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vol.5/高湯温泉 吾妻屋・遠藤 淳一

高湯温泉の湯元の1軒、泉質抜群の希少湯を守り、包丁を握る老舗宿5代目の心意気

磐梯吾妻スカイラインの東入口、標高750m付近に湧出する高湯温泉は、かつて信夫 (しのぶ)高湯と呼ばれ、山形県の白布 (しらぶ) 高湯 (白布温泉)、最上 (もがみ) 高湯 (蔵王温泉) とともに“奥州三高湯”と称された名湯である。
その魅力は、毎分3258ℓもの自然湧出泉。
しかも自然流下で適温となる湯で、10施設すべてで源泉かけ流しを堅持しているところにある。
その湯元であるだけに、吾妻屋の風呂の充実度はすごい。
客室数10室に抑えているので、ほとんどの風呂が貸し切り状態で利用できる贅沢さは、まさに温泉三昧の宿だ。
しかし、老舗と湯を守る苦労は、凡人には計り知れないものがあるに違いない。
その湯守の生きざまに迫るインタビュー。

高湯温泉 吾妻屋・遠藤淳一

遠藤 淳一(えんどう じゅんいち) /福島県福島市、高湯温泉の老舗「吾妻屋」の長男として、1955年6月に生まれる。学生時代はスキーの名手として知られ、大回転や滑降を得意とし、県大会優勝、インターハイや国体出場の常連となるなど、スキー三昧の青春時代を送ったあと、老舗の5代目を継承した。福島県温泉協会長、「日本温泉協会」地熱対策特別委員会副委員長、「日本秘湯を守る会」温泉活性化委員長・みちのく支部長、高湯温泉観光協会長などを歴任。(2017年12月現在)

 


高湯温泉の受難の時代

飯出 遠藤さん、古地図みたいなのあるじゃないですか、すごい立派な。あれはいつ頃の絵?

遠藤 明治20何年かな。

飯出 あれだと吾妻屋さん、木造3階建てで、すごい立派ですよね。

遠藤 あれは鳥瞰図で、絵ですから。

飯出 あの頃が一番賑わっていたんですかね?高湯としては。

遠藤 あそこか、あの頃から復興したというか。高湯は一度、戊辰戦争で全部焼けて。その後、みんな戻ってきて建て直ししたわけ。

飯出 ほとんど丸焼けになっちゃった?

遠藤 そうそう。安達屋さんの蔵だけが残っているという。

飯出 あ〜、安達屋さんも燃えちゃったんだ。

遠藤 そう。戊辰戦争が終わり、復興が始まってあの絵図を描く前に、今度は三島通庸っていう米沢から来た県令が奥羽線の庭坂に高湯のお湯を引っ張っていっちゃった。そこに芝居小屋とか遊郭とかそういう接待と娯楽の場所を作って、高湯のお湯をほとんど引っ張り、取り上げたんですね。

飯出 そのときは、高湯はもう宿なかったんですか?

遠藤 お湯は1/3くらい残されて、そこでみんなで協力しながら細々と。

飯出 あ、宿はあったわけだ。

遠藤 宿はやってたんです。共同浴場小さいの作ったりして。で、昔は松の木管でここから8km以上引っ張ってるから。やっぱり途中で漏れたりしますよね。

飯出 それは何年頃の話?

遠藤 明治10何年です。で、5年くらい続いたのかな。農家の人たちが温泉が畑に回ってきてもう作物できないってことで、お湯もせいぜい50度のお湯ですから、それを途中こぼしながら引っ張ったら30度くらいのお湯になっちゃうし、それで5年くらいでやめて。そこから、高湯が新たに、お湯も戻ってきたし頑張ろうってことで絵図を描いて。まぁ、あの絵はパンフレットみたいなもんです。

飯出 へぇ。高湯は戊辰戦争で焼き払われて、三島通庸が来る前に、宿は何軒かは復興してたんですか?

