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vol.1/乳頭温泉郷 鶴の湯温泉・佐藤 和志

江戸時代の湯治場風景と自然環境を守り続ける、秘湯のカリスマ湯守

鶴の湯温泉は今から約350年前の開湯、元禄14年 (1701) 開業と伝わる、乳頭温泉郷きっての古湯だ。
“カリスマ湯守”佐藤和志氏が、いまや“メジャーな秘湯”となった人気宿に育て上げた苦労話を、あますところなく語った3時間に及ぶロングインタビュー。

鶴の湯温泉・佐藤和志さん
佐藤 和志 (さとう かずし) /「鶴の湯温泉」代表取締役会長。田沢湖・角館観光連盟会長、田沢湖観光協会会長、国土交通省「観光カリスマ」、「日本秘湯を守る会」顧問。

 


親父さんが乳頭に魅せられたわけ

飯出 佐藤さんは、たしか出身は鳥海山麓の矢島町の出身で、お父さんが最初に乳頭に来られたんでしたよね?

佐藤 そうです。

飯出 お父さん、お名前なんていいましたっけ?

佐藤 五郎です。13人兄弟の5番目。

飯出 なんか『北の国から』みたいですね(笑)。お父さんはどういうきっかけで乳頭に来られたんですか?温泉旅館をやりたかったの?

佐藤 話せば長くなりますよ(笑)。親父の感覚的には風呂屋なんです。じいさんが実家から町部に出て、製材所の隣に小さい宿と風呂屋をやったんです。処理に困ってた製材所から廃材をタダでもらうことにして、風呂屋をやったわけ。ところが、製材所も最初はタダでくれたんだけど、隣はそれで風呂屋をやって、金儲けしてるわけでしょ。

飯出 はぁ。面白くないと(笑)。

佐藤 で、途中で廃材はやらないと。ちょうど親父が小学3年生の頃ですね。それと、川で簗場(やなば)もやってたんで、兄貴とかもいるんだけども、学校から帰るとみんな梁場に行って、うちの親父だけが残されて風呂屋の番台をやってた。やっぱり小学生だから、番台さ座って、何十銭かたまると、あと番台空にして(笑)。

飯出 あぁ、遊びに行っちゃう?(笑)。

佐藤 集まった金持って、お菓子買ったり、友だちに分けたりして、子ども心に良い思いをした。やっぱり昭和の始めの頃はほとんど農家で、現金収入ってないでしょ。そんな時代に番台に座って黙っていても金が入るっていうのは、子ども心にも良い商売だという(笑)。

飯出 子ども心に、いい商売だと刷り込まれちゃったわけね(笑)。

佐藤 それが隣の製材所で廃材がもらえなくなって、風呂屋がやれなくなった。当時、宿屋と風呂屋をやってたから、色々と外の情報も入ってたと思うんです。よその町に行くと火を炊かなくてもいい、熱いお湯が出てる温泉ってのがあるらしい。湯治場みたいなの大きくやって商売して、それで儲けている人がいるっていうのを子ども心に聞いてるわけですね。鳥海山の周りには自然湧出の温泉ってないから、そんな温泉は知らないわけですね。

飯出 ははは、なるほど。

佐藤 財産がだんだんなくなって、うちの親父は兄弟の下のほうだからに金かけられなくなって。で、親父も最初は菓子屋、次に左官屋に奉公したんですね。独立して、当時は稀な看護婦やってたお袋と、当時は稀な恋愛結婚して、何年かして一緒になった。まあ、左官屋といっても、今の左官屋兼総合建設業みたいなもので、いろんな請負仕事を何でもやって。その後、ブロックが出始めの頃に、ブロック工場をやって、由利郡内や本荘で台所改善の仕事をやったんです。それが当たったんですよね。

飯出 ほぅ。事業家の先見の明があるわけだ。

佐藤 ある程度余裕出て、仕事は兄貴に全部譲って、盆栽をやってたんですけども、盆栽仲間で発電所の所長がいて、その所長が田沢湖に転勤になったんです。当時、軽トラがうちに3~4台あったもんだから、荷物運びを手伝いながら田沢湖に遊びに来たんですな。

温泉達人・飯出敏夫

 

乳頭では熱い湯がじゃんじゃん湧いてた

飯出 そこで、温かいお湯が出るとこ見つけちゃったわけだ(笑)。

佐藤 すごい温泉出ていて、使わないお湯もあるからもったいないもんだなぁと話をしてて。まぁそれはそれで、やるとは思ってなかったんですけども。発電所の出入りの業者がいて、駒ヶ岳の山小屋をブロックで造ることになってるけども、田沢湖にはブロックの工事やったことある業者がいなくて。

