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vol.7/奈良田温泉 白根館・深沢 守

南アルプスの懐深く、伝説の秘境に湧く“極上の美肌湯”を守る熱血の山人

かつて日本の秘境の代表のように語られた、早川渓谷深く切り込んだ早川町最奥の集落が奈良田である。
ダム建設で集落のほとんどが水没したが、そこに自然湧出していた湯を復活させたのが奈良田温泉で、温泉宿は白根館1軒。
ほかに別源泉を引く日帰り施設があるだけで、道は良くなったが、いまなお秘境の環境はそのままだ。
この温泉の泉質がまさに極上。
その湯に浸かった人は、そのなんとも名状しがたい肌に滑らかな湯の浴感の虜になるにちがいない。
そんな秘湯の宿を守る、狩猟の達人の極意に迫るインタビュー。

奈良田温泉白嶺館・深沢守

深沢 守(ふかさわ まもる)/山梨県早川町・奈良田温泉「白根館」館主。1949年、早川町奈良田で3人弟妹の長男として生まれる。高校卒業後、県職員や東京で会社員生活を数年送ったのち、20代半ばで帰郷し、家業を継ぐ。3男の父。南アルプス前衛の山々を愛犬とともに渉猟し、熊・猪・鹿を追うのを無上の喜びとし、根っからの山の民「山人 (やまんど)」を自称する、ジビエと山の幸と酒をこよなく愛する熱血漢。「日本源泉湯宿を守る会」会長、「日本秘湯を守る会」相談役、早川町商工会・観光協会の副会長などを歴任。(2018年6月現在)

 


女帝伝説を残す秘境の山里、奈良田とは?

飯出 もともと奈良田っていう村は、孝謙天皇 (第46代、在位749~758年) と関係あるんですか?

深沢 奈良時代の女帝、孝謙天皇が御勅使川 (みだいがわ) に沿って遡り、ここに行幸したという伝説が残っているんですよね。途中、土ノ小屋峠 (どのこやとうげ) っていうのがあるんですけど、その峠を越えてここに来たっていう伝説があるんです。

飯出 その峠を越えると奈良田にたどり着くんですか?

深沢 そうなんです。その御勅使川沿いには結構、孝謙天皇の伝説が残ってるんです。本当かどうかわかんないけど (笑)。

飯出 ははは。来るはずないと思いますけどねぇ (笑)。

温泉達人・飯出敏夫

深沢 奈良田の七不思議というのがあって、その中の1つに奈良田七段というのがあるんですよ。地形が、上から下まで七段だったんですね。それで、孝謙天皇がここに着いたときに、「奈良の都は七条なるが、この地は七段。ここも奈良だ」って言ったというんですね。

飯出 なるほど、それで奈良田 (笑)。

深沢 …という話になってます。

飯出 僕なんか覚えてるのは、教科書に載ってたと思うんですけど。焼畑農業の最後の村、それから独特の方言、民俗学の宝庫の秘境という…。

深沢 社会科だったかなぁ。私も高校の時ね、その授業がある日、先輩から奈良田のことが書いてあるっていうのを聞いて、みんなからからかわれるっていうのを、その日は覚悟して行きました(笑)。

飯出 資料によると、風俗、習慣、方言、固有の民謡も伝わっているんですね。

深沢 この民謡もね、「奈良田追分」っていうここの民謡があって、全国日本フォークダンス連盟とかいう組織でね、毎年全国から8曲選んでそれを普及する活動をやってるんですよ。それで今年 (2017年)、この「奈良田追分」が選ばれたんです。

飯出 へぇ、今年?

深沢 はい、今年。いろいろデータ出して、それで「奈良田追分」が選ばれたんで、今その準備をしてるんです。

飯出 それは、その民謡を継承している人がいるんですか?

深沢 いるんです。継承している人がいるところっていうのが選考の条件なんです。

 

伝説の秘境の村を一変させたダム建設

飯出 深沢さんは、その焼畑農業をまだやってるころには生まれてた?

深沢 はい、焼畑の経験はないですけど。

飯出 何年頃なんですか?

