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vol.6/天城湯ヶ島温泉 落合楼村上・村上 昇男

伊豆・湯ヶ島の国の登録有形文化財の名宿を継承した、湯守の覚悟とは?

川端康成、井上靖文学にもっとも深い影響を与えた中伊豆の名湯、それが天城湯ヶ島温泉である。
猫越川と本谷川が落ち合い狩野川となる合流地点に、国の登録有形文化財の重厚感あふれる宿がある。
創業は1874 (明治7) 年、金山の経営者が訪問客の迎賓館として建造したと伝わる国の登録有形文化財の名宿である。
伊東温泉の老舗宿の娘と結婚し、その継承者となるはずだった運命が一転。
この伊豆を代表する天城湯ヶ島温泉の名宿を継ぐことになった、湯守の心意気に迫るインタビュー。

天城湯ヶ島温泉 落合楼村上・村上昇男

村上 昇男 (むらかみ のりお) /1964年、伊豆半島の付け根に位置する静岡県長泉町に農家を営む小坂家の次男として生まれる。東洋大学工学部卒業後、地元の電機メーカーに勤務。1991年、27歳のときに伊東温泉の老舗「いづみ荘」の長女伊津子さんと結婚。専務として旅館業を担うが、予期せぬ出来事により1998年旅館を退任。独立していたが、2002年春、天城湯ヶ島温泉の老舗宿を継承することとなり、同年11月に落合楼村上として再出発し、今日に至る。現在、天城湯ヶ島温泉旅館組合の副組合長を務める。(2017年1月現在)

 


伊東温泉の老舗に転職!?

飯出 村上さん、何年生まれですか?

村上 1964 (昭和39) 年12月24日のクリスマスイブ生まれでございます。

飯出 ということは、現在53歳ですね。お生まれは伊東市なんですか?

村上 生まれは、長泉町といって三島市の隣町ですね。そこで、祖父母の代からずっと米や野菜を作ってきた農家の息子です。まぁ、次男ですからね、ずっと好き勝手できた感はあります。

飯出 なるほど。兄弟は何人ですか?

村上 兄と2人です。

飯出 ちょっと話が飛ぶんですけど、それで伊東で名旅館を経営されていたんですよね?

村上 家内の実家で、義理の両親が伊東温泉で「いづみ荘」という旅館をやっておりまして。

飯出 あーっ、そういうわけなんですね(笑)。老舗なんでしょ?

村上 私が当時入ったときで創業80年でしたから、大正3年くらいの創業だと思います。

飯出 私、「いづみ荘」さんには伺ったことないんですけれども、相当な高級旅館なんでしょ?

村上 義父母が営業していたとき、最初の頃は昭和何年ごろかわかりませんけれども、宿泊代が1人9000円くらいという旅館から出発し、父と母がいろいろ改革をしながら、最終的には1人2万5,000円くらいでしたね。

飯出 そのご両親というのは何代目ですか?

村上 3代目ですね。で、僕らが4代目のはずだったんですけどね。

飯出 はずだった?ってことは、4代目を継ぐ前にいろいろあったんですね?

村上 義理の叔父が継ぐことになり、私たちが継ぐ必要がなくなってしまって、外に出ることに…。結局、その後「いづみ荘」は星野リゾートの「界伊東」に変わってしまいました。

飯出 そうなんですか。村上さんたちが「いづみ荘」を離れたのは何年頃?

村上 1998 (平成10) 年ですね。

飯出 まだそんなに経ってないですね。村上さんが奥さま (伊津子さん) と結婚される前は何をされてたんですか?

村上 大学卒業後は電気メーカーに勤めました。地元に大きなセブンイレブンのレジ作っているメーカーがありまして、今の会社名は東芝テックになってますが、そこでサラリーマンをずっとしておりました。

飯出 サラリーマン生活はどのくらい?