飯出 やんないか?と。

佐藤 自分は盆栽やってるもんだから、所長さんが「五郎さん、駒ヶ岳の山小屋やればハイマツでもシャクナゲでもよりどりみどりよ」って(笑)。

飯出 ははは。なるほど!盆栽にね。

佐藤 それで、やることしたんですね(笑)。それでちょうど二番目の兄貴が来て工事やったんですけども、12月雪降ってきて、正月くるのに支払いしてもらえない。12月の末に払うからって言われたもんで、たまたま温泉に興味あったもんだから、温泉に泊まって待ってたら、その土建屋さんが倒産寸前で社長が自殺未遂。結局、その仕事がチャラになっちゃったもんだから、親父は引くに引けない。その時、大釜温泉ってのが3年くらいやって採算取れなくて、お化け屋敷になってた。

飯出 ほったらかしになってた?

佐藤 夜逃げしたんですね。モノはいっぱいあったと思うんですけど、人住まないでそのままだからお化け屋敷になって屋根も落ちて。うちの親父が借金取りに来たときに、たまたま本荘の親父の同級生で、今でいう呉服のスーパーみたいなのをやっている人がいて、「田沢湖の乳頭というとこにお化け屋敷があって、源泉ボコボコ湧いてるのにもったいないなぁ」と話をしたら、「あぁ、それうちの社長権利持ってるよ」という話で。それで、親父は子どもの頃からそういうの興味あったもんだから、「佐藤さんやるんであれば貸すよ」って言われて。

飯出 風呂屋でいい思いをしたことを思い出しちゃったわけだ(笑)。

佐藤 ただ、軍資金はないので、銀行から借り入れすることで2~3人友だち集めてやることにして、銀行も出しますよというとこまできて。銀行もお金借りるとき、必ず電話を一回入れるんですよね。「融資の話ありますけども、間違いありませんか?」みたいな。そのときたまたま誰もいなくて、うちのお袋が電話に出て、「いやぁ、そういう話は一つも聞いてないので、今温泉やると言っても困るのでないことにしてください」って切っちゃったわけですよ(笑)。

飯出 へぇ。

佐藤 友だちは引いちゃったけども、親父にすれば何としてもやってみたいって。そしたら、たまたま発電所の所長が定年になって、「能代で家を建てたいので、五郎さんやってくれないか」と。で、矢島からブロック運んで、そのうちの材料の半分は温泉に運んで(笑)。

飯出 ははは。なるほど。

鶴の湯温泉・本陣
▲インタビューは、鶴の湯温泉の予約が取りにくい人気の本陣の一室で行われた。

 

帰郷して大釜温泉をやっていた頃

佐藤 大釜温泉に大工さんも入れて、兄貴が気づいたときには、温泉も引いてなんとか入れるところまでいっちゃったんです。それで、私は高校出て東京の製紙会社に就職していたんですけど、正月帰ってきたら、家の中がおかしいなぁと。親父に無断でそういうことをやられて、ブロック工場やったときの借金が返せなくなっちゃった。だから気がついて返済期限きたときに、現金がなかったっていう。「それで何とする?」という話で。兄貴は借金背負うのはイヤだから、実家売っても、自分は職人で食えるからみたいな話をしてたんだけど。私はやっぱ実家売っちゃえばあとみんなバラバラになっちゃうから、まず実家をそのままにしておいて、銀行に借り入れを延ばしてもらおうと。ただ、兄貴が温泉には手をかけられないというし、独身が私一人なので、しょうがない、じゃあ帰ってきて自分がやるかという(笑)。

飯出 それは何年頃の話?

佐藤 昭和44年です。

飯出 昭和44年ということは、21歳くらい?

佐藤 そうですね。昭和41年に就職ですから、ちょうど入社3年目になるころですね。

飯出 それで佐藤さんはしょうがなく、親父さんを手伝うことになったんですね?

佐藤 私も東京で就職したときに、暇あれば山に行ってたんです。一番最初に給料もらったとき、リュックサック買って、靴買って、それで山歩きを始めたんです。それで3年経って帰ってくるとき、まぁ旅館はやれないけども、山小屋に温泉付きであればやれるかなって。

飯出 あぁ、なるほどね。

佐藤 で、あの頃山小屋ってブームになってたんですよ。

飯出 大釜は結局、何年やったんですか?

