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vol.7/奈良田温泉 白根館・深沢 守

南アルプスの懐深く、伝説の秘境に湧く“極上の美肌湯”を守る熱血の山人

かつて日本の秘境の代表のように語られた、早川渓谷深く切り込んだ早川町最奥の集落が奈良田である。
ダム建設で集落のほとんどが水没したが、そこに自然湧出していた湯を復活させたのが奈良田温泉で、温泉宿は白根館1軒。
ほかに別源泉を引く日帰り施設があるだけで、道は良くなったが、いまなお秘境の環境はそのままだ。
この温泉の泉質がまさに極上。
その湯に浸かった人は、そのなんとも名状しがたい肌に滑らかな湯の浴感の虜になるにちがいない。
そんな秘湯の宿を守る、狩猟の達人の極意に迫るインタビュー。

奈良田温泉白嶺館・深沢守

深沢 守(ふかさわ まもる)/山梨県早川町・奈良田温泉「白根館」館主。1949年、早川町奈良田で3人弟妹の長男として生まれる。高校卒業後、県職員や東京で会社員生活を数年送ったのち、20代半ばで帰郷し、家業を継ぐ。3男の父。南アルプス前衛の山々を愛犬とともに渉猟し、熊・猪・鹿を追うのを無上の喜びとし、根っからの山の民「山人 (やまんど)」を自称する、ジビエと山の幸と酒をこよなく愛する熱血漢。「日本源泉湯宿を守る会」会長、「日本秘湯を守る会」相談役、早川町商工会・観光協会の副会長などを歴任。(2018年6月現在)

 


女帝伝説を残す秘境の山里、奈良田とは?

飯出 もともと奈良田っていう村は、孝謙天皇 (第46代、在位749~758年) と関係あるんですか?

深沢 奈良時代の女帝、孝謙天皇が御勅使川 (みだいがわ) に沿って遡り、ここに行幸したという伝説が残っているんですよね。途中、土ノ小屋峠 (どのこやとうげ) っていうのがあるんですけど、その峠を越えてここに来たっていう伝説があるんです。

飯出 その峠を越えると奈良田にたどり着くんですか?

深沢 そうなんです。その御勅使川沿いには結構、孝謙天皇の伝説が残ってるんです。本当かどうかわかんないけど (笑)。

飯出 ははは。来るはずないと思いますけどねぇ (笑)。

温泉達人・飯出敏夫

深沢 奈良田の七不思議というのがあって、その中の1つに奈良田七段というのがあるんですよ。地形が、上から下まで七段だったんですね。それで、孝謙天皇がここに着いたときに、「奈良の都は七条なるが、この地は七段。ここも奈良だ」って言ったというんですね。

飯出 なるほど、それで奈良田 (笑)。

深沢 …という話になってます。

飯出 僕なんか覚えてるのは、教科書に載ってたと思うんですけど。焼畑農業の最後の村、それから独特の方言、民俗学の宝庫の秘境という…。

深沢 社会科だったかなぁ。私も高校の時ね、その授業がある日、先輩から奈良田のことが書いてあるっていうのを聞いて、みんなからからかわれるっていうのを、その日は覚悟して行きました(笑)。

飯出 資料によると、風俗、習慣、方言、固有の民謡も伝わっているんですね。

深沢 この民謡もね、「奈良田追分」っていうここの民謡があって、全国日本フォークダンス連盟とかいう組織でね、毎年全国から8曲選んでそれを普及する活動をやってるんですよ。それで今年 (2017年)、この「奈良田追分」が選ばれたんです。

飯出 へぇ、今年?

深沢 はい、今年。いろいろデータ出して、それで「奈良田追分」が選ばれたんで、今その準備をしてるんです。

飯出 それは、その民謡を継承している人がいるんですか?

深沢 いるんです。継承している人がいるところっていうのが選考の条件なんです。

 

伝説の秘境の村を一変させたダム建設

飯出 深沢さんは、その焼畑農業をまだやってるころには生まれてた?

