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Vol.17/那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル・廣川 琢哉

栃木県の旅館業界を牽引するサラブレッドの素顔に迫るインタビュー

江戸時代に流行した温泉番付で現存最古とされるのが、1817 (文化14) 年発行の「諸国温泉功能鑑」。
そこで東の大関「上州草津ノ湯」に続く関脇にランクされているのが「野州那須ノ湯」、すなわち那須湯本温泉である。
その日本を代表する古湯であり名湯を代表する老舗が現在の「松川屋 那須高原ホテル」だ。
サラブレッドとしての宿命を背負って奮闘する、7代目御曹司の今に迫るインタビュー。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル・廣川 琢哉
廣川 琢哉 (ひろかわ たくや) /1967 (昭和42) 年7月1日、那須湯本温泉の老舗旅館「松川屋」の長男として生まれる。地元の中学卒業後、高校は東京都八王子市にある聖パウロ学園に進学し、大学は日本大学農獣医学部で食品経済を専攻。さらに東京YMCAホテル専門学校で学んだ後、奥湯河原の高級旅館海石榴で修業してから松川屋に戻り、30代で松川屋7代目を継承。てるみ夫人、2男の父。栃木県の旅館業界を牽引するリーダーと目され、JR旅館ホテル連盟栃木支部長、那須町観光協会会長、「とちぎ にごり湯の会」会長など、数々の役職も務める。

 


那須湯本の湯は飛鳥時代の発見!?

飯出 那須湯本温泉の発見は何年頃って言われてるんですか?

廣川 西暦630年ですね。

飯出 大化改新前?

廣川 そうですね。

飯出 日本の三古湯は日本の道後温泉、白浜温泉、有馬温泉って言われてますけど、ここもほとんど匹敵してますね。

廣川 まぁ、歴史的に見ると32番目って言われてるんだけど。

飯出 へぇ、そうなんですか。

温泉達人・飯出敏夫

廣川 鹿の湯の資料なんかにはそう書いてあるから、誰かが調べたときに32番目だったんでしょうね。

飯出 一番、古いのはどこになってるんでしょうね?

廣川 熱海とかあの辺は古いですよね。

飯出 熱海って、そんなに古いですか?

廣川 けっこう古いですよ。

飯出 温泉業界的には、三古湯は道後温泉、白浜温泉、有馬温泉になってるんですけどね。

廣川 なくなっちゃった温泉もあるんですよね、その中に。

飯出 もちろん、たくさんあるでしょうね。

廣川 那須湯本温泉は、栃木県では一番古いと言われてるんですけどね。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/鹿の湯源泉
▲名湯「鹿の湯源泉」が加温・加水・循環ろ過・塩素消毒すべて無しの完全かけ流し。

 

江戸時代に創業された松川屋

飯出 松川屋さんは、昔はこの下の通りにあったんでしょ?

廣川 この裏の下の通りですね。元々はもっと下の川沿いだったんですよね。何回か山津波で流されて。

飯出 この場所に移って、この建物になったのは何年ですか?

廣川 1967 (昭和42) 年ですね。その頃はここと下の通りのほうの両方やってました。

飯出 あ、通りにもあったんですか。

廣川 こっちを新しくして、下を少し安くして学生さんとか泊まってましたね。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/外観
▲以前は、8階建て「五峰館」と7階建て「八州館」が並び建つツインタワーだった。

 

飯出 その建物は今どうなってるんですか?

廣川 今、更地になってますね。

飯出 なるほど。松川屋さんが創業されたのは何年って言われてるんですか?

廣川 まぁ、安政 (1854~60年) の何年かですね。

飯出 そのときに湯宿を始めたんですか?

廣川 宿坊って書いてありますね。山岳信仰で南月山 (みなみがっさん) って山があるんですけど、元々山形の月山寺の代わりに、そこまで行けない人はここに。

飯出 あ、その宿坊として始まったんですね。ここのお宿が出来たときには松川屋さんは最初からあるって感じでしょ?

