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vol.29/村杉温泉 風雅の宿 長生館・荒木 善紀

放射能泉の名湯を守り継ぐ村杉温泉きっての老舗の30代目湯守の思いとは?

村杉温泉は開湯687年の歴史を刻む、新潟県を代表する放射能泉の名湯である。
そして、先祖がこの温泉を発見したという「風雅の宿 長生館」は、現当主で30代目を数える村杉温泉きっての老舗だ。
背後には五頭連峰最高峰の菱ヶ岳へと続く緑深い山肌が迫る広大な敷地の中に、大庭園と近代的な建物の本館、歴史を偲ばせる離れの木造棟が配置されている。
この歴史ある宿を継承するにあたっては、大変なご苦労もあるに違いない。
2年前に晴れて30代目を継承した現当主に、無遠慮にして厚かましく迫った本音インタビュー。

村杉温泉 風雅の宿 長生館・荒木善紀さん
荒木 善紀 (あらき よしのり) /1961 (昭和36年) 年10月24日、創業明治元年 (営業はそれ以前から行っていた)、村杉温泉きっての老舗宿長生館の長男として生まれる。地元の小・中学校卒業後、新潟市の明訓高校から高千穂商科大学商学部に進学。大学卒業後は地元に近接する月岡温泉の旅館で2年間修業したのち、家業を継ぐべく実家に戻り、現在、第30代館主を継承。咲子夫人との間に、2男1女。阿賀野市観光協会会長、五頭温泉郷旅館協同組合理事長、村杉温泉温泉組合の組合長などを務めている。

 


6000坪の敷地に宿泊棟3棟と大庭園

飯出 荒木さん、ここの裏山までずっと荒木家の所有なんですか?

荒木 そうですね。この山の頂上までが私有地です。

飯出 その頂上のところに登山道があるわけなんですね?

温泉達人・飯出敏夫

荒木 昔の菱ヶ岳登山道があります。

飯出 今はもっぱらその道は使われないで、キャンプ場のところの登山口が使われてるんですよね?

荒木 はい。その場所から登れるようになっています。

飯出 菱ヶ岳には登らなければと思いつつ、ちょっと足を痛めてしまい、いつになるかって感じなんですけど。ところで、ここの敷地はどのくらいあるんですか?

荒木 大体、全体を入れると6000坪くらいあります。4000坪が自然の大庭園です。

飯出 ずっと回遊する形になってるんですか?下の池には行って戻ってくる形?

荒木 はい、戻ってくる形です。ちょうどお庭を囲んで建物がぐるーっと建っているような感じです。それで、どの客室からも庭園を眺めてゆっくりおくつろぎいただけるようになっています。

飯出 なるほど。建物としては、ここが本館?

荒木 本館です。旧本館が滝見亭という棟、離れが2棟ございまして、五頭緑水庵という特別室がございます。

飯出 そうすると、食事処はこことは別の建物なんですね。

荒木 食事処は本館と滝見亭の2か所にあります。滝見亭2階には客室も3ルームあります。

飯出 こっちの木造の棟には何部屋あるんですか?

荒木 松濤亭と呼んでまして、1階、2階と1部屋ずつで、16畳1間で、8畳間が襖で分かれるんですけど。まぁ、1棟貸しみたいな感じで、明治末期の建物をそのまま使っています。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/庭園
▲回遊式風の庭園。滝見亭に向かって歩くと、一段下がった場所に池泉が造られている。

 

飯出 登録有形文化財の登録申請はしてないんですか?

荒木 してないんです(笑)。やっぱり登録すると色々難しいところがあるみたいで。

飯出 一番新しい建物はこの本館?

荒木 ここです。1988 (昭和63) 年10月に建設しました。

飯出 というと、バブルのピーク?

荒木 そうですね。ピークぐらいですね(笑)。

飯出 結構、建設費がかかったときじゃないですか?

荒木 高いときでしたね(笑)。

飯出 そのときは、まだお母さんが社長さんのときでしょ?

荒木 はい。父親は私が高校3年のときに他界しており、母親が女手一つでずっとやってました。

村杉温泉 風雅の宿 長生館・離れの特別室「五頭緑水庵」
▲滝見亭から回廊でつながる離れの特別室「五頭緑水庵」。歴史を偲ばせる木造建築だ。

 

1335 (建武2) 年創業の老舗の30代目

飯出 それで、荒木さんで何代目って言いましたっけ?

荒木 私で、荒木家30代目になります。

飯出 はぁ、すごいですね。創業は何時代?

荒木 一応、1868 (明治元) 年創業になっていますが、営業はそれ以前からやっていたと聞いています。村杉温泉は開湯687年の歴史ある温泉地です。1335 (建武2) 年、尾張藩士の荒木正高が木村・川上という家来を連れて、戦乱を逃れてこの地に流れ着いたといわれております。

飯出 ここに住み着いた?

荒木 そうなんですね。で、城山っていうところもあって、そこにいたらしいんですね。

飯出 そのご先祖の荒木正高が温泉を発見したんですか?

荒木 はい、荒木正高が薬師如来のお告げによって温泉を発見したと言われています。薬師堂があって、源泉があって、外湯があり、温泉の原型を残しながらという形で現在に至っています。

飯出 外湯というのは、いわゆる共同浴場のことですよね。あの辺が村杉温泉のルーツなんですね。ここのお湯もそこから引いてるんですか?

荒木 外湯「薬師乃湯」は年間10万人以上の入浴客が訪れています。その裏に一号井、二号井とございまして、今は一号井は飲泉、二号井は足湯に使っていて、ちょっと離れたところにある三号井のお湯を外槽に揚げて、各旅館に配湯している形になります。

村杉温泉の共同浴場「薬師乃湯」
▲村杉温泉のシンボル的存在の共同浴場「薬師乃湯」。入浴料250円、7:00~20:30、無休。

 

飯出 今、村杉温泉は稼働しているお宿は何軒ですか?

荒木 7軒です。最盛期は16軒ほどあったんですけど。

飯出 半減以下になっているわけですね。

荒木 私が1986 (昭和61) 年に家に戻ってきたときで13軒くらいだったでしょうか。

飯出 お宿に戻ってくる前はどうされてたんですか?

荒木 東京の大学出て、となりの月岡温泉で2年ほど修業してました。その頃の月岡温泉は、高速道路や新幹線が開通して、団体バスがひっきりなしに来て、賑やかだったです。なんとか村杉温泉もそういう風にしていかなければと思って…。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/外観
▲村杉温泉では鉄筋5階建ての本館の構えがひときわ目を引く「風雅の宿 長生館」。

 

飯出 荒木さんは小学校、中学校は地元?

荒木 はい、地元です。高校は新潟の明訓高校ってところで。

飯出 あぁ、『ドカベン』の。

荒木 はい、そうです(笑)。

飯出 で、大学から東京に出られたんですね。大学時代は何してたんですか?

荒木 まぁ、バイトしたり、遊んでましたね(笑)。商学部なんですが、ゼミは法学を専攻していました。

飯出 じゃあ、ここに入ったのは24~25歳ですかね。2年間、月岡温泉で修業して。あの頃の月岡温泉は勢いありましたよね。芸者さんとかいっぱいいて。

荒木 はい、芸者さんも400~500人くらいいて。

飯出 へぇ、そんなに! 月岡温泉って元々石油採掘の工事中に温泉が噴出したってところですよね。一時、新潟の月岡温泉か山梨の石和温泉か、といわれるような歓楽的なイメージがありましたよね。その頃から、月岡温泉のお湯は緑色でしたか?

荒木 お湯は緑色で硫黄の匂いがしました。

飯出 温泉マニアの間では、源泉掛け流しの宿は月岡温泉には1軒もなくなったって話ですよ。細々と源泉掛け流しをやっていた小さなお宿がやめちゃったそうで。

荒木 そうですね、月岡温泉も、私がいたときは30軒以上宿があったんですけど、今は半分以下になってしまってます。やはり、大きいところが残っている感じですね。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/ロビー
▲緑濃い庭園に面したロビーラウンジ。フロント、売店などとともに2階フロアになる。

 

ラジウム温泉を核に村杉温泉の再生を

飯出 村杉温泉は、昭和の最後に長生館が新しく建て直したりした頃はすごい勢いがあったでしょ?

荒木 勢いがありましたね。当時知名度がなかったので、東京中心に営業に行って。新潟県内では新潟の奥座敷ということで知られていたんですが。昔は湯治のお客様が多かったそうですが、私が子どもの頃が接待関係で使われていたそうです。村杉温泉にも、芸妓置屋組合というのがありまして、芸妓さんが60名くらいいた時期もありました。

飯出 へぇ。いつくらいまで芸妓さんいたんですか?

荒木 私が戻ってきたときは大勢いましたが、バブル崩壊後に一気に少なくなって。月岡も村杉も常連さんに支えられていたのですが、これからは原点回帰し、日本有数のラジウム温泉ということに目を向けようと。文献を広げて見ると、全国各地から色々な方がいらっしゃったり、近衛文麿公とか伯爵、公爵とか、文人墨客らと祖父が庭で撮った写真が出てきたり、1919 (大正8) 年にフォードの乗合自動車が新潟県で2番目に走ったくらい、すごく栄えていたそうです。

村杉温泉 風雅の宿 長生館・荒木善紀さん

飯出 フォードをお客の送迎に使ったんですか?

荒木 送迎にですね。ちょっと大きめの乗用車ですね。その後、お客様が増えてきて1923 (大正12) 年に乗合自動車でフォードの中型車が増車されたそうです。

飯出 それは、バス会社がフォードを運行したってこと?

荒木 そうです。1913 (大正2) 年に新潟大学の前身の医学専門学校でラドンの調査をした結果、世界レコードっていうのが新聞記事に載って一世を風靡したというのを知りました。その時期、温泉を中心に全国各地から色々な方がいらっしゃったり、著名人が湯治に来たという全盛期があったというのが頭にあり、もう一度原点回帰を元に温泉地再生の挑戦をしてみようと考えました。

飯出 ラジウム温泉を核に、もう一度温泉地作りをやってみようと思ったんですね。

荒木 はい、地元の旅館経営の若手を集めて、みんなで色々なことをやってきたんですね。

飯出 今もそういう感じ?

荒木 今は、それぞれ路線が違うところもありますが、すべてにおいてはラジウム温泉を核においてやっているという感じです。長生館は、新潟県で2008 (平成20) 年に健康ビジネス連峰政策の県の補助金を受けて、ヘルスツーリズム等に参画をさせていただいて色々なプログラムを造成・販促に転化したところもありますし。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/露天風呂「白帝」
▲露天風呂「白帝」(男湯)。手前が約25℃の源泉浴槽で、加温浴槽との交互浴が楽しい。

 

飯出 健康ビジネス連峰政策というのがあるんですか?

荒木 新潟県の各部が連携して新しい産業を創造しようということで、私たちも村杉温泉温泉組合と新潟薬科大学とバイオリサーチパークという産官学連携センターがあるんですが、そこと連携してヘルスツーリズムとかアンチエイジングキャンプとかに取り組んできた経緯もあります。

飯出 それは何年前の話? 今も続いてるんですか?

荒木 10年前に始まって、途中少しの期間途切れましたが、現在も継続しております。

飯出 それで、新しい展望は開けたんですか?

荒木 そうですね、今、村杉、今板、出湯で五頭温泉郷 (ごずおんせんごう) になってますが、ここで温泉ガストロミーツーリズムのイベントをやってます。やまびこ通りをノルディックウォークで歩いたり。「村杉を愛する会」と言う団体を作り、補助事業で遊歩道を整備したりして。もともと、1921 (大正10) 年に本多静六先生がこの地を訪れて「村杉ラジウム温泉風景利用策」という壮大な計画を描いていただいたものが新潟県立美術館に眠っているんですが…。

飯出 本多静六さんってどういう方ですか?

荒木 日本初の林学博士で、造園家です。国立公園の設計もされたり、日本の「公園の父」といわれていますね。自然を活かして今でいうヘルスツーリズムみたいな案を描いたものがあって、新潟図書館まで行ってコピーをさせていただいて、それに基づいてヘルスツーリズムの実践を展開しようと考えました。

飯出 村杉温泉はまとまりはあるんですか?

荒木 まとまりはありますね。地域の住人が力をあわせて観光業とか関係なく村杉を良くしていこうという情熱があります。

 そこのリーダーを荒木さんがやってるんでしょ?

荒木 はい、立場的には一応(笑)。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/露天風呂「彩雲」
▲露天風呂「彩雲」(女湯)もほぼ同様の造り。男湯のオブジェは鯉で、こちらは亀。

 

魅力の余裕ある造りと贅沢な空間

飯出 長生館として、一番力を入れてきたのはどういうところですか?

荒木 やっぱり、ラジウム温泉と健康を結びつけていきたいということで、色々な取り組みをやってきたことですかね。

飯出 器的に結構大きいでしょ?

荒木 大きく見えますけど、部屋数は27室しかないんですよ。

飯出 ほぉ、それはこの器にしては少なく抑えてますね。

荒木 はい、よく言われます(笑)。ですが、いまは個人客主体の時代になりましたから、この部屋数で良かったと思っています。

飯出 広大な庭園もそうですが、建物内もとても余裕のある造りですよね。

荒木 はい、無駄も多いのかもしれませんが(笑)。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/客室
▲本館の客室の一例。窓からは眼下に庭園と、菱ヶ岳へと続く山麓の緑が美しく望める。

 

飯出 パブリックスペースも充実してるし、お風呂も男女別に大浴場と大露天風呂、それに貸切風呂を3つも備えているし。

荒木 貸切風呂は有料にしていたんですが、コロナ禍になってからは無料で開放しています。

飯出 それはいいですね。今、感じてる課題はどんなことですか?