村上 6年ぐらいですかね。

本谷川と猫越川の合流点
▲上流の「出会い橋」から見た本谷川と猫越川の合流点。左岸に「落合楼村上」がある。

 

飯出 大学は東京ですか?

村上 埼玉の鶴ヶ島という田舎にある東洋大学の工学部です。4年間、陸の孤島で暮らしておりまして(笑)。

飯出 その工学部では専攻は何を?

村上 機械工学を。

飯出 あぁ、それで電機メーカーに勤められて。奥さまとはどういうなれそめですか?

村上 私の会社の先輩の友だちでした。会社の先輩が伊東市の宇佐美出身の方で、家内は伊東市内ですから。ウィンドサーフィンのサークルの仲間の1人だったようで。

飯出 え、村上さん、ウィンドサーフィンしてたの?(笑)

村上 私はサーフィンのほうです。

飯出 波乗りやってたんですか。奥さんは長女?

村上 はい。3姉妹で、男は誰もいなくて。長女として跡継ぎだということで。その頃、彼女はホテルオークラに勤めていて。

飯出 結婚を機に戻られたんですか?

村上 そうですね。ホテルオークラの予約にずっといましてね。

落合楼村上/村上昇男・伊津子ご夫妻
▲館主の村上昇男・伊津子ご夫妻。絵に描いたようなおしどり夫婦とお見受けした。

 

湯ヶ島の老舗宿を継承することになった経緯

飯出 で、その1998 (平成10) 年に「いづみ荘」を離れたとき、落合楼はどういう状態だったんですか?

村上 伊東の旅館をやっているときは、「落合楼」の息子さんとは青年部で交流があったので、当然ここに旅館があることは知ってましたけれども。僕らの方は旅館から離れて独立後3年ぐらい経っていましたし、「落合楼」がどういう状況で、どんな風になってるかはまったく知らなかったですね。

飯出 え!そんなに間があったんですか?何の仕事してたんですか?

村上 結局、自分ができることを考えて、パソコンを人に教えるようなトレーニングスクールのようなことを伊東でやり始めて、しばらくして職業訓練校の講師みたいな形でやって、しばらくはそれでずっと生計を立てていましたね。

飯出 なるほど。そんなときにここが売りに出ているのを耳にされたというわけですね?

村上 というか、金融機関からのお話ですね。伊東の「いづみ荘」から出るときのメイン銀行の、当時伊東の支店長さんだった方が3年経ったときに、本部に移られて企業再生部の部長さんをやられていて、3年ブランクがあった中で、突然私たちの前に現れて「元気にしてるか?」と(笑)。「今、何やってるんだ?まだ旅館をやる気はあるか?」と声をかけていただいたのが、きっかけで。

飯出 そのときは、もうここはやめてたんですか?

村上 まだ営業されていました。2002 (平成14) 年の5月頃に、私たちに声をかけていただいて。金融機関も、1日でも早く処理を進めたいという状況ではあったようですね。

落合楼村上「眠雲亭」3階「桐壺」の間
▲宿泊棟「眠雲亭」3階の「桐壺」の間。ツインベッドの寝室もある和洋室だ。

 

飯出 その時は、向こう (対岸の鉄筋建ての建物) もこっち (現在の落合楼村上) も両方やっていたんですね?

村上 そうですね。前経営者は、「この文化財の建物を維持して継続して営業される方がいらっしゃれば、自分は喜んで身を引きます」ということだったようですね。それで最初に声をかけていただいたのがきっかけで。

飯出 それで奥さまと、どうしようかって話になったわけですよね?

村上 まあどうしようかというか、うちのカミさんも、両親も、また旅館ができるという思いがあるから、何の条件もなくウェルカムなわけですよね(笑)。

飯出 あーなるほど(笑)。 資金のこともありますしね。

村上 はい、私は事業性があるか、考えなきゃいけないですから。それを見たら間違いなく100%無理に思えるし、いろんな方に相談しても「やれるわけないよ」と言われていて。実際にお金の制限もあるわけですよね。前経営者の負債総額が10億ぐらいだったのを、私たちが買い取ったのが2億7700万という金額でしたから。

飯出 結構、いい金額ですよね。借り入れになりますよね?

村上 はい。私個人では無理なので。最終的には、声をかけてくれた金融機関と政府系金融機関、村上家の合計3者が出資し、株主として議決権を持つ形で運営していくことに落ち着きました。

飯出 それでも、借金してスタートするわけですから、大きな決断ですよね。

 

落合楼村上/大広間「紫檀の間」
▲豪華な雰囲気の大広間「紫檀の間」。グループの食事処や結婚披露宴などに使われる。

 

継承を決断させた奥さまの一言

飯出 すごいですね。それは相当すごいと思うけど、そこに踏み切ったいちばんの思いは何だったんですか?

村上 仕事として成り立つかどうかわからないですから、私1人だけずっとバック踏んでたんですけど…。

飯出 それでも、決断したのは?

村上 あるときに女房がポツリと、「両親が旅館をずっと長年やって、曾おばあさんの代から続けてきた中で、旅館から離れてまったく縁もゆかりもなくなってしまったので、両親には何もなくなってしまった」と。我々もそうですけれど。で、「このままもし落合楼をやらなければ、両親は普通に亡くなっていくだけだけど、もし落合楼やっているとすれば旅館の関係者として最後を終わらせることができるかもしれない」。そんなことを女房から言われると、それはもうやんなきゃしょうがねぇな、っていう感じになってしまって(笑)。

飯出 はぁ~、なんか泣かされる話ですねぇ(笑)。それで、引き受けて、ある程度は手を入れたんですか?

村上 玄関が川向こうの7階建ての方を使っていて、こちら側の玄関は50年以上使われていなかった玄関なんですね。春に声をかけていただいて、最終的に決断したのは7月に決断しましたから、譲渡を受けたのが9月1日なので2ヵ月間で構想を練らなければいけなかったんですね。どうやってお客さんをお迎えしようとか、どうやってオペレーションしていこうかっていう。オペレーションを決めたら、どこをどう改装していくのかということを、その2ヵ月で手配まですべて終わらせなければいけなかったので、今考えてみたらどうやってやったのか思い出せないくらい特別なことをしてたんだろうなぁと。

飯出 バタバタっと決まっていったんですね…。

村上 はい。結局、ここの玄関を使ってお迎えをしようというところと、大浴場が昔は混浴だったんですね。左側から男性、右側から女性というカタチで洞窟と天狗の湯 (露天風呂) の先がつながっていて。今は男性と女性で交替してますけれども。それと、タイル風呂の方もかなり変則的なお風呂の造りになっていたので、お風呂の改装もしなきゃいけないねということで。あとは、今は小上がりの旅館になっていますが、絨毯剥がしたらのりで貼り付けられていたので、板の間を再現できなかったんですね。それで結局、絨毯の張り替えとか、最終的に扉とかそういうところぐらいしか替えられずに…。

落合楼村上「モダンタイル風呂」
▲男女交替制のもう1つの浴場「モダンタイル風呂」。外に半露天風呂も併設。

 

飯出 たった2ヵ月間ですからねぇ。エレベーターは前からあったんですか?

村上 前からありました。ですから、ほとんど2ヵ月間はお掃除だけですね。9月1日に継承して、11月1日にオープンしてますので、2ヵ月間のうち、最初の半月でいったん中の物を全部移動して、1ヵ月で建物もお風呂も簡単にお化粧しなおしたりして、壁を修理したり障子貼り替えたりっていう程度で。水回りは一切触らずに。

飯出 まぁ水回りを触らずに使えたっていうのは、ある意味良かったですね。放置されていたらそうはいかないから。

村上 そうですね。営業されていた翌日から引き受けて改装スタートしましたから。

飯出 へぇ(笑)。

落合楼村上/貸切大露天風呂
▲一度に10人以上入れる貸切大露天風呂(40分、無料)。利用はフロントで要予約。

 

継承後「落合楼」2軒の大問題

飯出 その時は向こう (川向こうの鉄筋建ての建物) も営業してたんですか?

