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vol.1/乳頭温泉郷 鶴の湯温泉・佐藤 和志

江戸時代の湯治場風景と自然環境を守り続ける、秘湯のカリスマ湯守

鶴の湯温泉は今から約350年前の開湯、元禄14年 (1701) 開業と伝わる、乳頭温泉郷きっての古湯だ。
“カリスマ湯守”佐藤和志氏が、いまや“メジャーな秘湯”となった人気宿に育て上げた苦労話を、あますところなく語った3時間に及ぶロングインタビュー。

鶴の湯温泉・佐藤和志さん
佐藤 和志 (さとう かずし)鶴の湯温泉代表取締役会長。田沢湖・角館観光連盟会長、田沢湖観光協会会長、国土交通省「観光カリスマ」、「日本秘湯を守る会」会長を歴任 (2016年11月現在)。

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親父さんが乳頭に魅せられたわけ

飯出 佐藤さんは、たしか出身は鳥海山麓の矢島町の出身で、お父さんが最初に乳頭に来られたんでしたよね?

佐藤 そうです。

飯出 お父さん、お名前なんていいましたっけ?

佐藤 五郎です。13人兄弟の5番目。

飯出 なんか『北の国から』みたいですね(笑)。お父さんはどういうきっかけで乳頭に来られたんですか?温泉旅館をやりたかったの?

佐藤 話せば長くなりますよ(笑)。親父の感覚的には風呂屋なんです。じいさんが実家から町部に出て、製材所の隣に小さい宿と風呂屋をやったんです。処理に困ってた製材所から廃材をタダでもらうことにして、風呂屋をやったわけ。ところが、製材所も最初はタダでくれたんだけど、隣はそれで風呂屋をやって、金儲けしてるわけでしょ。

飯出 はぁ。面白くないと(笑)。

佐藤 で、途中で廃材はやらないと。ちょうど親父が小学3年生の頃ですね。それと、川で簗場(やなば)もやってたんで、兄貴とかもいるんだけども、学校から帰るとみんな梁場に行って、うちの親父だけが残されて風呂屋の番台をやってた。やっぱり小学生だから、番台さ座って、何十銭かたまると、あと番台空にして(笑)。

飯出 あぁ、遊びに行っちゃう?(笑)。

佐藤 集まった金持って、お菓子買ったり、友だちに分けたりして、子ども心に良い思いをした。やっぱり昭和の始めの頃はほとんど農家で、現金収入ってないでしょ。そんな時代に番台に座って黙っていても金が入るっていうのは、子ども心にも良い商売だという(笑)。

飯出 子ども心に、いい商売だと刷り込まれちゃったわけね(笑)。

佐藤 それが隣の製材所で廃材がもらえなくなって、風呂屋がやれなくなった。当時、宿屋と風呂屋をやってたから、色々と外の情報も入ってたと思うんです。よその町に行くと火を炊かなくてもいい、熱いお湯が出てる温泉ってのがあるらしい。湯治場みたいなの大きくやって商売して、それで儲けている人がいるっていうのを子ども心に聞いてるわけですね。鳥海山の周りには自然湧出の温泉ってないから、そんな温泉は知らないわけですね。

飯出 ははは、なるほど。

佐藤 財産がだんだんなくなって、うちの親父は兄弟の下のほうだからに金かけられなくなって。で、親父も最初は菓子屋、次に左官屋に奉公したんですね。独立して、当時は稀な看護婦やってたお袋と、当時は稀な恋愛結婚して、何年かして一緒になった。まあ、左官屋といっても、今の左官屋兼総合建設業みたいなもので、いろんな請負仕事を何でもやって。その後、ブロックが出始めの頃に、ブロック工場をやって、由利郡内や本荘で台所改善の仕事をやったんです。それが当たったんですよね。

飯出 ほぅ。事業家の先見の明があるわけだ。

佐藤 ある程度余裕出て、仕事は兄貴に全部譲って、盆栽をやってたんですけども、盆栽仲間で発電所の所長がいて、その所長が田沢湖に転勤になったんです。当時、軽トラがうちに3~4台あったもんだから、荷物運びを手伝いながら田沢湖に遊びに来たんですな。

温泉達人・飯出敏夫

 