深沢 1955 (昭和30) 年頃ですね。1番最後の人がその頃に終わりにしたんですね。

飯出 それはこの辺なんですか?

深沢 この周りすべて。山に行くと、焼畑の跡も残ってますよ。みんな山に家族で入って、山小屋を作って、そこで寝泊まりしてたでしょ。

飯出 何を作ってたんですか?

深沢 色々ですよ。雑穀ですね。あわ、ひえとか小豆とか。蕎麦もね。今、集落があるところは全部みんな畑だったんで、ここでは野菜を作ったり。

飯出 それで、焼畑で作ってた雑穀は自分たちが食べるためでしょ?

深沢 そう、もう自給自足で、自分たちの食べる分だけ。焼畑ですから、そんな大量に収穫できないですよ。

飯出 で、もともとはこの奈良田はダムに沈む前までは、何戸くらいあったんですか?古い写真見ると、相当ありますよね。

深沢 正確な数は知らないですけど、たぶん70戸とか80戸くらい。

飯出 そのうちの大半が水没しちゃったんですか?

深沢 その大半っていうか、今残っている人は、ここにみんな移転したんですよね。

飯出 ここも移転なんですか?

深沢 えぇ、うちも移転です。この辺はぜーんぶ畑だったんです、昔はね。

飯出 なるほど。

深沢 今の道路より、集落はすべて下にあったんですよ。

飯出 じゃあ、ここに今ある集落の家は全部移転してきた?

深沢 全部移転してきました。お寺だけそのまま。もう、埋まっちゃったんでね、どうしようもない。1957 (昭和32) 年にこのダムが出来たんですよ。伊勢湾台風はその2年後。ダムの完成時には旅館が5~6軒できて、その当時は登山のお客さんも多かったですしね、今は少ないですけど。

奈良田温泉・白根館/外観
▲神社や民俗資料館、山岳写真館や日帰り入浴施設へ続く坂道から見た白根館 (中央)。

 

飯出 伊勢湾台風で被害にあったんですか?

深沢 えぇ、埋まっちゃったの、ほとんど。ほぼ壊滅状態。

飯出 ダムが埋まったってこと?

深沢 ダムも埋まったし、この奥に建設中の発電所も流されちゃった。

飯出 はぁ~。

深沢 そこら中の橋が流されて、大変な被害だったんです。

飯出 あっという間に、このダム湖も埋まっちゃったんですよね。

深沢 本当に一発ですね。もうダム造っちゃダメ、っていう見本みたいなもんで。以前はダムの建設反対運動している人たちが結構見学に来ましたよ。

飯出 このダムはもともと水力発電なんですか?

深沢 今でもやってます。これはこういう土砂が溜まる設計になってるんです。砂防ダムっていうことで。伊勢湾台風で被害受けたときは、これは県営のダムだから、県議会で相当問題になったらしいですよ。だけど、土砂をここで止めたでしょ、だからここは埋まっちゃったけど、そのおかげでここから下流は助かったって話ですよ(笑)。

飯出 そうですよね、構造的にはここでなんとかせき止めて、防波堤のような感じで。

深沢 そんなのありかなぁなんて(笑)。で、水力発電はあの状態で機能しているんです。今、土砂取ってるんで少ないですけど、湖面を広げるため。土砂取り終わったら、ゲートしっかり締めると吊橋よりこっちまで水が溜まるように、地元でお願いして。吊橋の下が土砂じゃ、面白くもなんともないということで(笑)。

飯出 そうですよねぇ。今、ダムはこの早川水系でいくつあるんですか?

深沢 ダムですか。水力発電所は13。

飯出 13もあるんですか。

深沢 発電所の数だけはあるから、砂防ダムも入れたら数え切れないでしょうね。

飯出 その13の水力発電所で山梨県の電力は結構まかなっているんですかね?

深沢 まぁ、足りないでしょうけどね。

飯出 それで、ダムからの補助金が、町の財源の多くを占めてるわけでしょ?

深沢 そうですね。

飯出 それで、早川町は合併もせず単体で持ってるわけですね。

深沢 今回のリニアもそうですね。こっちには入らないけど(笑)。

 

ダム湖に沈む前、泉源は“洗濯池”と呼ばれていた

飯出 それで、まだダムに沈む前に、いわゆるお湯が湧いた場所はあったんでしょ?