遠藤 そうです。あの建物はほとんど出来てた。

飯出 あ〜、あの建物ほとんど出来てたんですか。

遠藤 はい。ほとんど原型で出来てた。

飯出 結構、みんな力はあったんですね。

遠藤  そうですね。

吾妻屋・安達屋旅館/高湯温泉の中心部
▲吾妻屋(左)、安達屋旅館(中央)、共同浴場あったか湯が建ち並ぶ高湯温泉の中心部。

 

遠藤家のルーツと「吾妻屋」

飯出 安達屋さんは17〜18代目でしょ?

遠藤 はい、と言ってますね。

飯出 一番古いのは安達屋さんなんでしょ?

遠藤 旅館としてはそういう文献あるんですけど、ただ安達屋系とうちの二子塚遠藤系と両説あるんですよね。安達屋さんの開湯より古い幕府へ納めた湯銭代の納入領収証みたいなのがうちにあるんです。ただ、ここで二つの伝説を言い合ってもしょうがないので、まぁちょうどいいから400年祭は安達屋さんの起源でやろうという。

飯出 遠藤さんの先祖っていうのは、どういう人なんですか?

遠藤 うちの先祖はもともと高湯にお金を貸して、下の部落で庄屋をやってたんですよ。

飯出 いわゆる資産家だった?

遠藤 そうですね。戊辰戦争で焼ける前に、うちの先祖の実家の方で高湯にお金貸して、でも焼けちゃったし返せとも言えない。そこのお金を貸していた宿に娘さんがいたんで、婿に入って高湯で商売しろと。吾妻屋の暖簾は前からあったんですけど、うちの代から始まったのはそこからなんですよ。

吾妻屋「風楽」「山翠」の浴場棟
▲屋外には「風楽」(写真)と「山翠」の浴場棟があり、いずれも湯船は露天風呂。

 

飯出 それは戊辰戦争の後?

遠藤 戊辰戦争の後です。

飯出 吾妻屋の暖簾のところの娘さんと遠藤さんの祖先が結婚したんだ。

遠藤 まぁ、そうですね。前の暖簾の経営していた方は、もう山に行かないってことで暖簾を引き継いで。

飯出 高湯温泉が発見されたのは一応400年前っていわれてるんですよね?400年祭からもう10年も経っているから410年ですかね?

遠藤 そうです。

飯出 高湯のいまある源泉の4割くらいの権利を遠藤さんのところで持ってるんでしょ?

遠藤 そうですね。

飯出 高湯は今、源泉は何本あるんですか?

遠藤 9本です。

飯出 9本!主力はここの湯花沢とそこの滝の湯?

遠藤 そうですね。(下から見て)道路から右側は湯花沢の方、左側が滝の湯。

高湯温泉の主力源泉「滝の湯源泉」
▲共同浴場あったか湯から50mの近さにある、高湯温泉の主力源泉「滝の湯源泉」。

 

飯出 玉子湯なんかは滝の湯の方が多い?

遠藤 そうです。左側は、玉子湯とひげの家とのんびり館、それに共同浴場のあったか湯しかないんですよ。

飯出 それが滝の湯の源泉を引いてるんですね。

遠藤 はい。右側は、うち、安達屋、高原荘、静心山荘、花月とか。

飯出 遠藤さんがここに入ってやることになったのは、遠藤さんにとって曾おじいさんくらい?

遠藤 いや、もっと上ですね。

飯出 もっと上?何代前くらい?

遠藤 私ここ来て5代目だから、もう曽祖父の上。

飯出 あ、そんなに?明治の始めでしょ?

遠藤 明治の始めです。140〜150年前ですからね。

高湯温泉・吾妻屋/ロビー
▲ロビー。ショーケースには勝海舟、伊藤博文、江藤新平、斎藤茂吉らの書を展示。

 

スキー三昧だった青春時代

飯出 遠藤さんは長男?

遠藤 そうです。私一人。

飯出 一人息子なの!?

遠藤 8つくらい離れた姉がいたんですけど、私が小学校6年生くらいのときに山で亡くなったんです。

飯出 山で?事故で?

遠藤 事故で。まぁ、だから親も結構悲しい思いをしたんです。姉が20歳くらいのときです。

飯出 遭難したの?

遠藤 そうです。登山で。

飯出 そうなの…。で、遠藤少年は高校くらいまでは福島だった?