廣川 まぁ、その前にもあったんでしょうけどね。一番古い昔の地図とか見ると松川屋、小松屋、清水屋、立花屋とか、その辺は古いですね。

飯出 松川屋さんは今あげた3軒のお宿と同じ頃なんですかね?

廣川 同じ頃でしょうね。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/外観
▲現在は8階建て「五峰館」だけになったが、それでも那須湯本温泉では最大規模だ。

 

30代後半にして7代目を継承

飯出 そうなんですか。廣川さんは何代目になるんですか?

廣川 私は7代目ですかね。

飯出 お父さん、確か日本温泉協会の会長をされてましたよね。短い時期だったような。それで亡くなっちゃったんですか?

廣川 そうです。(会長を務めたのは) 2年くらいじゃないですか。

飯出 亡くなられたのは何年ですか?

廣川 ちょうど5年前になるかな。

飯出 そうすると、廣川さんは、お父さんがご存命のときにここを継がれたんですか?

廣川 そうです。私が継いで14~15年は経ちます。

飯出 廣川さん、何年生まれですか?

廣川 1967 (昭和42) 年。今年53歳です。

飯出 若い! ということは、生まれた年にこの建物が完成したんですね。

温泉達人・飯出敏夫

廣川 そういうことになりますね。

飯出 しかも、30代から社長さんですね?

廣川 そうです。30代後半ですね。地域も人がいないから旅館の組合長もやってましたね。全国で一番若い旅館組合長だったんじゃないですかね。

飯出 この場所で産まれたんですか?

廣川 うちのお袋が茨城の古河なんで、そこで産まれて、すぐこっちに来ました。

飯出 お母さんの実家で産まれたんですね。廣川さん、何人兄弟?

廣川 3人の長男。弟がうちの調理長、妹が南ヶ丘牧場の嫁です。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/男湯の露天風呂
▲那須野ヶ原を一望にする抜群のロケーション。男湯の露天風呂からの展望も見事だ。

 

酒豪の奥さんに息子が2人

飯出 奥さん (てるみさん) は確か幼馴染でしたよね?

廣川 2つ下で、同じ地元ですね。

飯出 いつ頃から知ってたんですか?

廣川 昔からいたのは知ってるけど、しゃべったりする感じではなかった (笑)。

飯出 え、そうなんですか?なんか (加仁湯の) 輝ちゃんの話だと、「栃木の3てる」って言ってましたよ。これは、呑んべえトリオってこと(笑)?

廣川 呑んべえだし、呑むとすごいよー(爆笑)。

飯出 恋愛結婚ですか?

廣川 えぇ、そうですね。あるときに(笑)。

飯出 あるとき?(笑) 学生のときはそんなに知らなかった?

廣川 知らなかった(笑)。たまたま、嫁が那須の観光協会の事務局やってたんですよね。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル・廣川 琢哉

飯出 へぇー、そうなんですか。

廣川 元々は小学校の先生やってたんだけど、実家に帰ってきて地元の市役所に勤めてて。

飯出 それで親しくなったんですか?

廣川 えぇ。そうですね。30歳で結婚しました。

飯出 今、お子さんは?

廣川 男2人。今春、長男は大学生に入学し、次男は中学2年生になりました。

飯出 継いでくれそうですか?

廣川 いやぁ~、継がなくていいよって言ってます。自分でやりたいことやりなって。上の子は高校生のときから、英語がペラペラなんですよ。街歩いている外国人に普通に声かけてしゃべってたりして。

飯出 へぇ。高校って、特殊なところに行ってたんですか?

廣川 いえ、宇都宮の私立高校ですけど。英語が好きみたいで、英語研究会とかディベート部とかに入ってやってるうちにね。

飯出 宇都宮の高校って通えないですよね?

廣川 アパートで一人暮らしです。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/女湯の内湯
▲女湯の内湯の大きなガラス窓は一幅の絵のようで、しかも2種類の湯が楽しめる。

 

高校から上京して青春を謳歌

飯出 廣川さんは、高校はどちらに?

廣川 私は八王子の山奥。

飯出 八王子!?八王子の山奥にそんな高校があったんですか。

廣川 全寮制の高校があったんですよ。私とか、たまたま鬼怒川温泉のあさやの社長とか、上山田温泉から来てた旅館の息子とか、別所温泉の上松屋の息子とかも通ってて。

飯出 なんて学校ですか?

廣川 聖パウロ学園っていう。昔は男子校で、今は共学になってます。

飯出 なんでまた、そこへ行ったんですか?

廣川 いやぁ、地元には行きたくないし、自分で探して。

飯出 へぇ、意外です。大学は?

廣川 日大で農獣医学部の食品経済。キャンパスは、藤沢と三軒茶屋に通いました。最初、叔母の家から通ってたんですが、弟も東京出てきてから一緒にアパート借りて住んでました。

飯出 それも意外だなぁ。青春してたんですね(笑)。

廣川 楽しくてね。大学出てから、東京YMCAホテル専門学校にも行ってますからね。

飯出 専門学校出てから戻ってこられたんですか?

廣川 奥湯河原の山翠楼、海石榴 (つばき) に2年半いたのかな。

飯出 海石榴にいたんですか?あの高級旅館の?海石榴が最も良い頃ですよね?

廣川 良い頃ですね。

飯出 当時、普通の宿の値段が1万円くらいだったころ、5万円はしてましたよね。

廣川 はい。すごくお客さん入ってました。

飯出 海石榴で修業して戻られたんですね。

廣川 そうです。


▲2つある貸切風呂 (有料) は完全に湯を入れ替える方式で、常に一番風呂を独泉だ。

 

高台に偉容を見せる建物ならではの苦悩

飯出 戻られたときは、もうツインタワーの建物だったんですか?

廣川 はい、そうでしたね。

飯出 これだけ器が大きいと苦労されますよね? (ツインタワーのうちの1棟を) 取り壊したのは何年前ですか?

廣川 東日本大震災の後、2013 (平成25) 年かな。小さくしてからの方が楽ですよ。

飯出 でしょ?(笑)

廣川 冬なんて、どんな大きくたって小さくたって、入る人数増えなきゃ暖房費も一緒だから(笑)。

飯出 大決断でしたよね?しばらくの間、どうしたもんかなぁ、って言ってましたもんね。今、大変なことは?

廣川 今、一番大変なのは人。

飯出 やっぱりそうですか。従業員を募集してもなかなか来ないとか。

廣川 うちは派遣で入れてるんですけど、派遣はちゃんと来てくれます。

飯出 派遣で頼むと人件費は1.5倍くらいですか?

廣川 そうですね。

飯出 僕がインタビューで訪ねたところは、従業員が集まらなくて手が回らないから、部屋は空いててもお客はここまでしか取れない、ってところが何軒もあります。

廣川 東日本大震災以降新しくオープンしたホテルや旅館は、従業員が集まらなくて6~7割稼働くらいですから。

飯出 なるほど。

廣川 我々はなんとか回してるけど、利幅がどんどんなくなるからね。

飯出 外国人スタッフはどうなんです?

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/貸切風呂「一の湯」
▲こちらは貸切風呂「一の湯」。宿泊客は40分・3300円で、極上の湯を独泉できる。

 

廣川 うちは積極的に入れます。今は、台湾の女の子がフロントにいます。

飯出 へぇ。この建物は7階建てですよね? 客室は何部屋稼働させてるんですか?

廣川 全部で27部屋。

飯出 意外と少ないですねぇ。この建物だと27部屋ではもったいない気がしますね。このロビーもめちゃくちゃ広いですし。でも、ある意味、そのくらいの部屋数がいいとこなのかなぁ。

廣川 今、旅館は宴会取らないところとかありますよね。宴会やると人件費が上がっちゃうんで、バイキングスタイルだったらいくらでも取るけど、という。

飯出 今、どんな風な宿にしていこうという考えなんですか?

廣川 難しいよね。わりとこんな宿、あんな宿ってするよりは、いろんなところで (お客さんを) 取っていくほうが地域のためには良いんだよね。完全にセグメント (区分) しても良いんだけど、そういう宿ばっかり増えてもダメだしねぇ。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/夕食
▲夕食の楽しみのスキヤキまたはしゃぶしゃぶ。プランにより部屋出しか、食事処で。

 

那須湯本温泉は春の新緑が一番

飯出 廣川さん、今、観光協会長でしょ?

