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Vol.15/沢渡温泉 まるほん旅館・福田 智

安定した地位を捨て、老舗温泉宿を継承した元銀行マンの決意とは?

鎌倉時代の開湯といわれる沢渡温泉は、まちがいなく上州を代表する名湯であり、温泉地だった。
と、過去形で言うのも、1945 (昭和20) 年の火災で壊滅し、1959 (昭和34) 年に復興したものの、規模はかなり縮小されてしまったからである。
しかし、かつて“草津温泉の仕上げ湯”、“一浴玉の肌”といわれた良泉は健在だ。
この沢渡温泉きっての老舗旅館が後継者問題で閉業も覚悟したとき「私が継承しましょう」と手を挙げた銀行マンがいた。
しかも夫婦で養子にならないと継承する権利がない、というドラマチックな継承劇。
そのヒューマンストーリーに迫るインタビュー。

沢渡温泉 まるほん旅館・福田 智
福田 智 (ふくだ さとし) /1966 (昭和41) 年9月、群馬県渋川市に生まれる。群馬県立渋川高校から法政大学法学部に進み、卒業後は群馬銀行に就職。中之条支店勤務時代に四万温泉や沢渡温泉を担当し、そこで沢渡温泉きっての老舗宿「まるほん旅館」が閉業の危機に瀕しているのを知る。相談に乗っているうちに、外部の者には継承権がないことがわかり、自分が継承者になることを決意。養子縁組を経て、2004 (平成16) 年1月から老舗宿を引き継ぐこととなった。節子夫人と、1男1女の父。現在、沢渡温泉源泉管理組合長を務める。(2020年4月現在)。

 


沢渡温泉の湯について

飯出 福田さんがこちらを引き継がれたのはいつですか?

福田 2003 (平成15) 年ですね。宿は翌年1月から。

飯出 もうそんなに経ちますか。宿を継承する前は田中さんだったんですよね?

福田 田中でしたね。

飯出 僕は先代と気が合って、割と仲良しだったんですけど。先代はおいくつになりましたかね?

温泉達人・飯出敏夫

福田 もう90歳ですね。元気ですけどね。大したもんです。

飯出 それで、僕は「まるほん旅館」は群馬の中では一番好きな宿だったから、しょっちゅう通りがかるたびに、泊まらなくても寄ってたんですよ。それで、先代が「息子を交通事故で亡くしちゃったし、娘はスイスに嫁に行っちゃって、もう跡継ぎは無理だから辞めようと思ってるんだよ」って話を聞いていたんですよ。

福田 ははは。私もちょうど同じ時期に銀行員として相談されていて、じゃあ売りましょうって話で。

飯出 ただそのときネックだったのが、外部の人には温泉の権利を売買できないっていう組合の規約があったんですよね?

福田 相続人以外にはお湯の権利は引き継げないっていう規約があったんですね。先代いわく、「あんなの勝手に決めてるんだからなんとかなる」って言ってましたけどね。要は旅館仲間で決めていた話なんですよ。

飯出 温泉の権利は県ですもんね?

福田 はい。ここは県有泉なんで、本当はただそれを借りてるという話で。引湯料を払うだけなんですけど。

飯出 県に払ってる?

福田 はい、県に払ってるんですけど、地代なんですよね。お湯って、変な話お金じゃないんですよ。湧いている土地を借りてるんです。借地代っていう形で。

飯出 はぁ。そういうことなんですか。

福田 それを、払うのは個人じゃなくて組合にしちゃってるんです。もともと沢渡温泉の湯って、県有になる前に誰のものって決まってなかったんですよ。自然に湧いているからみんな勝手に使ってて。で、明治時代に関口太郎左衛門とうちの先代の福田六右衛門が俺のもんだって言って、喧嘩が始まっちゃったんですよ。

飯出 関口って言うのはどこ?

