水館の社長から連絡があって、大変なことが起こってるって。帰国して、すぐ指宿に飛んだんですけど。リコールとか百条委員会とか、反対派が動いてますから、そうすると止まるわけですよね。
飯出 指宿の反対の先頭に立っているのは、白水館の社長さん?
遠藤 そうです。
飯出 市とか県は推進なんですか?
遠藤 県は上がってきたものを承認するだけで、市長が推進なんです。結局、国から2億円の補助金もらってるんですよね。
飯出 補助金かぁ。原発だって薩摩川内市でいち早く再稼働しましたもんね。
遠藤 ただ、鹿児島の場合は、三反園さんっていう知事が反対派に回ってます。
飯出 でも、市長は言うこと聞かないじゃないですか。なんか事故が起こんないとわかんないっていう、日本人の特性がよく出てますよね。
遠藤 調べれば調べるほど、原発と同じ構図なんで、地熱発電が稼動して影響が出るのは30〜55年後なんですよ。(使った温泉水は) 地下に戻すって言ってますけど、地表に戻せないから地下に還元してるだけなんで。それはヒ素とか色々な有害な物質が含まれていて、河川とかに流出する可能性があるわけで…。
飯出 戻すというのは、地熱発電で出たものを地下に戻すということですか?
遠藤 蒸気とか熱水とか使い終わったものを地下に戻しますという、大規模なフィッシャー型の、地熱発電はそういうシステムなんです。
飯出 そうしたら、ちょっと話を聞かせてくれって要請があると、あちこち行かないといけないわけですね?
遠藤 まぁ、立場上ね。草津温泉の中沢ヴィレッジの会長と二人で。彼が委員長なので一緒に…。結構大変です。
飯出 それは日本温泉協会の中の地熱対策特別委員会としてですか?
遠藤 はい。福島県の方は止まってますから。
飯出 今、遠藤さんは福島県温泉協会の会長と、高湯温泉観光協会の会長をやってられて、旅館組合長はやめられたわけですか?
遠藤 そうです。2年前くらいですね。今は花月さんに引き継ぎました。
飯出 忙しすぎて、勇退されたんですね。まぁ、高湯温泉は観光協会長だけで良いですって。
遠藤 そうですね。あと。「日本秘湯を守る会」は、福島・山形・宮城のみちのく支部長(理事)、本部は温泉活性化の委員長を続投することになりました。
飯出 この間の「日本秘湯守る会」の総会で続投することになったんですね?
遠藤 そっちは頭下げて降ろしてほしいって本気でお願いしたんですけどね。もう何もかもできないですよ〜。でもまぁ、任期2年間はしょうがないですね(笑)。
…あとがき…
高湯温泉ほど、恵まれた温泉地もめずらしい。
毎分3258ℓもの自然湧出泉で、しかも自然流下で適温になるので、加水も加温も塩素消毒も必要がない。
それほど豊富な湯量なのに、使用するのは比較的小規模な湯宿9軒と共同浴場1ヵ所だけなので、すべての施設で正真正銘の源泉かけ流しが可能という贅沢さ。
高湯温泉は「温泉総選挙2017」で最高栄誉の環境大臣賞を獲得した。
受賞理由は「温泉地の活性化に向け、地域が一体となり、湯治場としての温泉地の雰囲気を残したまちづくりに取り組んでいるとともに、温泉の保護と適正利用の推進に尽力している点」が評価に値するというもの。
しかし、そこまで到達するには、その優れた湯を守る地道な努力が続けられていることを忘れるわけにはいかない。
筆者は高湯温泉を好きな温泉地のBEST3に挙げるが、その鮮烈な乳白色の湯もさることながら、華美と大型化の時代の波に流されず、自然湧出泉と自然環境を堅持してきた「湯守」の人たちに魅せられるからだ。
その先頭に立ってきたのが、長年、高湯温泉観光協会長や旅館組合長をも歴任してきた遠藤さんであることを知っている。
そして、訪ねるたびに、女将さんの満面の笑みとあの独特の語り方にも惹かれる。
ちょっと口は悪いけど実は心優しい遠藤さん、どこまでもご主人を立てる姿がほほえましい女将さんにお会いするのが、高湯の湯と同じくらいに楽しみなんだと思う。
(公開日:2017年12月22日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー