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Vol.13/天狗温泉 浅間山荘・山﨑 幸浩

浅間山の登山規制を受け、アイデアを駆使して“赤い湯”を守る熱血漢

浅間山荘というと、あの赤軍派の籠城事件を想起する人も少なくないと思うが、まったく別物である。
浅間山の登山口にある山荘風の一軒宿で、とりわけその鮮烈な赤い色の湯に驚かされる。
宿は母上と山﨑さん夫婦、息子さんとで切り盛りする、
絵に描いたような家族経営。
旅館部のほかにコテージ、ロッジ、乗馬まであり、学生の合宿に利用されているのも特徴だ。
父親の跡を継ぎ、浅間山の登山規制に苦しみながらも、明るく前向きにアイデアを駆使して奮闘する、その温和な笑顔の裏に秘めた熱き思いに迫るインタビュー。

天狗温泉 浅間山荘・山崎幸浩
山﨑 幸浩 (やまざき ゆきひろ) /1966 (昭和41) 年3月、長野県小諸市に生まれる。小諸高校卒業後はパイロットを目指して進学するが、日航機墜落事故をきっかけに思うところあってパイロットの道を断念。ちょうど父親が天狗温泉浅間山荘を譲り受けて営業を始めたこともあり、帰郷して父親とともに家業としての湯守に専念。スキーの腕前はプロ級で、浅間周辺のバックカントリースキーの草分け的存在でもある。明美夫人は高校の後輩で、1男1女の父。(一社) 小諸観光局理事、浅間高峰観光協議会会長 (2019年5月現在)。

 


開業時は小諸商高の寄宿舎を移築

飯出 僕が最初にここにお邪魔したのはいつ頃でしたかねぇ?山﨑さん、もういましたよね?

山﨑 はい、いました。

飯出 お父さんもご健在でしたでしょ?お父さん何年に亡くなられたの?

山﨑 平成16年ですね。

飯出 ということは、その前にお邪魔してるんですね。

山﨑 20年前くらいにはなりますね。

飯出 山から下りて泊まったこともあるし、旅のペンクラブで泊まったこともあるし。ずいぶん、お料理が上品な盛り付けになりましたね。食べた味は、そんなに変わってなかったから、あ~って思ったけど。

温泉達人・飯出敏夫

山﨑 そうですかね。最近は特にインスタ映えとか、見た目が料理の味を左右する感じがしますし、山での美味しい食事は登山者が温泉客としてのリピーターにつながる要素になると思いますね。

飯出 それは大きいですよね。ここを目的に来ているお客さんが多くなったってことですよね。

山﨑 まぁ、結局、うちも浅間山の登山者向けだけの宿から脱却することを模索し続けないと生きていかれないかな、という(笑)。

飯出 もともとは浅間山の登山者向けのお宿として建った宿なんでしょ?

山﨑 基本的には登山客用の山荘ですね。

飯出 最初にここの山荘が建ったのはいつくらいなんですか?

山﨑 昭和32年に小諸商業高校の寄宿舎を解体して、その建物を移築したんです。

飯出 それは、市の手配ではなく?

山﨑 市ではないですね。小諸の当時市長だった方が有志を集めて株式会社を作ったんですよ。それが浅間山観光っていう会社なんですけど。うちの父は、昭和46年にその会社に支配人として入ったんです。

飯出 あぁ、なるほど。

山﨑 でも、浅間山が昭和48年に爆発したんですね。これは中爆発でしたけど、そのときから登山規制が施行されたんです。

飯出 それまで、規制は全然なかったの?

山﨑 なかったですね。だから、登山客でごった返しているという状態でしたね。

浅間山登山道
▲山荘のすぐ先から簡素な鳥居が立つ浅間山登山道(しばらくは林道歩き)が始まる。

 

登山客が来ない状況からの苦闘

飯出 それで、浅間山観光って会社を作って、その中のお一人がお父さんだったの?

山﨑 いえ、出来た当時はうちの父はまだいなかったんですけど、そこの会社にその後入社したんですね。

飯出 で、支配人でここの管理を担当したわけ?

山﨑 まぁ、48年から噴火の影響で登山客が減り、経営は下がっていったようでした。それで、テニスコートやグランドを作ったりとか、登山客以外のお客様を受け入れる経営をやろうとしたんですよね。変な話、うちの父はこの場所への想いがあったんでしょうね。大好きな場所だったんだと思います。

飯出 なるほどねぇ。

山﨑 そんな中で、会社としては買収が入ったりとかしたので、父が一念発起して、浅間山観光を解散させたんですよ。

飯出 あ、解散したの。

山﨑 えぇ、倒産する前に買い取って解散したのが平成元年です。その後、完全に父が個人事業経営の形でやり始めたんですね。その頃、私がちょうど帰ってきたもんですから。

飯出 あ、そうなんですか。

山﨑 はい。それで、父も将来性を考えて建て直し計画を立てたんですけど。この場所は保安林なんですよ。保安林の解除はやはり時間もお金もかかり個人事業で建てるというところまでは相当苦労があったと思うんです。そんな流れから平成7年にこの建物になったんです。

天狗温泉・浅間山荘/外観
▲緑に囲まれた浅間山麓の登山口に建つ、ウッディで瀟洒な山荘といった印象の外観。

 

飯出 元の建物はもうないんですか?

山﨑 はい。駐車場の場所にあったんですよ。

飯出 あぁ、なるほど。幸浩さんが平成元年に戻られたので、一緒に建て直しをした感じですね。

山﨑 まぁ、父もこのまま使わせるわけにはいかないって思いがあったりとか。結婚もすることになって、一緒にやることになったので。

 

夢の職業はパイロットだったが

飯出 幸浩さんは長男?

山﨑 長男です。妹が一人います。

飯出 すぐに宿を継いだわけじゃないんでしょ?

山﨑 はい、高校卒業後はパイロットを目指して進学したんですが、日航機墜落事故をきっかけに思うところあってパイロットの道を断念しました。

飯出 ほう、実は私、その日航機が墜落した上野村出身なんですよね。奇遇ですけど。もう、親父さんがその事業をされるときに、一緒にやろうという気持ちで戻ってきたわけでしょ?

山﨑 はい。まぁ、父もくたびれてくるし、いろいろ覚えなければいけないことも多いので、葛藤はあったんですよ。で、23歳のときに戻ってきました。でも、父は享年62歳と若くして亡くなったので。

飯出 若かったですよねぇ。

山﨑 ここを建て直すという信念とか、体の使い方とか、見てると大変だったんだろうなっていう…。

飯出 ここの山荘は建ったときにすでに温泉はあったんですか?

山﨑 源泉は存在していましたが未使用でした。文献によると、登山基地の宿がこの下に浅間館、その数百m上に浅岳ホテルというのがあって。その中に、天狗の湯っていうのが書いてあって、おそらく浅岳ホテルで使ってたんだと思います。その後の地形図には浅間山荘の脇に天狗の湯の表記がありました。

天狗温泉 浅間山荘・山﨑幸浩さん

飯出 今、その名残はあるの?

山﨑 名残はあります。ここに建物があったんだなっていう。昔は山岳信仰で浅間に登っている方がたくさんいて、交通機関もないので下から歩かないとダメですよね。その中間地点に皆さん泊まられていたと思うんです。

飯出 なるほどね。一種の講ですね。山はどの山でも、特に煙を吐いている山は信仰の対象になるので。

山﨑 そういう名残があって、戦後登山ブームがあったときに、昭和30年代に登山基地が必要だということで。

飯出 で、その2軒は山﨑さん戻られたときにはもうなかったの?

山﨑 私が子供のときには、浅岳ホテルはもうなかったですね。浅間館っていうのは、本当に小屋だったんですけど、おじいちゃんが一人いましたね。

飯出 小屋番という感じね。じゃあ、もう山﨑さんが戻られてからは登山禁止状態?

山﨑 今と同じ状況ですね。

飯出 一時、前掛山まで規制が緩和されたりしましたよね。

山﨑 平成に入ってから緩和されたんですけど。浅間山は平成16年にも中爆発したんですけど、その10日後に父が亡くなって。葬式の日も噴火が続いていました。父はまさに噴火とともに逝った感じがありますね。

飯出 それ以降、登山規制が緩和された時期はあるの?

山﨑 その2年後くらいに緩和されたんですけどね。

飯出 今、ダメになったのはいつくらい?

山﨑 3年前 (2015年) ですね。

飯出 それまでは、前掛山まで行けたんですね。やっぱり前掛山まで行ける、行けないで、お客さんの入りは全然違うでしょ?

山﨑 まったく違いますね。

 

美人の奥さんとは25歳で結婚!

飯出 浅間山の噴火活動には、相当翻弄されますよね。

山﨑 僕は父が亡くなったときの噴火が一番こたえましたね。父はいなくなるし、浅間山が噴火して客足はぱったりでしたから。

飯出 そのときは何歳でした?今から14年前?

山﨑 まだ30代ですね。

飯出 ご結婚されたのは何歳のときですか?

山﨑 25歳のときですね。

飯出 あ、戻られてすぐなんですね。奥さん (明美さん) にちょっと聞いたんですけど、高校の後輩だそうですね?

山﨑 そうですね。同じ高校だったんですけど、ダブってはいなかったんですよ。

飯出 いまで言う「女子会」で高校時代に遊びに来たのが最初だと聞きましたよ。

山﨑 はい、その後アルバイトに来てもらったのがきっかけで…。

飯出 わりとすんなりとゴールインしてるんですね。奥さんも山が好きだったんですかね?

山﨑 そういうふうによく言われます。でも、その当時、彼女は山登りなんてしたことなかったんですよね。結婚したときは皆さんに「山が好きでここに来たの?」って言われてましたが。

飯出 そりゃそうでしょうね。僕もそう聞いたと思いますよ。最初来た時は、「えっ!!」ってびっくりしましたから(笑)。

天狗温泉・浅間山荘/女将の山﨑明美さん
▲もはやミニ豚とは言えなくなった“営業部長”のルイス。大切な家族の一員だ。

 

飯出 山﨑さん自身は、浅間山には結構登ってます?

山﨑 そうですね。最近は業務としての登山が多いですが。

飯出 お鉢巡りもしたことあるんですか?

山﨑 はい。もちろん。スキーでも滑ってますし。スキーはインストラクターをやってたりしたんですけど。まぁ、それもちょうどここが建て直しでやっていられなくなってきて。そこから、山滑りが始まったんです。

飯出 山滑りっていうんですか?(笑)

山﨑 いまで言うバックカントリーっていうか。ゲレンデではなく山を滑るっていう。人が降りたことないとこ降りたいっていう。

飯出 結構、やばいところを滑ってたんですね?

山﨑 黒斑山の頭から降りたりとか。あの斜面もあちこち何本か。

飯出 はぁ。相当な傾斜ですよね、あそこは。色々な登山客が浅間山の噴火で激減したり、その頃は本当に大変だったと思うんですけど、乗馬とか、バーベキューを楽しむコテージだったりとか、その後に考えられたわけでしょ?

山﨑 そうですね。登山者があてにできないとなると、ほかの魅力を作って来てもらわないとでしょ、必死に考えましたね。

飯出 なるほど。

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