福田 もう絶えちゃったんですけど。

飯出 その二軒が両巨頭だったわけですね。

沢渡温泉共同浴場
▲沢渡温泉共同浴場が「まるほん旅館」に隣接。背後に大浴場に続く渡り廊下が見える。

 

福田 はい。江戸時代は栄えてましたし、金もありましたから、「もう裁判だ」って言って熊谷の裁判所に訴えたんですけど、国も元々湧いているものをどっちって言えないわけですよね。で、国が取り上げるからもう何も言うなとなって、状況見ると福田家の方が分がありそうなので貸してやろうとなり、福田六右衛門他29人の訴訟を起こした人たちが、その時点でのお湯を引き継ぐ権利を持ったんです。

飯出 29名もいたの?

福田 いたらしいです。関口太郎左衛門が「俺のもんだ」って言い始めて、周りが「ふざけんじゃねぇ」って怒ったんですね。やはり、個人のものにするのはおかしいからとなり、国が権利を持つことになったんですね。

飯出 その福田六右衛門さんて、先代 (福田勲一氏) の祖父?

福田 もっと前の曽祖父くらいです。で、うちが代表みたいになって県の方からは福田六右衛門他29人っていう通知がくるんですよ。もう、いないんですけど(笑)。

飯出 それで、先代で何代目って言ってました?

福田 寺の過去帳みたら鎌倉まで追えました。

飯出 鎌倉?

福田 過去帳って、亡くなったときに亡くなった人の名前を書くらしいんですよ。六右衛門、六右衛門の妻、息子って書いてありましたね。本当はどうか知らないですけど、頼朝が立ち寄ったとか(笑)。

飯出 それは草津もそうだから。

福田 そうなんですよね。立ち寄ったと言われてますよね。それぐらいの記録があります。

飯出 鎌倉時代には沢渡温泉はあったんですね。

沢渡温泉の絵図
▲1908(明治41)年12月発行の沢渡温泉の絵図。共同浴場が4軒もあり、興味深い。

 

沢渡温泉は草津の「仕上げの湯」

福田 鎌倉時代に湯屋をやってたかは微妙なんですけど。こんな山奥に普通住まないですから、多分お湯があったから生活してたんでしょうけど。記録的には江戸時代に入って福田六右衛門の宿ができました。昔は、半農半宿で冬は商売にならないんで、草津へ行く人の中継地点だったみたいな。

飯出 中継であり、仕上げの湯ですよね。

福田 草津は冬住み (冬季は休業して、麓の六合村に移り住んだこと) じゃないですか。ってことは、冬に客は来ないっていうことで。冬は秋までに作ったものを仕込んだり漬物作ったり。

飯出 昔は、ここから草津へ行く暮坂峠越えが本道ですもんね。

福田 この道がメインですね。

沢渡温泉街を貫く坂道
▲宿の2階から見た沢渡温泉街を貫く坂道。すぐ下の緑色の屋根は沢渡温泉共同浴場。

 

飯出 まず沢渡に泊まって、次の日草津へ行って長逗留して、酸性のお湯で痛めつけられた身体を再び沢渡へ寄って「仕上げの湯」で癒して帰ったというのが湯治の歴史ですからね。その当時の沢渡温泉は賑やかな温泉街だったんでしょうね。

福田 もう、毎日宴会ですよ(笑)。

飯出 要するに草津から戻って、大宴会ですよね(笑)。

福田 はい。また、病気になって戻っていったり(笑)。

飯出 ははは。江戸時代は神社仏閣に参詣に行くか、湯治に行くかしか庶民は自由がなかったから。もうめちゃくちゃな楽しみだったわけですよね。

福田 お伊勢さんに行くか、病気だからと湯治に行くか。

飯出 最後、医者に見放されたら草津に行くしかないって時代だったから。ほとんど花柳界の病気ですけどね。

福田 湯治客は遊び人、お金持ちだったんですよね。劇団を帯同して来たりとか、要は遊ぶためのそういう一座を連れて。一つのグループが貸切にして、どんちゃん騒ぎして2~3泊してまた草津行くとか。

飯出 庶民の唯一の楽しみだったんでしょうね。

福田 そうみたいですね。うちも先代は小さいときは見てたでしょうからね。うちはお湯が良いから自分には病気が移らなかったって言ってましたよ。今も、うちもいろんなクレームありますけど、じゃらん、楽天とか、お湯はほぼ満点の5点です。お湯だけはって(笑)。

飯出 お湯だけは、ですか(笑)。

沢渡温泉・まるほん旅館/檜張り湯小屋風呂
▲渡り廊下で行く浴場棟にある「檜張り湯小屋風呂」は混浴。湯船は2つある。

 

銀行マンとして出入りしているうちに

飯出 まぁ、福田さんもお湯が良いのに惚れて継ぐことになったんですよね?そのとき (銀行員のとき) は四万と沢渡の担当だったんですか?