深沢 集落の一番低いところに2ヵ所あったんですよ。

飯出 それは、洗濯池と呼ばれていたところ?

深沢 はい。その当時は夏でも結構ぬるい温泉だったんで、子供の頃、川で遊んだ後、飛び込んだりしてましたね。

飯出 お風呂ではなく、洗濯場として使ってた?

深沢 そう、それで通り名が洗濯池になっちゃったんですけど。当時、真冬は氷点下15~16度になったでしょ。水道の設備もない時代ですから、井戸はみんな凍っちゃうので、洗濯に一番困ったらしいんですよ。それで、みんなあったかい温泉が湧いているところに行って、みんなでワイワイバシャバシャ洗濯したもんで、通称洗濯池って名前になっちゃったという(笑)。

飯出 まぁ、30度そこそこの温度だったんでしょうね、きっと。それは自噴してた?

深沢 自噴してた。

飯出 それで時代が遡って、ダムが1957 (昭和32) 年にできて、全部埋まったわけじゃないですか。

深沢 ダムの設計の説明があったときに、そこがダムに沈む位置だったもんですから、そのとき私の親父とか、奈良田の人が何人かで組合みたいなの立ち上げて、その温泉もったいないからボーリングしようというということで、結構何本も掘ったようですよ。今では考えられないような細いパイプで、自分たちで掘って、5~6カ所掘ったようで、そのうちの1本が成功した。

飯出 それを元に、お宿を開業したということ?

深沢 そうですね。じゃあ誰がやるかっていうことで、うちの親父が手を挙げて。

飯出 あぁ、そういうことなんですね。白根館の開業は1962 (昭和37) 年ですよね。

深沢 あ、面白い写真があります。温泉が出たときの!

飯出 おぉ。

深沢 これ、こんな小さい風呂桶で。入ってるのが私の親父です。

奈良田温泉白根館/ボーリング成功記念写真

飯出 ヘぇ~。似てますねぇ、やっぱり。

深沢 昭和34年9月28日。

飯出 お父さんのお名前、なんておっしゃったんですか?

深沢 菊男です。それにしてもこの写真、若いですね。

飯出 いいですねぇ、この風呂!あったら、入りたい!(笑)

深沢 この風呂も木で全部作ったみたい。この辺の人はね、何でも自分で作ったんです。自給自足だから。鍛冶屋さんもいて、刃物でも農作業で使う道具でも全部自分で作った。今でもね、みんな何でもやりますよ。私もやるけど(笑)。

飯出 やらないと生きていけないんですよね。

深沢 そうなんですよ、ここは。

 

都会の生活になじめず、やむなく帰郷

飯出 深沢さん、何年生まれですか?

深沢 1949 (昭和24) 年1月24日。

飯出 じゃあ、僕とは1学年違うだけですね。で、深沢少年は、中学まではこっち?

深沢 はい、中学まで。

飯出 結構、子供いたでしょ?その頃。

深沢 いましたよ~、何人いたかな、西山地区だけで一つの学校ですから。小学校1年生の頃は、今公民館になっているところにあった、西山小学校の奈良田分校に通ってましたから。2年生までそこ行ったんですけど、3年生の途中から本校に合併になって、バスで通うようになったんです(笑)。

飯出 分校で何人くらいいたんですか?

深沢 う~ん、10人くらいいたんですかね。当時はダムの建設工事真っ最中でしょ、工事屋さんの子供も一緒だったから。

飯出 高校は?

深沢 高校から甲府に。この辺の人はみんなそうなんですよ。親戚にやっかいになったり、下宿したり。

飯出 深沢さんは?

深沢 うちは、親父が甲府に土地持ってたんですよ、そこに掘建小屋作って、私のおばあさん、曾ばあさんと一緒に甲府で暮らしてたんです。

飯出 それは、普通高校?

深沢 いや、工業高校です。甲府工業高校。

飯出 あ、甲府工業高校ってプロ野球選手いましたね?