深沢 はい、焼畑の経験はないですけど。

飯出 何年頃なんですか?

深沢 1955 (昭和30) 年頃ですね。1番最後の人がその頃に終わりにしたんですね。

飯出 それはこの辺なんですか?

深沢 この周りすべて。山に行くと、焼畑の跡も残ってますよ。みんな山に家族で入って、山小屋を作って、そこで寝泊まりしてたでしょ。

飯出 何を作ってたんですか?

深沢 色々ですよ。雑穀ですね。あわ、ひえとか小豆とか。蕎麦もね。今、集落があるところは全部みんな畑だったんで、ここでは野菜を作ったり。

飯出 それで、焼畑で作ってた雑穀は自分たちが食べるためでしょ?

深沢 そう、もう自給自足で、自分たちの食べる分だけ。焼畑ですから、そんな大量に収穫できないですよ。

飯出 で、もともとはこの奈良田はダムに沈む前までは、何戸くらいあったんですか?古い写真見ると、相当ありますよね。

深沢 正確な数は知らないですけど、たぶん70戸とか80戸くらい。

飯出 そのうちの大半が水没しちゃったんですか?

深沢 その大半っていうか、今残っている人は、ここにみんな移転したんですよね。

飯出 ここも移転なんですか?

深沢 えぇ、うちも移転です。この辺はぜーんぶ畑だったんです、昔はね。

飯出 なるほど。

深沢 今の道路より、集落はすべて下にあったんですよ。

飯出 じゃあ、ここに今ある集落の家は全部移転してきた?

深沢 全部移転してきました。お寺だけそのまま。もう、埋まっちゃったんでね、どうしようもない。1957 (昭和32) 年にこのダムが出来たんですよ。伊勢湾台風はその2年後。ダムの完成時には旅館が5~6軒できて、その当時は登山のお客さんも多かったですしね、今は少ないですけど。

奈良田温泉・白根館/外観
▲神社や民俗資料館、山岳写真館や日帰り入浴施設へ続く坂道から見た白根館 (中央)。

 

飯出 伊勢湾台風で被害にあったんですか?

深沢 えぇ、埋まっちゃったの、ほとんど。ほぼ壊滅状態。

飯出 ダムが埋まったってこと?

深沢 ダムも埋まったし、この奥に建設中の発電所も流されちゃった。

飯出 はぁ~。

深沢 そこら中の橋が流されて、大変な被害だったんです。

飯出 あっという間に、このダム湖も埋まっちゃったんですよね。

深沢 本当に一発ですね。もうダム造っちゃダメ、っていう見本みたいなもんで。以前はダムの建設反対運動している人たちが結構見学に来ましたよ。

飯出 このダムはもともと水力発電なんですか?

深沢 今でもやってます。これはこういう土砂が溜まる設計になってるんです。砂防ダムっていうことで。伊勢湾台風で被害受けたときは、これは県営のダムだから、県議会で相当問題になったらしいですよ。だけど、土砂をここで止めたでしょ、だからここは埋まっちゃったけど、そのおかげでここから下流は助かったって話ですよ(笑)。

飯出 そうですよね、構造的にはここでなんとかせき止めて、防波堤のような感じで。

深沢 そんなのありかなぁなんて(笑)。で、水力発電はあの状態で機能しているんです。今、土砂取ってるんで少ないですけど、湖面を広げるため。土砂取り終わったら、ゲートしっかり締めると吊橋よりこっちまで水が溜まるように、地元でお願いして。吊橋の下が土砂じゃ、面白くもなんともないということで(笑)。

飯出 そうですよねぇ。今、ダムはこの早川水系でいくつあるんですか?

深沢 ダムですか。水力発電所は13。

飯出 13もあるんですか。

深沢 発電所の数だけはあるから、砂防ダムも入れたら数え切れないでしょうね。

飯出 その13の水力発電所で山梨県の電力は結構まかなっているんですかね?

深沢 まぁ、足りないでしょうけどね。

飯出 それで、ダムからの補助金が、町の財源の多くを占めてるわけでしょ?