福田 そうです。

飯出 だから、財務状況とか全部わかっちゃったんですよね?

福田 そう、私が書類書いて金融庁にあげてたんですから(笑)。

飯出 だから、裏も表も全部わかってたわけだ(笑)。

福田 悪いところをどう直すかっていうのを一所懸命研究して。自己査定といって、悪い旅館の財務を全部書き出して、どうしたら良くなるかっていうとこまで書いて。金融庁にこれは不良債権じゃございませんよ、っていう仕事をやってました。

飯出 なるほど。福田さんは渋川高校卒で、大学は法政?

福田 はい。卒業してすぐ群馬銀行。13年半勤務、当時は中之条支店にいました。

飯出 中之条支店が、この辺りの管轄なんですね。

福田 当時は四万温泉がすごいよかったんですよ。県内の温泉地は過剰投資の膿が出てどこも悪かったんですけど、四万はあまり過剰投資してなかったんですよ。

飯出 へぇ。そういうのをずっと見てきているわけですよね。で、その福田さんからの目から見て「まるほん旅館」は良かったの?

沢渡温泉・まるほん旅館/檜張り湯小屋風呂(湯口)
▲「檜張り湯小屋風呂」の大きいほうの湯船の湯口は、石臼を使ったユニークなもの。

 

福田 良かったです。無借金でしたから。

飯出 お客さんはついてるし。

福田 売上そこそこあって、役員報酬もとってて、フル償却かけてて。決算書見て、なんでこんなに良いんだろうと。まぁ、先代のやり方で、この古くなった建物をとことん使うという。償却資産もないのに利益だけどんどん出ちゃって。結局、利益準備金みたいな。自己資本比率85%って、わけわかんないんですよ。普通、旅館てマイナスなんですよ。債務が大きいのが普通なんです。まぁ、これは数字のからくりなんですけど。株でもらって私が引き継いだ形にしたんですけど、株の価値がえらい高くて税金いっぱい払いました。

飯出 株式なの?

福田 株式です。有限会社ですから。引き継ぐ一つのやり方として良いって言われてるんですよね。福田の資産を会社に売った形にして、税理士入れて税金も納めて。不動産も有限会社まるほん旅館にして、その株を私が買うという。贈与のできる部分と贈与税払ってやる部分と上手くミックスして。これは専門家からも良いやり方だって言われたんですけど、まぁ養子縁組しないといけないんでね。

飯出 はぁ。僕は、話聞いても、そういう話はちんぷんかんですけど(笑)。ここの資産価値が高いのは何で知ったんですか?

福田 財務上です。

飯出 内部留保が多いってこと?

福田 そうですね。要は、借金がないってことなんです。まぁ、数字上だけですけど。

飯出 数字上、エリート銀行員の査定としては、これで辞めるのはもったいないだろうと?

福田 思いましたよ。その当時はやってて、話しながらもったいない話だなと。良い値段で買いたいって話が本当にきたんですよ。今、俺がその値段言われたら「はい、どうぞお願いします」っていうくらいの金額で(笑)。

飯出 きたけど?

福田 きたけど、先代はお金じゃないんですよ。

飯出 まぁ、あの性分ですからね。

福田 お金困ってないんですよ。今の家族経営のスタイルを守って、今来てる人を大事にしてくれっていうことですね。ただし、大抵買いたいって来るところは、リノベーションして全館潰して高級旅館にするっていう。

飯出 僕も知り合いに紹介しようと思ったら、ある人から買いたいと思っているから手を出さないでくれ、って言われたことあるな。

福田 何社からか話が来て、県内の結構有名な会社からも来たんですよ。社員保養所にしたいとか良い話だと思って先代に話をしたんだけど、ダメだって言われて。で、どうするんですかって話になって、もう辞めて壊すよ、と。壊すのに2000万くらいかかるかなぁなんて。で、「そんなんだったら、俺やりますよ」って言ったら「やりゃいいじゃん」ってなって。

飯出 半分冗談で?

福田 半分冗談で言って。ただ、そのとき先代に「やりゃいいじゃん」って言われて「俺にもできるかな」って。四万を回っていたんで、温泉の表裏の事情というのは正直だいたいは分かっていたから。

沢渡温泉まるほん旅館・福田智さんと温泉達人・飯出敏夫

飯出 面白いかもと?

福田 当時の四万はすごく儲かってましたから。

飯出 沢渡はそんなによくなかった?

福田 沢渡は泣かず飛ばずで、銀行として来る用がなかった。銀行は貸すのが仕事だったんですけど、融資も出ないし。

飯出 銀行マンとして入行13年ってことは、ある意味、仕事が面白い時期ですよね?

福田 そう。ある意味、銀行が嫌だと思ってるわけでもないし、出世というほどではないけど、順調に来てたし。中之条って幹事店なんで良いポストだったんですよ。

飯出 僕なんか銀行には興味ないですけど、銀行っていうのはその県その県で一番の企業で、エリートですよね。

福田 まぁ、バブルだったんでね。

飯出 銀行員か教員が堅いですよね。だから、きっと奥さんはバリバリの銀行マンと結婚して、左団扇とは言わないけどまさか旅館の女将になるなんて思ってもみないわけでしょ?本当は今日、奥さんもいらっしゃれば、当時のこと聞きたかったんですけど(笑)。

福田 最初はもう喧嘩ですよ(笑)。

飯出 奥さんにどう切り出したんですか?

福田 いやぁ、こういうのがあるんだけど面白い話だしと。先代が年収1200万だったんですよ。これ、もらえるんだぜ!って(笑)。

飯出 でも、1200万だったら、銀行マンだってそのくらいはいってるでしょ?

福田 まぁ、昔は支店長で、そのくらいはいってるでしょうね。銀行って半年のサイクルで毎年同じことを繰り返すんですよ。当然ノルマもあって、達成するとやった~とはなるんですけど。これを50歳までやるのかぁ、と思うこともあるんですよね。出世コースで上がっていけば、それはそれで面白いというのはあると思うんですけど。

飯出 それが好きな人はね。

福田 もっと面白いことあるんじゃないかなぁと。四万の若手が当時面白いことをやっていて。

飯出 当時の若手というと?

福田 四万温泉の高級旅館が。そこがうんと仕掛けて、やったらやっただけ結果が出て。稼働率98%って本当なんですから。

飯出 あのときは、それもあるけど、四万温泉協会事務局長の宮崎さんがやり手で、マスコミに本当に強かったんで。

福田 NHKの朝ドラ「ファイト!」にも取り上げられて。

沢渡温泉・まるほん旅館/貸切露天風呂
▲満天の星が楽しめる小ぶりの貸切露天風呂も1つ。空いていれば自由に利用できる。

 

奥さんにとっては青天の霹靂

飯出 それで、奥さん (節子さん) をどうやって説得したんですか?

福田 それは、もうごり押しですよ(笑)。俺は別れてでもやると。

飯出 言ったわけ?

福田 はい。でも、「俺は一人でやる」って先代に言ったら「一人はダメだ」と。どうしても、旅館って女将商売なんで、奥さんがメインでないとどうしても目が行き届かないし、男の感覚でやるとできないよ、と。

飯出 奥さんを納得させて一緒に来なきゃダメだと?

福田 はい。カミさんは「私は銀行員と結婚したんだ」って言ってたんですけど、何度か言ってるうちに「1回行ってみよう」となったんで、多少は興味を持ったんじゃないですかね。

飯出 いや、僕が以前奥さんに聞いたところによると、「結局、あの人は言い出したら聞かないから、私が折れるしかなかった」って言ってましたよ(笑)。

福田 そうですね(笑)。

沢渡温泉まるほん旅館/福田智・節子ご夫妻
▲福田智・節子ご夫妻 (2011年7月撮影)。継承7年目の余裕が感じられる1枚だ。

 

飯出 ただ、そのとき子供さんがまだ小学生だったでしょ?