深沢 いました。同級生です。同じ、深沢って言うのが3人いて、そのうちの1人が野球部ででっかいヤツで。

飯出 それで、工業高校で何を学んだんですか?

深沢 ただ、遊んでただけ(笑)。

飯出 ははは。何学科?

深沢 機械科です。当時は、結構そういうの好きで、車バラしたり、自転車やバイクとかバラしたりするのが好きで。

白嶺館深沢さんと温泉達人・飯出敏夫

飯出 それで、機械科を卒業してすぐ東京に出たんですよね?

深沢 いや、すぐじゃないですよ。勉強はできなかったから、大学は行かなくて、最初は目標も何もなかったのね、親の言いなりにやって公務員の試験を受けたんです。山梨県職員だったんですよ。

飯出 県の職員!?

深沢 はい、お恥ずかしながら。

飯出 それは何年いたんですか?

深沢 2~3年かな。もう、すぐ嫌になって辞めちゃった(笑)。

飯出 え、やんなっちゃったんですか?

深沢 もう、イヤだったですね~。ろくな仕事がないし、仕事しないで給料もらうのがすごくイヤでね。残業してないのに、その当時は残業手当とか出るんですよ。出張してないのに、出張手当とかどんどん。みんな嬉しいと思うんですが、俺あんまり嬉しくなかったですね(笑)。納得できる仕事がなかったんです。

飯出 どんな部署だったんですか?

深沢 土木にいたり、色々でしたね。で、すぐイヤになって、私のおじさんが会社起こすっていうんで、親父にも出資を頼まれて。それで私も手伝ってくれって頼まれたもんですから、俺そっちの方がずっといいやって(笑)。

飯出 それが、コンピューター扱ってたんですか?

深沢 そう。今、でっかくなって一部上場ですからね。アイエスビーって会社です。

飯出 ヘぇ~。じゃあ、今そこに残ってれば取締役とか?

深沢 どうかな(笑)。今、そこの社長は従兄弟がやってるんですよ。始めたとき、4人だったからね、すごいですよ。

飯出 なるほど。場所はどこにあったんですか?

深沢 東京ですよ。五反田です。

飯出 そこで、手伝うことになったのは20歳くらいですよね?

深沢 そうですね。25歳までそこで働きました。長男が産まれて、都会もやっぱり合わなくて帰ってきたんです。

飯出 あ、そんなに早く結婚したんですか。奥さん (友規子さん)、どこで見つけたんですか?

深沢 横浜で(笑)。

飯出 横浜? ナンパしたの?(笑)

深沢 いやいや、職場で一緒だったんです。色々な会社に出向に行くんですよ。

飯出 あ、出向先で。で、すぐ手を出して、子供作って(笑)。

深沢 ははは。今でもまだ言うもんね、騙されたって。

飯出 今でも言いますよね。冗談半分に(笑)。

深沢 こんな山奥に連れてこられてって、今だに言われる(笑)。

飯出 で、25歳で父親になって、東京で所帯持ったわけでしょ?

深沢 はい。最初はね。横浜に住んでました。もう、田舎もんだからね~、混雑がイヤなんですよね。切符買うのに、並ぶのがイヤで、すごいストレスでね。自由に山歩くんでないと(笑)。

飯出 とてもよくわかります(笑)。

深沢 会社行くのも、時間ずらして行ってました。ラッシュは避けて、10時くらいの出勤で、帰りは遅くに。

飯出 戻るっていう気持ちは、もう高校行ったときからあったんですか?

深沢 いや、都会行ってみて、田舎の方がいいなって思うようになりましたね。

飯出 長男だからいずれ継ぐんだろうな、っていう気持ちはありました?

深沢 それは、もちろんあったんですけどね。

 

登山客の宿から観光客向けの宿に

飯出 本館を1986 (昭和61) 年に建て替え、1991 (平成3) 年に新館を新築されたんですよね?

深沢 そうですね。本館の1年前にお風呂の浴棟だけ別に建てましたね。

飯出 で、その頃はまだボーリングしたお湯を使ってた?

深沢 そう。

飯出 で、もう一つ掘ったのはちょっとぬるいから?