深沢 そうですね。

飯出 それで、早川町は合併もせず単体で持ってるわけですね。

深沢 今回のリニアもそうですね。こっちには入らないけど(笑)。

 

ダム湖に沈む前、泉源は“洗濯池”と呼ばれていた

飯出 それで、まだダムに沈む前に、いわゆるお湯が湧いた場所はあったんでしょ?

深沢 集落の一番低いところに2ヵ所あったんですよ。

飯出 それは、洗濯池と呼ばれていたところ?

深沢 はい。その当時は夏でも結構ぬるい温泉だったんで、子供の頃、川で遊んだ後、飛び込んだりしてましたね。

飯出 お風呂ではなく、洗濯場として使ってた?

深沢 そう、それで通り名が洗濯池になっちゃったんですけど。当時、真冬は氷点下15~16度になったでしょ。水道の設備もない時代ですから、井戸はみんな凍っちゃうので、洗濯に一番困ったらしいんですよ。それで、みんなあったかい温泉が湧いているところに行って、みんなでワイワイバシャバシャ洗濯したもんで、通称洗濯池って名前になっちゃったという(笑)。

飯出 まぁ、30度そこそこの温度だったんでしょうね、きっと。それは自噴してた?

深沢 自噴してた。

飯出 それで時代が遡って、ダムが1957 (昭和32) 年にできて、全部埋まったわけじゃないですか。

深沢 ダムの設計の説明があったときに、そこがダムに沈む位置だったもんですから、そのとき私の親父とか、奈良田の人が何人かで組合みたいなの立ち上げて、その温泉もったいないからボーリングしようというということで、結構何本も掘ったようですよ。今では考えられないような細いパイプで、自分たちで掘って、5~6カ所掘ったようで、そのうちの1本が成功した。

飯出 それを元に、お宿を開業したということ?

深沢 そうですね。じゃあ誰がやるかっていうことで、うちの親父が手を挙げて。

飯出 あぁ、そういうことなんですね。白根館の開業は1962 (昭和37) 年ですよね。

深沢 あ、面白い写真があります。温泉が出たときの!

飯出 おぉ。

深沢 これ、こんな小さい風呂桶で。入ってるのが私の親父です。

奈良田温泉白根館/ボーリング成功記念写真

飯出 ヘぇ~。似てますねぇ、やっぱり。

深沢 昭和34年9月28日。

飯出 お父さんのお名前、なんておっしゃったんですか?

深沢 菊男です。それにしてもこの写真、若いですね。

飯出 いいですねぇ、この風呂!あったら、入りたい!(笑)

深沢 この風呂も木で全部作ったみたい。この辺の人はね、何でも自分で作ったんです。自給自足だから。鍛冶屋さんもいて、刃物でも農作業で使う道具でも全部自分で作った。今でもね、みんな何でもやりますよ。私もやるけど(笑)。

飯出 やらないと生きていけないんですよね。

深沢 そうなんですよ、ここは。

 

都会の生活になじめず、やむなく帰郷

飯出 深沢さん、何年生まれですか?

深沢 1949 (昭和24) 年1月24日。

飯出 じゃあ、僕とは1学年違うだけですね。で、深沢少年は、中学まではこっち?

深沢 はい、中学まで。

飯出 結構、子供いたでしょ?その頃。

深沢 いましたよ~、何人いたかな、西山地区だけで一つの学校ですから。小学校1年生の頃は、今公民館になっているところにあった、西山小学校の奈良田分校に通ってましたから。2年生までそこ行ったんですけど、3年生の途中から本校に合併になって、バスで通うようになったんです(笑)。

飯出 分校で何人くらいいたんですか?

深沢 う~ん、10人くらいいたんですかね。当時はダムの建設工事真っ最中でしょ、工事屋さんの子供も一緒だったから。

飯出 高校は?

深沢 高校から甲府に。この辺の人はみんなそうなんですよ。親戚にやっかいになったり、下宿したり。

飯出 深沢さんは?