乳頭では熱い湯がじゃんじゃん湧いてた

飯出 そこで、温かいお湯が出るとこ見つけちゃったわけだ(笑)。

佐藤 すごい温泉出ていて、使わないお湯もあるからもったいないもんだなぁと話をしてて。まぁそれはそれで、やるとは思ってなかったんですけども。発電所の出入りの業者がいて、駒ヶ岳の山小屋をブロックで造ることになってるけども、田沢湖にはブロックの工事やったことある業者がいなくて。

飯出 やんないか?と。

佐藤 自分は盆栽やってるもんだから、所長さんが「五郎さん、駒ヶ岳の山小屋やればハイマツでもシャクナゲでもよりどりみどりよ」って(笑)。

飯出 ははは。なるほど!盆栽にね。

佐藤 それで、やることしたんですね(笑)。それでちょうど二番目の兄貴が来て工事やったんですけども、12月雪降ってきて、正月くるのに支払いしてもらえない。12月の末に払うからって言われたもんで、たまたま温泉に興味あったもんだから、温泉に泊まって待ってたら、その土建屋さんが倒産寸前で社長が自殺未遂。結局、その仕事がチャラになっちゃったもんだから、親父は引くに引けない。その時、大釜温泉ってのが3年くらいやって採算取れなくて、お化け屋敷になってた。

飯出 ほったらかしになってた?

佐藤 夜逃げしたんですね。モノはいっぱいあったと思うんですけど、人住まないでそのままだからお化け屋敷になって屋根も落ちて。うちの親父が借金取りに来たときに、たまたま本荘の親父の同級生で、今でいう呉服のスーパーみたいなのをやっている人がいて、「田沢湖の乳頭というとこにお化け屋敷があって、源泉ボコボコ湧いてるのにもったいないなぁ」と話をしたら、「あぁ、それうちの社長権利持ってるよ」という話で。それで、親父は子どもの頃からそういうの興味あったもんだから、「佐藤さんやるんであれば貸すよ」って言われて。

飯出 風呂屋でいい思いをしたことを思い出しちゃったわけだ(笑)。

佐藤 ただ、軍資金はないので、銀行から借り入れすることで2~3人友だち集めてやることにして、銀行も出しますよというとこまできて。銀行もお金借りるとき、必ず電話を一回入れるんですよね。「融資の話ありますけども、間違いありませんか?」みたいな。そのときたまたま誰もいなくて、うちのお袋が電話に出て、「いやぁ、そういう話は一つも聞いてないので、今温泉やると言っても困るのでないことにしてください」って切っちゃったわけですよ(笑)。

飯出 へぇ。

佐藤 友だちは引いちゃったけども、親父にすれば何としてもやってみたいって。そしたら、たまたま発電所の所長が定年になって、「能代で家を建てたいので、五郎さんやってくれないか」と。で、矢島からブロック運んで、そのうちの材料の半分は温泉に運んで(笑)。

飯出 ははは。なるほど。

鶴の湯温泉・本陣
▲インタビューは、鶴の湯温泉の予約が取りにくい人気の本陣の一室で行われた。

 

帰郷して大釜温泉をやっていた頃

佐藤 大釜温泉に大工さんも入れて、兄貴が気づいたときには、温泉も引いてなんとか入れるところまでいっちゃったんです。それで、私は高校出て東京の製紙会社に就職していたんですけど、正月帰ってきたら、家の中がおかしいなぁと。親父に無断でそういうことをやられて、ブロック工場やったときの借金が返せなくなっちゃった。だから気がついて返済期限きたときに、現金がなかったっていう。「それで何とする?」という話で。兄貴は借金背負うのはイヤだから、実家売っても、自分は職人で食えるからみたいな話をしてたんだけど。私はやっぱ実家売っちゃえばあとみんなバラバラになっちゃうから、まず実家をそのままにしておいて、銀行に借り入れを延ばしてもらおうと。ただ、兄貴が温泉には手をかけられないというし、独身が私一人なので、しょうがない、じゃあ帰ってきて自分がやるかという(笑)。

飯出 それは何年頃の話?

佐藤 昭和44年です。

飯出 昭和44年ということは、21歳くらい?

佐藤 そうですね。昭和41年に就職ですから、ちょうど入社3年目になるころですね。

飯出 それで佐藤さんはしょうがなく、親父さんを手伝うことになったんですね?