深沢 ぬるいからじゃなくて、ダムが出来てからメンテナンスが大変で。仕方なく、掘ったんです。今は、新しく掘った方のみ使用しています。

飯出 僕が前に来たとき、温泉分析書見ると、頭に含硫黄ってついてないんですよ。

深沢 そうそう、古いのはそうです。

飯出 前は、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。新しいのは含硫黄-ナトリウム-塩化物泉。

深沢 そうです。少し、成分が違います。ツルツル感は同じようなんですけど。


▲脱衣所に掲示された温泉の情報開示板。実に詳しく、湯に対する自信が窺える。

 

飯出 深沢さんがここに引っ越してきたときは、まだ「日本秘湯を守る会」には入ってなかったんですか?

深沢 まだ入ってなかったですね。お客さんになんで入んないのって言われて、入ったんですよ。それまで、会のことは全然知らなかったです。

飯出 その入会する前は、登山のお客さんが中心だった?

深沢 そうですね。最初、改築する前はそうだったですね。改築してからは、旅館一本でやろうっていうんで。

飯出 旅館一本でやる前は何やってたんですか?

深沢 夏はすごかったんですよ。もう、登山のお客さんいっぱい来るでしょ。行楽シーズンはね。それ以外は、シイタケ植えたり、山仕事やったり、なんでもござれで。

 

山人の血が騒ぐ狩猟こそが天職!?

飯出 深沢さん、親父さんも猟やってたんですか?

深沢 あぁ、もちろん。中学生くらいのときから、もう親父について行って内緒で鉄砲撃たしてもらってた (笑)。もう、時効だからいいけどね。

飯出 ははは。やっぱり。猟しているときは一番血が躍るというか、たぎるって感じなんでしょ?

深沢 たぎりますねぇ。

飯出 猟に出ると、表情からして精悍さが違いますよね。前、一度猟をされているときに来て、同じ深沢さんかと思うくらい精悍な感じがした。

深沢 気合いが入るからね。

飯出 気合いと、山人 (やまんど) の血がたぎるんだろうなぁと思って。だって、普通の登山みたいな山道歩くのはゼーゼーいうけど、猟のときは走ってるって話じゃないですか (笑)。

深沢 俺は自分では速いと思ってないんだけど、みんなが言うには速いらしい。

飯出 道なき斜面を走るように歩くんでしょ?

深沢 そうそう。みんな、結構怖いから歩けないんですよね。俺は怖くなくて平気なんですよ。どこでも行っちゃうから、みんなあいつはバカだって言ってるけどね、陰では(笑)。

飯出 ははは。誰かが深沢さんのこと、「猟師が片手間か副業で旅館やってるんだよ」って揶揄してましたけど、まんざら嘘でもない雰囲気がありますよね。

深沢 みんな、猟師仲間やうちの息子なんかはね、猪を仕留めるとなると、最低1時間は歩くことになるんで、あんまり行く人いないんですよ。俺、行くね、絶対。犬が可愛いからさ、犬がせっかく (獲物が逃げるのを) 止めてくれて、俺が来るの待ってると思うから、行かないわけにいかないですよ。

飯出 ほう。

深沢 犬のためにも(笑)。相棒なんだから。絶対行きます。とことん。さすがに4時間かかるのは諦めましたけど、この歳で4時間はきついなと。若いときなら行ったかもしれない。

奈良田温泉白根館/深沢さんの狩猟姿
▲愛犬と狩猟に出かけるときの深沢さんの雄姿。なんだか嬉しそう。(2017年3月撮影)。

 

飯出 もう、犬は上で待ってるわけ?

深沢 待ってる。鳴いて止めてるのがわかるから。犬は俺が行って撃ってくれると思って、止めて吠えてるんだから。

飯出 止めて吠えてる声がわかるわけですね?

深沢 追ってるときと、獲物が止まってるときと、鳴き方が違うんです。

飯出 へぇ。今、犬は何頭いるんですか?

深沢 今、5頭。

飯出 あれは、甲斐犬(かいいぬ)っていうんでしょ?

深沢 甲斐犬(かいけん)ですね。ここと、芦安が発祥地だといわれてます。

飯出 猟師仲間は、甲斐犬をみんな持ってるわけでしょ?