福田 小学3年と2年でしたね。

飯出 で、こっち転校して来たんですよね。まぁ、子供にしてもまさかですよね。

福田 まさかですよね。まぁ、巻き込まれたちゃったと(笑)。それが子供にとって良かったか悪かったかわからないけど、子供といられた時間は長かったですね。ここは学校から遠いので、送り迎えもしましたし。

飯出 いやぁ、それは良かったでしょ?

福田 そうですね。結果的に良かったかな。サラリーマンだったら、朝出て子供が寝てから帰ってくるというそんな状況だったと思いますので、特に銀行は。

飯出 銀行はストレスも多いでしょうしね。お兄ちゃんと妹ですよね。

福田 子供は2人とも家を出て就職してしまい、宿を継ぐ気がないから、まさに先代と同じ状況になってしまって。

飯出 あら、そうなの?

福田 誰か後継を見つけなきゃって、あちこちに言ってます。

沢渡温泉・まるほん旅館/客室
▲客室は落ち着いた雰囲気の和室が中心。1人旅でも快く泊めてくれるのも宿の特長。

 

やはり人手不足は深刻な問題

飯出 今、人手の問題が大きいですか?

福田 正直、今人手が足りなくて抑えてる状態です。週休2日で、何でやってるかっていうと、休みがないと従業員がやめちゃうんですよ。

飯出 はぁ。

福田 今は休みは当たり前。休みを喜ぶんですから。昔の番頭さんなんかは休みたくないんですよ、稼ぎたいから。今の子は違いますからね、給料なくなっちゃうよって言っても、いいって言うんですよ。従業員に気を遣って商売してます。

飯出 どこもそうみたいですよ。

福田 もう、父ちゃん母ちゃんで1日5人くらいのお客さんで、やっていければいいかなと。子供も仕上がったから、そんなに無理に稼ぐ必要はないんですよね。

飯出 でも、それじゃ困るんですよ、客が(笑)。電話すると、いつも今日は休みですって。

沢渡温泉まるほん旅館・福田智さんと温泉達人・飯出敏夫

福田 最近怒られますもん。水曜にいつも来てる常連さんが、お宅いつ電話しても休みなんだけど、どういうことだって。申し訳ない、もう営業できないんですって。

飯出 ははは。こんな立場的に楽な宿はないですよ、本当に。みんな借金どうしようって宿ばかりなんですから。

福田 そうですね。やる気ないねって言われます(笑)。あまりにもクレーマーと感じるお客さんには、遠回しに「うち良くないんですよ、階段も多いし。何にもないとこですし」って言ったりして。お客さんも不審がるんですけどね(笑)。

飯出 普通なら、ぜひ来てくださいって言いますもんね。

福田 いや、今そうやっとかないと、変なお客さん多いんですよね。本当にうちを知って来てくださる方はいいんですけど、知らないでポーンと来ちゃうと、そんなにサービスが行き届いているわけでもないし、従業員もいないし、一つ間違うとクレームになるんですよ。

飯出 まぁ、「まるほん旅館」に泊まるお客さんは、ほったらかしにしておいてほしいっていう人が多いですもんね。

福田 こっちもごめんなさいって。着いた途端に「布団敷いてるじゃないか」って文句を言うお客さんもいるんですよ。

飯出 あ、怒る人いる?

福田 喜ぶ人もいるんですけどね。最近はネットでも書いてるんで、わかってるお客さんが多いんですけど。

飯出 最近は布団敷いてるところ、多くなりましたよ。

福田 人手不足で、布団を敷いてくれる人を雇えないんですよね。

飯出 今は滞在のお客さんはいますか?

福田 減りましたね。昔は、冬は2~3泊は結構いましたけど。売上げも今の倍くらいはありましたから。

飯出 そりゃ減るでしょ、集客を抑えてるんだから(笑)。

福田 昔はよくフルで働けたなって思いますよ。今やったらみんな辞めちゃいます。

飯出 「まるほん旅館」は、週休2日、水曜・木曜が休みって定着しました?