遠藤 そうです。大学は行かないで…。

飯出 なんか、ずっとスキーばっかりしてたんでしょ?

遠藤 そうです。当時は子どもに良い大学行かせようって温泉宿も多いでしょ?ところが、うちの親父は大学行ったってろくなもんになんねぇ、お前は大学行くなって言われて(笑)。

飯出 へぇ(笑)。


▲宿から100mほど離れた場所にある「山翠」の露天風呂。秋は広葉樹の紅葉が鮮やか。

 

遠藤 スキーやって、そこそこ良い成績残してて。スキーの強い大学からも5、6校は勧誘きてたんだけど。

飯出 インターハイとか出てたんですか?

遠藤 もちろん出てます。県の大会で優勝してますし、国体とか全日本スキー選手権も出ましたよ。スキーの顧問も随分うちの親父を説得したんですけど。

飯出 へぇ。高校のときからそんな大会出てたんですか。

遠藤 はい。で、親父に「わかった。大学行かないからスキーさせろ」って言って。

飯出 海外遠征もしたんですか?

遠藤 海外も行きましたけど。逆に大学行かなくて良かったのは、12月にいつもニセコに入るんですけど、渡り鳥みたいに日大とか同志社とか色々な大学を渡り歩いて。スキーで知り合い多かったから合宿に混ぜてもらったんですよね。

飯出 最もスキーが花形のウィンタースポーツだった時期ですよね。それで、いくつくらいまでそういう生活してたんですか?

遠藤 ずーっとやってましたね。

飯出 旅館を手伝いながらやってたってこと?

遠藤 そうです。夏場は旅館手伝いながら。だから、みんな大学卒業して仕事してても、俺に仕事しろって親父言えないんですよ。大学行かせないし。

飯出 ははは(笑)。

遠藤 今更、スキーやめて宿本気でやれ、とも言えないしねぇ。そんな感じでグズグズと(笑)。

高湯温泉・吾妻屋「山翠」雪見の露天風呂
▲冬の「山翠」は雪見の露天風呂が満喫できる。もっともお薦めしたいシーズンだ。

 

奥さんとのなれそめは

飯出 宿はいつから手伝ったんですか?

遠藤 高校出てからすぐ。だから、親父と一緒に湯の花取ったり、温泉のメンテナンスしたり。夏場は親父について歩いてたんで、別に教えてもらわなくても結構見てると覚えるもんで。ただ、スキーは延々とやってましたね。カミさんと見合いしたときも、スキー焼けで真っ黒に焼けて、逆さパンダですごい顔で(笑)。

飯出 ははは。お見合いだったんですか?恋愛でしょ?

遠藤 いや、お見合いですよ。

飯出 下の保育園で保母さんやってたのを拉致したっていう話じゃなかった?(笑)

遠藤 え〜と、小学校の下に幼稚園が併設されているところが職場で。そこに、玉子湯の娘さんが幼稚園の生徒で入ってきたの。

飯出 へぇ〜、それで?(笑)

遠藤 で、玉子湯の今の社長が。俺もその頃、30歳過ぎてたから。その頃はスキーは現役やめてたんですけど、相変わらず夏になるとニュージーランド行くとか、国体とか出て。そんなんで、スキーばっかやってたんですよ。

飯出 で、そろそろ身を固めろと?

遠藤 うるさかったんですよ。玉子湯の社長も。で、庭塚幼稚園というところで、うちの親戚の子もけっこう行ってて。これでも俺、けっこうウケ良かったみたいなんですよね(笑)。

飯出 スキーでは地元のヒーローみたいですしね。まぁ、言ってみればそこは遠藤家のルーツのところですよね?

遠藤 そうですね。うるさいから一回会えば良いだろうっていう。あっちもうるさいからということで。その気なかったみたいですよ。それで、仏滅の日に (笑)、玉子湯さんでちょっと会ったんです。

飯出 それは、遠藤さんいくつのとき?

遠藤 31歳くらいのときですね。

飯出 奥さん(玲子さん)は?

遠藤 23歳です。

飯出 23歳!若い!