深沢 そうです。

飯出 繁殖させてるんですか?

深沢 そうそう。ほしい人も結構いて、あちこちあげてるんですよ。

飯出 小さな犬ですけどねぇ。猟できる期間は決まってるんですよね?

深沢 はい、通常の猟の期間、11月15日~3月15日までです。正確には2月15日までなんだけど、今、鹿が多すぎて困ってるでしょ、だから鹿と猪だけ延長なんです。

飯出 猟期は4ヵ月間くらいしかないんですね。

深沢 でも、そのあとも許可がおりるんで、鹿なんかは1年中いいんですよ。1年中いいけど、葉っぱが出てきちゃうと危なくてね。罠ならいいんだけど、鉄砲で捕るのはちょっと危険です。

飯出 向こうが見えないからですね。

深沢 だから鉄砲はあんまりやらないね。罠で捕るしかないですね。

飯出 ここの食膳に出す鹿や猪の量は、間に合ってるんですか?

深沢 なんとか間に合ってます。

飯出 本当に、食材の調達って感じですよね。

深沢 冷凍庫がいっぱいになれば、もうあんまり行かなくてもいいかなと。行きたくなるんだけどね(笑)。


▲自慢のジビエ料理。写真は熊肉を使った「親父鍋」。運が良ければ特注で味わえる。

 

飯出 冷凍庫いっぱいって、何頭分くらい入るんですか?

深沢 何頭くらい入るんだろう。みんなきれいに整理して使えるとこだけにしてあるから。あとは、犬の餌になります。

飯出 やっぱり犬に味を覚えさせないといけないわけですね。

深沢 食べさせるけど、それだけじゃ犬は仕込めなくて、今、うちで飼っている犬は二流犬です。

飯出 二流?(笑)

深沢 ダメなの、能力が低すぎで。せめて、一流くらいにならないと。

飯出 前に、深沢さんに犬の思い出を書いていただきましたが、いい文章でしたね。

深沢 あれは、もう超一流犬だったんですよ。ああいう犬はなかなか出会えない。

飯出 その犬に対する愛情が溢れるばかりでしたね。

深沢 すごい犬だったから、今だに忘れられなくて。あの犬と今いる犬をどうしても比べちゃうもんでね(笑)。良い犬にはなかなかぶつかれないんですよ。

 

狩猟は食材調達の大事な仕事。息子たちも引き継ぐ

飯出 旅館の話になるんですけど、旅館やっているときに一番モットーにしているのって、どういうことなんですか?

深沢 う~ん。まぁ、地元の食材を調達することですかね。俺は料理ができるわけでもないし。

飯出 料理は誰が作ってるんですか?

深沢 今は、息子(長男の充史さん) が作ってます。以前は、うちの母ちゃんがやってたんですけど。

飯出 あ、充史さんが。親父の分担とかないの?(笑)

深沢 俺は何もないですね(笑)。俺は、何か獲ってくるだけ。食材の調達担当 (笑)。

飯出 あとは、お母さんとお嫁さん (千春さん) がサポートするって感じですね。じゃあ、家族以外の人は料理を作ってないわけ?

深沢 うん、そうですね。

奈良田温泉・白根館のみなさん
▲玄関前で、深沢さん、奥さんの友規子さん、長男の充史さんとお嫁さんの千春さん。

 

飯出 温泉を守る、いわゆる湯守として、一番大変なことはなんですか?あるいは気をつけてることとか。前は、新しい源泉が熱くて、古い源泉がぬるいから、夏は熱いお湯の方にぬるいお湯を入れて温度を落としていたりしたじゃないですか。

深沢 今は、熱交換式にして、お湯の中にパイプに水を通して、その流量で温度を調節しています。その温度管理が、一番大変って言えば大変ですね。気温ですごい左右されちゃうから。