福田 えぇ。今はもう定着してますから、リピーターさんもわかってくれているんで、結果的に効率は良くなりました。

飯出 まぁ、余裕なんですよね。でも、その余裕はお客さんには伝わるんですよ。だから居心地は良いんですよ。

福田 手前味噌ですけど、評判は良いんですよ(笑)。帰っていく人の感じでわかるんです。昔は悪かった。本当に昔40~50人とってた頃って怒って帰る人が多かった。クレームの嵐でした。お金なんかポーンって投げられて。

飯出 バタバタしてて、ゆっくりできなかったってこと?

福田 まぁ、そういうことでしょうね。細かいこと言うと、頼んだものがすぐ出なかったとか、浴衣がなかったとか、笑顔がないとか。こちらも忙しいとアップアップで。今、余裕があるんでお客さんと話もするし、俺が今食堂出てますから。社長が給仕やってるっていうのは良いかもしれないですね。

飯出 そりゃ、いいですよ。

福田 お客さんが気を遣ってくれて、「社長なにやってんの?」って。「いや人がいなくて俺がやんないと回らないんですよ」と言うと「あら、頑張ってくださいね、また来ますね」なんて会話になって。お客さんとの距離がぐっと縮まりましたね。

飯出 お客さんの気持ちがわかるからね。ずっとやったら?それ(笑)。

沢渡温泉・まるほん旅館/食事処
▲食事は夕朝とも食事処に用意される。椅子にテーブル席なのはお年寄りへの配慮から。

 

気楽にのんびりやりたいけど…

福田 本当に冗談抜きで、平日はとっても6~7人にして、従業員も最低にして、出来る範囲でやっていくのが良いかなと。これからの時代、お客さんもそんなに増えないですから。インバウンドって言っても、ここにインバウンドが来るまでにはなかなか…。草津、水上行って飽きた人がたまに来ますけど、かなりマニアックですよね。自分ももう歳だし、いつまでできるかっていうのもあるんですよね。

飯出 なーに言ってんですか。今、いくつですか?

福田 53歳です。

飯出 旅館で53歳っていったらねぇ、まだ若手ですよ。

福田 ここからドーンって仕掛ける時期ではあるんですけどね。

飯出 いや、仕掛けなくても良いけど(笑)。

福田 2015 (平成27) 年7月に風呂 (女湯) や休憩処をリニューアルして、二期計画っていうのが実はあるんですよ。

沢渡温泉まるほん旅館/女湯
▲間接照明の光が優しい女湯は、斬新なデザインが話題。2015 (平成27) 年7月の完成。

 

飯出 どんな計画?

福田 この辺のロビー回り全部、風呂のようにリニューアルして、部屋なんかも変えて。良いデザインもあるんですけど、億はかかります。これから20年かけて返すのかと思うと、どっちが良いのかなっていうのは思いますね。

飯出 子供が継ぐっていうのがわかっていれば、やりますよね?

福田 そうですね。でも、継がないって言ってますから(笑)。

沢渡温泉・まるほん旅館/休憩処

▲男湯と女湯の分岐点にあるモダンなデザインの休憩処。女湯と同時にリニューアル。

 

飯出 まぁ、まだわかんないですけどね。急に継ぐなんて言い出すかもしれないし。今、考えどころとしてはなぁに?

福田 旅館をどうしようかと。

飯出 売るかもしれない、とか?組合の縛りがなくなったんですってね?