荒木 私らとしては、せっかくある地域資源とともに、当館の資源、例えば庭園の有効活用、日本有数のラジウム泉、県内でも大きい露天風呂、弟が総料理長をやってる地元の旬の食材を使った料理とか、差別化を図り、知名度を上げていかなければならないと感じてます。

飯出 ここは、合併前は確か村でしたよね?

荒木 笹神村だったんですが、その頃は農業と観光が中心でした。今は、阿賀野市になります。

飯出 母体はどこなんですか?

荒木 水原町ですね。ここが人口の半分くらいですね。水原はラムサール条約の登録湿地になっている白鳥の瓢湖が有名です。冬に白鳥が飛来してきますので、一つの素晴らしい名所ですね。私たちが東京などに営業に行っても阿賀野市、村杉温泉、五頭温泉郷をご存知なくても、白鳥の瓢湖のあるところというと皆さん通じるような感じですね(笑)。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/貸切風呂
▲フロントで鍵を貸し出すスタイルの貸切風呂は現在無料開放。写真は「森の癒し湯」。

 

夫婦、兄弟で力を合わせて経営

飯出 荒木さんは何人兄弟?

荒木 3人です。弟と妹。弟の善行はここの総料理長でして、妹はボストンに在住してます。

飯出 善行さん、お若いですよね?

荒木 私と6つ違いですかね。若そうに見えるんですけど(笑)、そう変わらないんです。

飯出 荒木さんは何年生まれですか?

荒木 1961 (昭和36) 年10月24日生まれです。

飯出 というと、今年の秋に還暦ですね?

荒木 はい。よく、弟が私の息子と思われたりします(笑)。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/夕食
▲荒木善行料理長が腕をふるう料理には定評があり、これが目当ての客も少なくない。

 

飯出 ははは。奥様、咲子さんっておっしゃるんでしょ? 咲子さんはどちらから嫁いで来られたんですか?

荒木 地元の一つ上の先輩なんですね。

飯出 幼馴染なんですか?

荒木 保育園で一緒で、小学校は離れて、中学校は一緒だったんですが、その頃はそんなに親しかったわけではないんですが(笑)。

飯出 おいくつで結婚されたの?

荒木 私が29歳のときでしょうか。割と遅かったんですね。

飯出 こういう商売は初めて?

荒木 うちに嫁に来ることが決まって、宮城県・秋保温泉の佐勘さんで修業させていただいたんです。

飯出 お母様の大女将さんは相当なやり手のイメージでしたから、そこに嫁ぐのは大変だなぁって思ってました(笑)。今も、お元気なんですよね?

村杉温泉 風雅の宿 長生館・荒木善紀さんと温泉達人・飯出敏夫

荒木 宿のことは特にやらないのですが、宿には毎日は来ます。昔からの大女将のお客様がすごく多いのでご挨拶に。

飯出 ちなみにお子さんは?

荒木 3人いて、みんな東京に出て行ってます。長男、長女、次男です。長男は28歳で大学出てコンサルタント会社に就職して今勉強してます。長女は薬剤師になっていて、次男はITの会社でHP作ったりしてます。

飯出 お兄ちゃんが継いでくれそう?

荒木 どうでしょう。うちの会長 (大女将) とは (継ぐと) 約束はしているとは言ってますけど。いつくらいに帰ってくるの? って聞くと、10年くらいしたら戻るわ~なんて言ってて(笑)。

飯出 でも、まぁ、お父さんがまだ還暦ですからね。そりゃ息子さんも、まだまだいいかって思ってますよ(笑)。

荒木 はは、まぁそんなところでしょうか。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/お庭
▲ロビーラウンジから庭に出ると、錦鯉が泳ぐ池泉に臨むウッドデッキがいい雰囲気。

 

コロナ禍から得た感動と教訓

飯出 荒木さん、社長になってまだそんなに経ってないですよね?

荒木 もうすぐ2年ですね。2019 (令和元) 年8月に就任して10月に大豪雨になって、その後コロナ禍になって。社長になって大変な思いばかりしているという感じですね(笑)。

飯出 なるほど。最後になりますが、コロナになって感じたことはどういうことですか?

荒木 移動できなくなって、お客様がいらっしゃらなくなって。昨年の2月くらいまでは業績は良かったんですが、コロナ禍が進むにつれてお客様がいらっしゃらなくなり、3月に入ってからは休館してたときの方が多いですね。

飯出 完全に休業にしたのはいつですか?