飯出 それは難しいですよね。

深沢 うっかりしていると、お客さんに、今日は熱いなぁとか、ぬるいなぁとか、すぐ言われますから。まぁ、もっと大変なのは掃除ですね。

飯出 はい、掃除が肝心ですよね。

深沢 ここの湯は、ぬめりがすごいから。今はいい機械があるけど、昔は木ブラシでこすったもんです (笑)。

飯出 ですよねぇ。今は、高圧洗浄ですね。

深沢 えぇ、ただ、あれ使うから木がどんどんやられちゃって、長持ちしないですよ。何年持つかね、浴槽も。

飯出 檜造りの内湯の、あの浴槽の仕切りがいいですよね。

深沢 温度差がつくので。

飯出 多分、感じとしては40度と42度くらいだと思うんですけど。

深沢 夏は調整してもっとぬるくするときもありますね。源泉の温度は、分析書だと47.8度。沸かさなくていいのは助かりますね。この辺は、熱交換で温度を下げる水も豊富ですし。

飯出 このお湯は、本当に極上の湯ですよね。泉質的にいい温泉となると、白根館のことを書かざるをえないんですけど。最初にこの湯に入ったときの衝撃は今も忘れられない。

深沢 本当ですか?私は毎晩入ってますけど(笑)。


▲露天風呂は2ヵ所。こちらは内湯の脱衣室からそのまま出られる露天岩風呂。

 

飯出 今、次男の光司さんとお嫁さん (明子さん) が向こう (十谷上湯温泉・源氏の湯) やってるでしょ?どうですか?

深沢 まぁ、なんとかやってます。

飯出 あそこは何年前ですか?取得したのは。

深沢 11年目になるのかな。

飯出 もう1軒、3男の洋志さんの宿も造らないとですね。息子3人で、娘はいないんでしょ?

深沢 いないですよ。がっかり(笑)。

飯出 でも、孫がいるじゃないですか。

深沢 はい、ようやく女の子が2人。今、孫が6人います。

飯出 ここは、孫が継いでくれるかしら?

深沢 継ぐって言ってますよ。瑞樹 (充史さんの長男) が。

飯出 それはいいですね。

深沢 どうなるかわかんないですけど(笑)。

飯出 「日本秘湯を守る会」ではどこも、後継者不足の問題が相当大きいようですね。

深沢 後継がないってところもいっぱいあるからね。

飯出 深沢さんのところはうまくいった方ですよね。

深沢 うん、みんなからそう言われる。どうやれば、そうなるの?って(笑)。

飯出 ですよね(笑)。

深沢 鉄砲撃ちを教えてやればって、言うんですけど(笑)。

飯出 3人の息子では、誰が一番鉄砲撃ちが上手いですか?

深沢 みんな上手いですよ。この間、「源氏の湯」の方でも、猪獲れたって、嬉しくて電話がきました。昔は、拾うように猪がいたんですけど、今は鹿が増えてしまって、猪になかなかに出会えないんですよね。犬が猪より鹿の匂いの方に行っちゃって、猪までたどり着けない。

飯出 でも、今夜は猪の肉が食べられるんですよね。楽しみだなぁ。ジビエといえば、白根館って感じですもん。

白根館の深沢さんと温泉達人・飯出敏夫

 

 

…あとがき…

白根館は私がもっとも足しげく通う1軒。
それというのも、もう30年以上も前のことになるが、この奈良田の湯に浸かったときの衝撃が忘れられないからだ。
泉質で選ぶなら、ここは私のナンバーワン。
それほど、個性的で、気持ちがよく、印象的な浴感なのである。
また、深沢さん自らが仕留めた猪、鹿、熊などのジビエの旨さもこの宿で知った。
特に猪のモツ煮は絶品だった。
そんなわけで、歳末に「入り納めの湯」として通った時期もある。
というのは、深沢さんを中心とした地元の狩猟仲間グループが12月29日を「ニクの日」と定め、この日は仕事を休み、全員で山に入って仕留めた獲物を作業小屋で囲んで酒宴を催すので、そこに押しかけるのが目的である。
この猟を見物し、酒宴に参加してみて、深沢さんの山人としての本性を見たように思った。
「猟師が本業で、旅館の仕事は片手間」と揶揄したのは、実は私である (笑)。

(公開日:2018年6月5日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

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奈良田温泉・白根館/露天木風呂

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奈良田温泉・白根館

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