廣川 はい、那須町観光協会の会長です。あと、JRの旅館ホテル連盟の栃木支部長。あと、諸々やってます(笑)。

飯出 あと、「とちぎ にごり湯の会」の会長もですね。

廣川 最近、日帰りのお客さん多いんですけど、前よりかけ流しの湯にこだわるお客さんが増えて来ましたね。にごり湯でもにごり湯じゃなくても良いんだけど、かけ流しに入りたいんです、っていう。

飯出 なるほど。で、那須湯本全体として、お客さんの動きはどうですか?

廣川 芳しくないんじゃないですかね。観光協会の中でも、もう少し温泉をフューチャーしようよって言ってますね。ペンションとか温泉じゃないところが増えてきて、温泉で売るっていうのをしばらく抑えてたんですけどね。

飯出 いやぁ、私は、一般的に那須湯本温泉の評価は不当に低いと思います。どう考えても。

廣川 そうですよね。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル/女湯の露天風呂
▲女湯の露天風呂。展望は開けないが、樹木に囲まれた静かな湯浴みが堪能できる。

 

飯出 本来、栃木県で注目されるべき温泉は、那須湯本か奥日光の湯元だと思うんですよね。

廣川 歴史的に見ても、温泉の湧出具合から見ても、そうなんですけどね。

飯出 廣川さん的には、那須で一番好きなシーズン、おすすめの頃はいつですか?

廣川 みなさんそれぞれでしょうけど、春先の新緑の頃が良いですね。芽吹きの頃が好きですね。お客さんからすると、夏とか秋が良いんでしょうけども。

飯出 新緑はいつ頃ですか?

廣川 5月のGWはまだ桜が咲いていますから、5月中旬以降ですね。紅葉のピークは11月に入ってからでしょうね。

飯出 ここでも春は山肌にツツジが咲くんですか?

廣川 えぇ、見えますよ。山ツツジですね。

飯出 山ツツジの花は鮮やかなオレンジ系の綺麗な色ですよね。

廣川 そうですね。那須湯本の白濁した湯に映える新緑の美しさ、それをぜひ観に来ていただきたいですね。

那須湯本温泉 松川屋 那須高原ホテル・廣川 琢哉さんと温泉達人・飯出敏夫

 

…あとがき…

那須湯本温泉で、もっとも贅沢な湯づかいをしているのは、湯元である共同浴場「鹿の湯」と、ここ松川屋で間違いないだろう。
那須湯本の宿はほとんどが大通り沿いか湯川沿いの谷間にあるが、松川屋はこれらを俯瞰する小高い台地の上に建つ。
なので、谷間の「鹿の湯源泉」を引く上では条件が良くないのに、その給湯量はすごい。
那須湯本温泉ではもっとも大きな湯船に、加温なし・加水なし・循環ろ過なし、塩素消毒なしの完全源泉かけ流しで注ぐ。
しかも、毎日換水。
その贅沢感こそ、この宿の真骨頂である。
私が廣川さんに初めてお会いしたのは、今から10数年前。
廣川さんが会長を務める「とちぎ にごり湯の会」の会合に招かれたのが最初である。
以後、縁あって毎年数回お会いしているが、鷹揚とした大人 (たいじん) の風格、という印象は変わらない。
常に穏やかな笑みを浮かべ、泰然としている。
老舗宿の長男に生まれ、30代後半でこの大身代を継承した御曹司。
しかし、その道のりはけっして順風満帆ではなかったはずだ。
バブルの崩壊、東日本大震災、そしてツインタワーを1棟に整理したことなど見ても、相当な苦労をされたに違いない。それでも、そんな苦労は微塵も感じさせない。
サラブレッドが持つ品格とは、きっとこういうものなんだろう。
栃木県の宿泊業界は心強いリーダーに恵まれたものだ、とお会いするたびにいつも思う。

(公開日:2020年5月2日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

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那須湯本温泉・松川屋 那須高原ホテル

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