深沢 うちは、親父が甲府に土地持ってたんですよ、そこに掘建小屋作って、私のおばあさん、曾ばあさんと一緒に甲府で暮らしてたんです。

飯出 それは、普通高校?

深沢 いや、工業高校です。甲府工業高校。

飯出 あ、甲府工業高校ってプロ野球選手いましたね?

深沢 いました。同級生です。同じ、深沢って言うのが3人いて、そのうちの1人が野球部ででっかいヤツで。

飯出 それで、工業高校で何を学んだんですか?

深沢 ただ、遊んでただけ(笑)。

飯出 ははは。何学科?

深沢 機械科です。当時は、結構そういうの好きで、車バラしたり、自転車やバイクとかバラしたりするのが好きで。

白嶺館深沢さんと温泉達人・飯出敏夫

飯出 それで、機械科を卒業してすぐ東京に出たんですよね?

深沢 いや、すぐじゃないですよ。勉強はできなかったから、大学は行かなくて、最初は目標も何もなかったのね、親の言いなりにやって公務員の試験を受けたんです。山梨県職員だったんですよ。

飯出 県の職員!?

深沢 はい、お恥ずかしながら。

飯出 それは何年いたんですか?

深沢 2~3年かな。もう、すぐ嫌になって辞めちゃった(笑)。

飯出 え、やんなっちゃったんですか?

深沢 もう、イヤだったですね~。ろくな仕事がないし、仕事しないで給料もらうのがすごくイヤでね。残業してないのに、その当時は残業手当とか出るんですよ。出張してないのに、出張手当とかどんどん。みんな嬉しいと思うんですが、俺あんまり嬉しくなかったですね(笑)。納得できる仕事がなかったんです。

飯出 どんな部署だったんですか?

深沢 土木にいたり、色々でしたね。で、すぐイヤになって、私のおじさんが会社起こすっていうんで、親父にも出資を頼まれて。それで私も手伝ってくれって頼まれたもんですから、俺そっちの方がずっといいやって(笑)。

飯出 それが、コンピューター扱ってたんですか?

深沢 そう。今、でっかくなって一部上場ですからね。アイエスビーって会社です。

飯出 ヘぇ~。じゃあ、今そこに残ってれば取締役とか?

深沢 どうかな(笑)。今、そこの社長は従兄弟がやってるんですよ。始めたとき、4人だったからね、すごいですよ。

飯出 なるほど。場所はどこにあったんですか?

深沢 東京ですよ。五反田です。

飯出 そこで、手伝うことになったのは20歳くらいですよね?

深沢 そうですね。25歳までそこで働きました。長男が産まれて、都会もやっぱり合わなくて帰ってきたんです。

飯出 あ、そんなに早く結婚したんですか。奥さん (友規子さん)、どこで見つけたんですか?

深沢 横浜で(笑)。

飯出 横浜? ナンパしたの?(笑)

深沢 いやいや、職場で一緒だったんです。色々な会社に出向に行くんですよ。

飯出 あ、出向先で。で、すぐ手を出して、子供作って(笑)。

深沢 ははは。今でもまだ言うもんね、騙されたって。

飯出 今でも言いますよね。冗談半分に(笑)。

深沢 こんな山奥に連れてこられてって、今だに言われる(笑)。

飯出 で、25歳で父親になって、東京で所帯持ったわけでしょ?

深沢 はい。最初はね。横浜に住んでました。もう、田舎もんだからね~、混雑がイヤなんですよね。切符買うのに、並ぶのがイヤで、すごいストレスでね。自由に山歩くんでないと(笑)。

飯出 とてもよくわかります(笑)。

深沢 会社行くのも、時間ずらして行ってました。ラッシュは避けて、10時くらいの出勤で、帰りは遅くに。

飯出 戻るっていう気持ちは、もう高校行ったときからあったんですか?

深沢 いや、都会行ってみて、田舎の方がいいなって思うようになりましたね。

飯出 長男だからいずれ継ぐんだろうな、っていう気持ちはありました?

深沢 それは、もちろんあったんですけどね。

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