佐藤 ちょうど10年ですね。

飯出 温泉付き、しかも露天風呂付きの山小屋風の宿というので、わりとお客さんもついて順調に行き始めた頃でしょ?

佐藤 いやぁ、最初5年くらいは塗炭の苦しみを味わいました。やっぱり乳頭には温泉が7軒あって、一番新顔なわけですよ。それで、湯治場でしょ、全部。お客さんが決まっちゃってるわけですよ。

鶴の湯温泉・本陣・かまくら
▲夜のかまくらとろうそくがなんとも幻想的。奥に見えるのが本陣。

 

それでも嫁いできた美人の奥さん

飯出 そのころに結婚したんですよね?

佐藤 こっち来て2年目に、親父から一人じゃまずいから結婚しろって言われて、たまたまうちのかみさんがアルバイトに来たことがあって。

飯出 大釜にアルバイトにきたの?

佐藤 うちに出入りしていた大工さんが、うちのかみさんの長女をもらってるんです。

飯出 あぁ、なるほど。その関係でアルバイトに来たんですね。

佐藤 かみさんの義理の兄貴が大工やってて、大釜修理するとき手伝ってもらって、私も手伝って板張りとかボード貼るのをやったんです。で、親父に結婚しなければダメだって言われて、じゃあ誰がという話になったときに、義理の兄貴がうちの妹が東京から帰ってきてまだ就職できてないんでアルバイトに寄こすか、みたいな話になって(笑)。

飯出 奥さん、どっかの名門ホテルに勤めていたって聞きましたけど?

佐藤 えぇ、箱根の富士屋ホテル。

飯出 そうそう、富士屋ホテルにいたんですよねぇ。でもまぁ、よく大釜にお嫁にきましたよねぇ。すごい不思議なんだけど(笑)。

佐藤 かなり覚悟決めて来たんじゃないですか(笑)。

飯出 そりゃ、そうとうな覚悟決めて来たでしょ~。相当美人だったし(笑)。

佐藤 いやぁぁぁ(笑)。

飯出 すごい驚かれませんでした?大釜に嫁に来るって。

佐藤 温泉でかなり磨かれたと思いますけどね(笑)。

飯出 ははは。それは、大釜が火災になる前でしょ?

佐藤 えぇ、火災になる前に、大釜に来て3年目に結婚したのかな。で、ちょうどその時、私がスキーで骨折して、びっこ引いてたんです。

飯出 え、結婚したときに?

佐藤 結婚したとき、かみさんがアルバイトに来たときギブスはめてて…。

飯出 看病してもらったわけ?(笑)

佐藤 片足で飛んだり跳ねたり転んだりしてるから、ギブスはずしたら曲がってくっついてしまってたんですよね。かみさんから片輪の人と結婚した覚えはないからって言われて(笑)、次の年に手術したんです。実は複雑骨折で、一回では出来ないからまず左右を治して、2回目に前後を治すってことで。

飯出 そりゃ、大手術ですねぇ。

佐藤 とにかく人がいないもんだから、手術も結構きついんですよね。辛い思いして。一回目はやったんですけど、普段なんともなければいいんでないのということで、次の年やらないで過ごしちゃったんですよね。で、今30年近くたって、痛み出したので整形行ったら変形したまますり減ってるから、手術してももとには戻れませんって。

飯出 あらまぁ、宣告されちゃったんだ。

佐藤 医者には死ぬまで仲良くするしかありませんねって。仲良くするの大変です(笑)。

飯出 大釜に来て3年目で結婚して、それで大釜を細々とやって…。

鶴の湯温泉・囲炉裏
▲インタビュー中、慣れた手つきで囲炉裏の炭をくべてくれる佐藤さん。

 

軌道に乗りかけたところで宿が全焼

佐藤 ところがお客さん来ないもんだから、その時「何とする?」と親父に不満をぶちまけたら、親父も覚悟決めて、大型免許取って中古のマイクロバス買って、由利郡内と本荘から送迎付きでお客さんを呼ぶことにしたんですね。20~30人集めれば迎えに来るから何とかっていう話で(笑)。当時、宿泊代5000~6000円だったんで、それを送迎込みで8500円。まぁ、本荘あたりの人はガンガン湧いてる温泉に入ったことがないのと、送り迎え付きで安いっていうのと、あと本荘から大釜温泉来るまでの間、角館の桜見とか、横手の雪祭りとか、大曲の花火とか、観光で寄れるわけ。そういうのを見せて、それが当たったんですな(笑)。

飯出 それで、なんとか一息つけたわけですね?