荒木 緊急事態宣言が出てから、昨年5月の解除されるまでですね。

飯出 休みのときは何をしてたんですか?

荒木 いや、もうこの先どうしようという感じで、銀行行って資金繰りの問題とか。従業員には休んでもらって、私と女房と弟と3人で夜集まって新しいことをしていこうと話したりしてました。雇用の維持は第一ですし、その責任はあるので、雇用調整助成金が出ましたけど、従業員には給料全額補償しました。

飯出 全部出ていくだけですよね?

荒木 大変でした、本当に。不安でしたね。この先どういう形で立ち上げていこうかと毎日悩み続けました。今も悩み続けていますが。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/男湯の内湯「長寿の湯」
▲男湯の内湯「長寿の湯」。湯温は長湯が楽しめるように、ややぬるめに設定されている。

 

飯出 どんなこと一番考えました?

荒木 いかにお客様に愛され続ける旅館作りをやっていこうかと真剣に考えました。励まされたのは、常連さんからはもとより、飯出さんにご紹介いただいた「種プロジェクト」にも参加し、お客様から色々なメッセージやご支援をいただいて…。

飯出 それが力になった?

荒木 はい、本当に有難くて、勇気づけられましたね。こんなことに負けていられない、コロナが収束したらお客様にいらしていただける愛される旅館作りをやっていかないと、と強く感じました。

飯出 これだけお客さんがついているんだって再確認できたんですよね?

荒木 えぇ。皆さんが当館のことを愛してくださっているんだなという、それに関して私たちもお返しをしなくてはならないですし、もっと頑張っていかないと、と励ましになりました。

飯出 だいぶお客さんも戻ってきたでしょ?

荒木 はい、昨日はほぼ満館でした。新潟県からも昨年6月1日からすぐに経済緊急対策で助成金を出していただいたり、阿賀野市にも早くに経済緊急対策として「五頭Go Toトラベル」キャンペーンを開始していただき、なんとか持っている感じでしたね。

村杉温泉 風雅の宿 長生館/飲泉場
▲ロビーラウンジの一角に設けられた飲泉場。湯上がりに放射能泉の名湯を味わいたい。

 

飯出 いまは、希望は持ててきた感じですか?

荒木 今、いらっしゃるお客様を次なる顧客につなげていきたいなという。また、今までと違って新規のお客様も相当いらっしゃっているので、「こんないいところだと思わなかった」「前から来たかったんです」と言われるお客様も多くて。

飯出 長生館て、一見敷居が高い高級旅館に見えるんですけど、思いのほか、高額な宿じゃないんですよね。すごく高級・高額旅館のイメージがあるんですけど。この機会に来られた方は、「この料金で泊まれるの?」って思った方が多かったんじゃないですかね。

荒木 そうなんですね、新潟でも高級・高額旅館のイメージがあるんですよね。

飯出 長生館はそのイメージありますね、構えや庭園など見ると(笑)。でも、新潟駅まで送迎しているのは強いと思いますよ。新潟なんて東京からすぐですから、そこから送迎してくれるのは来やすいです。

荒木 はい、東京から新潟まで新幹線で2時間、新潟からここまで車で50分くらいで着きますから。

飯出 思い立ったら、すぐ来られる場所なんですよね。

荒木 ただ、新潟というと、結構遠いというイメージがあるんでしょうね。そこから山の中に入っていくみたいなイメージがあるようで。

飯出 イメージだけですよね。

荒木 はい、実際いらっしゃるとリピーターになっていただける方が多いんですけどね。そこまでの知名度がないので、なんとかこれから知名度アップを図っていかなければならないなと思っています。

村杉温泉 風雅の宿 長生館・荒木善紀さんと温泉達人・飯出敏夫

 

…あとがき…

荒木さんに初めてお会いしてから10数年が経つ。
何回か訪問したが、いつも専務の肩書きだった。
名物女将との評判が高かった大女将がずっと社長を務めていたからだ。
それが、2年前に晴れて社長に就任、と喜ぶ間もなく、コロナ禍に襲われるという不運に見舞われてしまった。
さぞかし落胆しているかと思いきや、兜甲冑を着けたら大将格の武将という、私が最初に受けたイメージはそのままだった。
インタビューの際には、いつも大汗をかいて、汗をふきふき対応する、その実直丁寧な物腰と姿勢、笑顔が印象的だ。
私は、村杉温泉と長生館を想うとき、真っ先に荒木さんのあの汗だくのステキな笑顔と、そして露天風呂の冷泉源泉浴槽を思い浮かべる。

(公開日:2021年8月1日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

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村杉温泉・風雅の宿 長生館/男湯露天

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