福田 縛りをなくして、相続人以外にも引き継いで良いってことにしたんですよ。正直、沢渡温泉は誰も継いでないですから。このままいくと、あと10年で消えますね。

飯出 限界温泉だ。

福田 宿が11軒あるって言っても、実質的に商売として生計を立ててやってるのは2軒だけですから。他は年金プラスどこか土地持っていれば家賃収入とかですかね。

飯出 うーむ、そんな状況なんですね。

福田 沢渡はお湯を引くのが安いんですよ。

飯出 沢渡の有利なところは、加温も加水もしないでそのまま使えるってことですよね。

福田 そうなんですよ。給湯にそんなにお金がかからないっていう。ランニングコストが非常に低いんですよ。

飯出 それは大変な強みですよね。

福田 ただ、今はお客さんの動きが極端になってきてますね。土日は入るんですけど、平日は1組、2組とか。

飯出 草津もいっとき、噴火騒ぎで客足が落ちたようでしたね。

福田 沢渡にも影響がありましたね。

飯出 やはり、草津が元気ないとね。

福田 おこぼれって言ったらアレですけど、やはり草津が元気ないと…。その辺の流れが変わって来てるっていうのは非常に感じますね。

飯出 この街道は草津に左右されるからね。草津がダメなら通らなくなっちゃうもんね。

沢渡温泉まるほん旅館・福田智さんと温泉達人・飯出敏夫

福田 全体的に、旅館に泊まるっていうお客さんが減っているのは、事実なのかもしれないですね。

飯出 それは、我々のような年金世代は、先行き考えると旅行なんか行ってられないって気分になっちゃうんだよね。年間4回行ってた人が2回になっちゃうとか。

福田 一部の高級旅館は良いんですよね。お金持ちはすごく行くんですけど、中間層がいなくなってて。単価でいうと1万円以下は入ってて、うちも入る1万~1万5000円クラスが減ってきてますね。以前は、1万5000円~2万円が抜けてるって言われてましたけど、そのラインが下がってる気がしますね。

飯出 でも、我々のレベルだと1万~1万5000円くらいが、旅行としては多いと思いますよ。

福田 まぁ、宿側からすれば、良いお客さんを作って継続していくっていう、昔ながらの商売の積み上げが必要なのかなと思ってますね。

飯出 まぁ、それでも、「まるほん旅館」は恵まれていますね。

福田 そうですね。宣伝もしてないし、自然体で、これだけお客さんが来てくださっているのは有難い話ですし。

飯出 宣伝はしてますよ~(笑)。

福田 あ、有料の広告ですよ(笑)。

飯出 有料広告は出さなくて良いですよ、そんなに効果はないと思うから。

福田 いかに選ばれるかっていうのが本当に難しくて。何で繋がっているかわからないですからね。お客さんの個人的なSNSとか書き込みもそうですしね。

飯出 まぁ、いろいろと難しい時代になったと思いますが、「まるほん旅館」の湯と風呂は温泉ファンにとっては宝物なんですから。その思いを受け止めて、がんばってください!

沢渡温泉まるほん旅館・福田智さんと温泉達人・飯出敏夫

 

…あとがき…

筆者にとって、沢渡温泉は群馬県で一番好きな温泉地で、それはこの「まるほん旅館」があったからに他ならない。
「檜張り湯小屋風呂」と呼ぶ、渡り廊下から階段を降りたところにある大浴場は、浴場建築の白眉だと思う。
そして、古くから“草津温泉の仕上げ湯”と評されてきた“一浴玉の肌”の湯に惹かれたのが一番だが、それとともに先代の福田勤一さんと会って話をするのが好きだったように思う。
その福田さんから、跡継ぎの息子さんを不慮の事故で亡くし「もう宿を閉めようと思っているんだ」と打ち明けられたのはいつだったか。
私もあちこちで宿の継承者を探していたところ、後継者が決まったと連絡を受けた。
それが、群馬銀行の元行員だった田中智さんだった。
後日、婿養子となって跡を継いだ福田さんにお会いした。
「これだけのいい湯で、しかも経営は堅調なのに、閉業するのはあまりにももったいないと思った。もう自分が継承するしかない、と決心をした」と熱く語る福田さんの言葉に安堵したのを思い出す。
あれから16年。まだまだ若い福田さん夫妻とはいえ、今度はご自分の後継者にも頭を悩ます年齢に近くなった。
モチベーションをいかに保ち、いつまで湯守を続けていってくれるのか、それが少しばかりの心配材料ではある。

(公開日:2020年4月12日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

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沢渡温泉・まるほん旅館/大風呂(混浴)

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