佐藤 3日と空けず、20~30人くらいの団体を入れて。で、しょうがないから私も大型免許取って、親戚のおじさんに頼んでマイクロバス3台用意して、1週間に3~4回入れ替えするくらい。で、それを見ていた田沢湖高原のホテル・旅館がマネするようになって(笑)。当時、全国的に送迎付きで誘客している宿が多かったんだけど、それを陸運局が問題視することになって。白ナンバーで何だっていう話に…。

飯出 それで、その方法もダメになっちゃったんですね。

佐藤 その頃ようやく全部補修して、窓も流行りのアルミサッシにして、ある意味最先端をやったんですよ。で、大学生の無理心中事件。放火で焼けたんですけど…。

飯出 それは10年目くらい?

佐藤 ちょうど10年目の12月29日。正月前だから、無理していろんなものありったけ仕入れて、正月終わればすぐ支払うからみたいな話で。その時に「火事だ!」って…。

飯出 その大学生は亡くなったんですか?

佐藤 二人は逃げて、隣の妙乃湯さんに避難してたって。その日からスキーの合宿で満杯だったんだけど、日中だったんでお客さんはスキー場に行ってたんです。ただ、建物はしょうがないからお客さんの荷物を出そうっていったときに、アルミサッシって簡単にガラスが割れなくて。しかたないから、外から石で窓ガラス割って、荷物を外に投げて出したんですけども、子どものリュックサックとか、半分以上は焼けちゃったんです。

飯出 はぁ。

佐藤 小中学生には申し訳なかったんですけれども。一般の人からもいいからって言ってもらったんです。まぁ、その方々とはその後もずっとお付き合いさせてもらってますね。

飯出 結局、全焼だったんですか?

佐藤 全焼ですね。で、廃校になった本荘の子吉中学校の建物を安く払い下げてもらえることになって…。

鶴の湯温泉・佐藤和志さん

 

突然の明け渡し宣告

飯出 で、ようやく再建したところで、持ち主から返してくれと?

佐藤 結局、直して出来たところを待ってたように、返してもらいたいって(笑)。

飯出 あぁ、新しく建てると建物が佐藤さんところのものになっちゃうからでしょ?

佐藤 そう、大家さんは分かってて、古い建物を修理するんであれば貸しますよ、という。で、大家さんは温泉からそんなに利益がなくても、本業の方が金融業とか、飲食店とかテナントいっぱい持ってるから。むしろ赤字の会社を持ってる方が節税になるし、温泉の権利を持ってると銀行から無条件で融資が受けられる、そんな時代だったんですね。

飯出 なるほどね。赤字でも温泉の権利が資産、担保にはなると。

佐藤 ええ、それで結局、火災保険も保証金もうちにはこなかったんですよ。

飯出 え~、そうなんですか。だって、保険入ったり、その保険金の掛け金は佐藤さんところで払ってきたんでしょ?

佐藤 うちで保険掛けてるけども、建物自体はうちの建物でないから、持ち主のところに全部行っちゃった(笑)。

飯出 はぁ~、そんなもんなんですか?

佐藤 それで建物はなんとしてもうちで建てるから、売ってほしいと交渉してたんですけどね。そしたら、売るのはダメだから返してくれと。まぁ、いまになってみれば、いい勉強をさせてもらいました。

飯出 それは、高い授業料でしたねぇ…。

 

捨てる神あれば、拾う神あり

佐藤 それで、にっちもさっちも行かなくなってたときに、文字どおり“鶴の一声”っていうか、ここのオーナーから声をかけられて…。

飯出 ようやく鶴の湯の話になりますね(笑)。佐藤さんはオーナーから声かけられてから、すんなり引き受けると決断できた?

佐藤 いやぁ、ダメでしたね。というのも、大釜は大家さんの名前借りて営業してたわけですよ。こっちやるときは親父も歳だから、お前の名前で手続きしろっていう。親父は表に一切出てこないんですよ。しょうがないから、私が一生懸命役所歩きして、書面揃えて行って、「譲ってもらうことになりましたので、名義変更お願いします」って言ったら、それも怒られたんですよね。「簡単に売った買ったではない」と。

飯出 はぁ~、そうなんですか。

佐藤 私、当時は20歳なんぼでしょ。鶴の湯は乳頭で一番古い温泉ですし。でもオーナーはそれ分かってて「大丈夫ですよ。事情が落ち着けばたぶん認めてくれると思うから。だから2~3年私の名前でやってみたら?」と。