佐藤 私も東京で就職したときに、暇あれば山に行ってたんです。一番最初に給料もらったとき、リュックサック買って、靴買って、それで山歩きを始めたんです。それで3年経って帰ってくるとき、まぁ旅館はやれないけども、山小屋に温泉付きであればやれるかなって。

飯出 あぁ、なるほどね。

佐藤 で、あの頃山小屋ってブームになってたんですよ。

飯出 大釜は結局、何年やったんですか?

佐藤 ちょうど10年ですね。

飯出 温泉付き、しかも露天風呂付きの山小屋風の宿というので、わりとお客さんもついて順調に行き始めた頃でしょ?

佐藤 いやぁ、最初5年くらいは塗炭の苦しみを味わいました。やっぱり乳頭には温泉が7軒あって、一番新顔なわけですよ。それで、湯治場でしょ、全部。お客さんが決まっちゃってるわけですよ。

鶴の湯温泉・本陣・かまくら
▲夜のかまくらとろうそくがなんとも幻想的。奥に見えるのが本陣。

 

それでも嫁いできた美人の奥さん

飯出 そのころに結婚したんですよね?

佐藤 こっち来て2年目に、親父から一人じゃまずいから結婚しろって言われて、たまたまうちのかみさんがアルバイトに来たことがあって。

飯出 大釜にアルバイトにきたの?

佐藤 うちに出入りしていた大工さんが、うちのかみさんの長女をもらってるんです。

飯出 あぁ、なるほど。その関係でアルバイトに来たんですね。

佐藤 かみさんの義理の兄貴が大工やってて、大釜修理するとき手伝ってもらって、私も手伝って板張りとかボード貼るのをやったんです。で、親父に結婚しなければダメだって言われて、じゃあ誰がという話になったときに、義理の兄貴がうちの妹が東京から帰ってきてまだ就職できてないんでアルバイトに寄こすか、みたいな話になって(笑)。

飯出 奥さん、どっかの名門ホテルに勤めていたって聞きましたけど?

佐藤 えぇ、箱根の富士屋ホテル。

飯出 そうそう、富士屋ホテルにいたんですよねぇ。でもまぁ、よく大釜にお嫁にきましたよねぇ。すごい不思議なんだけど(笑)。

佐藤 かなり覚悟決めて来たんじゃないですか(笑)。

飯出 そりゃ、そうとうな覚悟決めて来たでしょ~。相当美人だったし(笑)。

佐藤 いやぁぁぁ(笑)。

飯出 すごい驚かれませんでした?大釜に嫁に来るって。

佐藤 温泉でかなり磨かれたと思いますけどね(笑)。

飯出 ははは。それは、大釜が火災になる前でしょ?

佐藤 えぇ、火災になる前に、大釜に来て3年目に結婚したのかな。で、ちょうどその時、私がスキーで骨折して、びっこ引いてたんです。

飯出 え、結婚したときに?

佐藤 結婚したとき、かみさんがアルバイトに来たときギブスはめてて…。

飯出 看病してもらったわけ?(笑)

佐藤 片足で飛んだり跳ねたり転んだりしてるから、ギブスはずしたら曲がってくっついてしまってたんですよね。かみさんから片輪の人と結婚した覚えはないからって言われて(笑)、次の年に手術したんです。実は複雑骨折で、一回では出来ないからまず左右を治して、2回目に前後を治すってことで。

飯出 そりゃ、大手術ですねぇ。

佐藤 とにかく人がいないもんだから、手術も結構きついんですよね。辛い思いして。一回目はやったんですけど、普段なんともなければいいんでないのということで、次の年やらないで過ごしちゃったんですよね。で、今30年近くたって、痛み出したので整形行ったら変形したまますり減ってるから、手術してももとには戻れませんって。

飯出 あらまぁ、宣告されちゃったんだ。

佐藤 医者には死ぬまで仲良くするしかありませんねって。仲良くするの大変です(笑)。

飯出 大釜に来て3年目で結婚して、それで大釜を細々とやって…。

鶴の湯温泉・囲炉裏
▲インタビュー中、慣れた手つきで囲炉裏の炭をくべてくれる佐藤さん。

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