村上 そうです。

飯出 それで、村上さんはこっちだけを引き取ったわけでしょ?

村上 そうですね。3年ぐらいは向こう側も借りて使わせてもらえてたんですよ。(川を跨ぐ) 渡り廊下もつながっていたので、お客さんにご利用いただいてたんですけど。

飯出 そうなんですか。

村上 その後、向こうのビルを競売にかけられ、買い取られた東京の方がいらっしゃって、「眠雲閣落合」っていう名前で運営してました。その前は、「湯ヶ島落合楼」っていう名前で運営されていましたので、「落合楼」が2軒(笑)。

飯出 それは、金融機関からお話があったときは向こうとはっきり離れてたんですか?

村上 そうです。

飯出 向こうは、別の人が買ったってことですね?

村上 そうです。向こうはずっと塩漬け状態だったはずが、裁判所の競売物件になって。もともと落合楼っていう名前は、前のオーナーから独占的に僕らが使える形になっていたんですけど、いろいろずるがしこいというか、いろんなことをこじつけて、「落合楼」という名前を自分たちが使えるんだと。実際には前経営者が「落合楼」というのを商標登録されてなかったんですね。

飯出 なるほど…。

村上 そしたら、向こうのビルを買った人が、「落合楼」という名称を商標登録申請してしまっていて。僕らは商標登録をする必要が無いものと思っていたところが、先に商標登録をされてしまうんですよね。それで、裁判沙汰になって。ただし、やっぱり悪いことが出来ないというか、周りの地域のみなさんに「落合楼」というのは前経営者から譲り受けた我々がずっと繋いで営業していっているんだということを、みなさんに署名していただきたいということで署名活動をしたんですね。そしたら周りの皆さんに署名していただけて、向こう側の「湯ヶ島落合楼」という名前で営業していた方々が商道徳に反することをしていると、ようやく皆さんにわかってもらって。そうすると、働いてる地元の人たちも何人かいらっしゃって、自分たちがそういうところで働いているんだということで、そうとう動揺されたそうなんですね。

飯出 それはそうですよね。

村上 それで、先方が泣きを入れてきて「署名活動はやめてください。商標は返すから」ということで。その代わり、「眠雲閣落合楼」という名前だったので、「眠雲閣」と「落合」を使わせてほしいということで、「眠雲閣落合」に。

飯出 まぁ、それもどうかと思いますけどねぇ(笑)。

村上 もう、そのときには、僕らも裁判なんてするの初めてのことですから、いいかげん早く終わってほしいということもあって妥協しちゃったんですよね。

飯出 で、示談で終わりにしたわけですか?

村上 はい。不正競争防止法という法律で、僕らの方から提訴したんですけど。

飯出 ここで営業しているときと同じ時期だったんですか?

村上 「落合楼村上」として営業して3年後ですね。

飯出 あ、3年後に…。

村上 それで、競売で買ったオーナーが営業する半年前くらいに「落合楼」の名前を僕らが使うからあなた方は使えないかもしれないみたいなことを言い始めて…。

飯出 結局、今あれは廃墟?

村上 はい。結局は、立ち行かなくなって破産して廃墟になってしまいましたね。

飯出 それもだいぶ前ですよね?

村上 4年か5年経ちますかね。

飯出 両方の建物で営業しているときはちょっと知ってるんですよ。どうなってるんだろうなと思いながら、そんなことは認識してなかったんですけどね。

村上 もう、タクシーの運転手さんたちも「上の落合楼」、「下の落合楼」とかね(笑)。

飯出 そうですよねぇ。

村上 「落合楼」はうちだけですからって言ったりして。非常に辛い時期でしたね。

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