飯出 そりゃあ、太っ腹な話ですね。

佐藤 ここは昔は乳頭で一番というとこだったけども、休暇村造るために二車線幅の道路を造って舗装したもんだから、みんな向こうに行っちゃったわけですよ。こっちは寂れる一方で。来る途中、3ヵ所橋ありますけど、ちょうど町で架け替えしてたもんだから、その工事でお客さん来ないってこともあったわけです。だからますます拍車かかっちゃった。それで、オーナーが私に貸すって言ったときは…。

飯出 当時は傷んでいて、まるで“限界温泉”のようでしたよね。県道からはずれた場所だから余計に…。でも、その古い湯治場を引き受けてからの改装っていうのは、それはすごい大変だったでしょ?

佐藤 えぇ。ただ、大釜温泉も稼いでは修理、稼いでは修理でようやく10年でものになって。毎年、大工さん入れて、自分も大工さん手伝いながらやってたから、増改築なんて別に負担には感じなかったんですね。

飯出 それは、覚悟の上だったから?

佐藤 親父も建設業を何回もやってるから。

飯出 でもお父さんは、結局その途中っていうか、1年くらいで亡くなったんですよね?

佐藤 1年半くらいですね。

飯出 ですよねぇ。それはまだ大変なときだったでしょ?

佐藤 そうですね。

飯出 お客さんがまだ、わーっと来るようなそんなときじゃなかったですよね?

佐藤 やぁ、でも、親父亡くなってびっくりしたんですけども、本荘に大きい土建屋さんあるわけですよ。そこの土建屋さんに頼んで、廃校になった材料使って。うちの親父はヘルスセンターめざしてたんですよね。

飯出 ここで(笑)?

佐藤 えぇ(笑)。大きい座敷と舞台を造って、と。

飯出 じゃあ、昔の風呂屋のイメージがずっとあったんですね?(笑)

佐藤 親父の中では、例えば常磐ハワイアンセンターとか、ああいうところを見てきて、あの頃はそういうの全盛期だったから。だから、舞台やってカラオケもやるような、そういうのをイメージしてて。親父亡くなって、土建屋さんから親父から預かってるって図面見せられたけど、体育館みたいなのが描いてあった(笑)。

鶴の湯温泉・佐藤和志さん

 

鶴の湯再建、苦闘の日々

飯出 ここにきたときは、ひどい状態だったでしょ?

佐藤 屋根はトタンに蓋して、ロープで押さえてるような感じで…。

飯出 当時はこの建物と二号、三号あって。あとはなかったですよね?

佐藤 今の事務所の裏の建物はあった。

飯出 一号館ってやつ?

佐藤 えぇ。で、その前に内緒で、一号館の一番奥、一部屋足したんです。

飯出 フライングで造っちゃうの、得意だもんね(笑)。

佐藤 ここ国立公園内なんで、許可取ってやると半年かかるんですよ。あと、雪降っちゃうんですよね。こちらも必死なので…。

飯出 造っちゃって、あとで言っても許可されるもんなんですか?

佐藤 何回も始末書書きました。

飯出 あぁ、始末書(笑)。だって、本陣のトイレと洗面所だってそうでしょ?

佐藤 はい…(笑)。

飯出 でも、素晴らしいですよね。ここトイレと洗面所付けるだけで、すごいクオリティー上がりましたもんね。

佐藤 えぇ。

飯出 女性は特に嬉しいですよね。外国人のお客さんも「ワォ!」っていうらしいじゃないですか、トイレ見て。素晴らしいと思う。

佐藤 まぁ、この建物にウォシュレットだから。

飯出 まぁ、それはそうなんだけどね。それでもちゃんとした宿でも、ウォシュレットじゃないとこいっぱいあるから。

佐藤 今、ここは国の登録有形文化財になってるんです。私はほら色々分かるから、登録は無理だと言ったんですよ。でも、どういうわけか審査を通ってしまって、登録されちゃったんですよ。で、あとで、図面と現状とが違うことがわかって、森林管理事務所から怒られた、怒られた。国有林の中で、増改築するときは届け出なければダメなのに、なんだこれはっていう。

飯出 増改築したのは、そこのトイレ洗面所だけじゃなかったってことですか?

佐藤 今の事務所、売店の辺りを。というのは、屋根を修理するのに足場かけないとダメでしょ。でも、それやるよりは、庇出してその屋根でやれれば楽なので。まぁ、文化財になってなければそういう問題は出なかったんだけども、登録されたからあからさまになっちゃった(笑)。

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