高湯温泉・吾妻屋/遠藤淳一さん

遠藤 カミさんの親父さんは40代で病気で亡くなったんですけど、半年ちょっと病院で面倒みたりして。休んだり、職場復帰したりという経緯があって。

飯出 奥さんは長女なんですか?

遠藤 そうです。

飯出 あの土湯峠近くの鷲倉温泉が実家でしたよね。最初に奥さんにお会いした時、あれ、この話し方どこかで聞いたことがあるなぁ、そうだ、鷲倉温泉の女将さんじゃん、と気づきました(笑)。いまの鷲倉温泉の社長さんは、一つ違いの弟さんでしょ?

遠藤 そうですね。あとちょっと離れた妹がいて3人姉弟です。

飯出 そのときは、もう鷲倉温泉はあったんですか?

遠藤 ありました。

飯出 奥さんは、鷲倉温泉から学校に通ったの?

遠藤 いえ、その山の下に家があって。冬は商売してなかったから。夏場もじいちゃんとばあちゃんが下にいて。

飯出 なるほど。で、一回会えば良いかって会って、そっれでどうしたんですか?会ったら、良いんじゃないって?(笑) 

遠藤 ははは。俺はあんまりその気なかったんですけどねぇ(笑)。

飯出 えぇーっ、奥さんが遠藤さんに一目惚れしたわけ?

遠藤 いや、そんなことあるわけないですね(笑)。なんか、変わってる人だって思ったみたいですね。で、俺もその後、スキーに行ったりして。ちょっと間が空いたし、2〜3回飯食ったりしたんですけど、まぁそんなに合わないかなぁなんて思って。玉子湯さんに「あの話なかったことにしましょう」って言ったら怒られてねぇ(笑)。女将さんに「ここに座りなさい!」って言われて正座して。「あなた、今まで何回会ってるの、こんな早く結論出していいの!?」なんて、社長は黙って聞いてるんですけど。で、「そんなことは」って言って(笑)。

飯出 ははは、なるほど(笑)。

遠藤 いや〜、あの奥さんは強いですね。それから気持ちが変わって、人を信じることにして「はい!もう一回考えます!」って。俺、けっこう真面目なほうなんで(笑)。

飯出 で、お見合いしてから1年後くらいに結婚した?

遠藤 そうですね(笑)。

遠藤淳一・玲子夫妻と愛犬くるみちゃん
▲遠藤淳一・玲子夫妻と愛犬くるみちゃん。女将さんの笑顔と接客も人気宿の要因。

 

飯出 奥さんは旅館商売には抵抗なかったんでしょ?

遠藤 全く抵抗ないですね。小さいときから親が旅館やってるの見てたから。うちなんかより大きい旅館だし、夜中に仕事してるの見てるし。

飯出 鷲倉温泉は古いお宿なんですか?

遠藤 暖簾としては古いですよ。うちのカミさんのじいちゃんは結構遊び人で、酒飲みで、豪快な人だったらしい(笑)。

飯出 そんなおじいちゃんを見てるから、奥さんは遠藤さんに対して寛容なんですね?(笑)。

遠藤 そうそう(笑)。親父さんの家系は鉄砲撃ち (猟師) とかしている家系で、山師なんで。まぁ、深沢さん (山梨県奈良田温泉・白根館のご主人) のところみたいな感じですかね。

飯出 いやぁ、深沢さんも銃持たせたら人間変わりますからね。精悍な顔つきになって別人みたいになりますよね。遠藤さんは狩猟はやらないの?

遠藤 やらないですよ(笑)。

飯出 心優しい人はできないですよね(笑)。

遠藤 そうですね(笑)。あとはその家系じゃないと免許取るの難しいんですよ。親父が持ってれば大体大丈夫なんですけど。新たに取るのって、大変なんですよ。

飯出 お父さんは、まだご健在ですか?

遠藤 親父は死にました。震災の前の年に。お袋は去年に。

飯出 去年?

遠藤 はい。親父はお盆の8月15日。お袋は8月13日。本当に商売大変な時にね、もう勘弁してくれよってね(笑) 。でも、そればっかりはどうしようもないですからね。大変でした。

 

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