豪農の邸宅を改装した文化財の宿を守り継ぐ、湯守の矜持と覚悟とは?
雄物川がすぐ裏を流れる強首集落の中に、格式の高い家だけに植栽が許されたという樅の巨木が目を引く、ひときわ立派な邸宅が建つ。
東北を代表する大地主として知られた旧小山田家で、その内部を改装し、1966 (昭和41) 年 に開業した旅館だ。
建物は1916 (大正5) 年の再建で、国の登録有形文化財である。
この歴史ある建物を守り続け、しかも旅館として経営していくには、言い尽くせないご苦労があるに違いない。
小山田家としては16代目、旅館経営者としては2代目湯守の本音に迫るインタビュー。
小山田 明 (おやまだ あきら) /1957 (昭和32) 年12月11日、秋田の大地主として知られた小山田家の第16代目に当たる長男として生まれる。秋田市内の小・中・高校卒業後、秋田経済大学経済学部に進学。卒業後に秋田市内のホテルに10年間勤務したあと、大名主の豪邸だった実家(秋田県大仙市)を改装した強首温泉・旅館「樅峰苑」を営む母親の待つ現在地に帰郷。2代目当主として継承した。現在、「一般社団法人日本文化遺産を守る会」会長、大仙市商工会理事、「一般社団法人大仙市観光物産協会」副会長、「秋田県登録文化財所有者の会」事務局長、「国登録有形文化財全国所有者の会」監事、大曲食品衛生協会常任理事、秋田県温泉協会常務理事などの要職を歴任。
旧家が旅館となった事情とは
飯出 小山田さんに僕がお会いしたのは相当昔なんですけど、そのときはまだ自家源泉がない時代だったんですよね。このお宿を始められたのは小山田さんが初代ですか?
小山田 私の母親が始めました。1966 (昭和41) 年12月に開業しましたが、その年の1月に父が急に亡くなってしまいました。
飯出 そうでしたか。
小山田 父が他界する前には、相次いで曽祖母、祖父、祖母と5年間で4人もの直系が亡くなってしまって…。残された家族が母と私と妹の3人だけになりました。
飯出 はぁ…。
▲大地主の歴史を伝える通りに面した正門。庭では格式の高さを示す樅の大木に注目。
小山田 母が32歳、私は小学校2年生で、妹は幼稚園児でしたね。
飯出 え、そんな小さいときですか。
小山田 はい。この3人だけになってしまったので、母も一家の大黒柱を亡くしてしまったことから途方に暮れてしまって。今後どうやって子供を育てて暮らしていったらいいか悩んでいたときに、当時祖父の弟が、父のこの実家に親族一同集めて今後のことを協議してもらいました。
飯出 なるほど。
小山田 たまたま近くに温泉が出ていて、だったらこの父の実家 (本宅) を、温泉を引っ張って温泉宿として開放してやっていったらどうか、ということを親族会議で決めてもらいました。それで父が他界した1966 (昭和41) 年の12月に、突貫工事をして開業に至ったというのが経緯です。
飯出 なるほど。お父さんは、お仕事は何をされていたんですか?
小山田 証券会社のサラリーマンでした。
飯出 あ、そうなんですか。もともと小山田家はこの辺の大地主でしょ? 見渡す限り自分の土地だったんですよね?
小山田 う~ん、まぁ、そうでしたね。
飯出 秋田の3本指に入る大地主と聞きましたよ。
小山田 戦前は田んぼを450町歩ほど持っていたときもありましたが。
通学は別宅のあった秋田市内から
飯出 小山田さん、ここでお生まれになったんでしょ?
小山田 いえ (笑)。父が大学を卒業した後に、東京の会社に就職しまして、そのときに私が生まれまして。なので、生まれたところは東京です。それから転勤で神戸へ行ったこともありましたが、秋田に支店を作るので父が秋田出身ということもあって、秋田にまた戻ってきたと。
飯出 なるほど。そうすると秋田に戻ってきたのは小山田さんが何歳の頃ですか?
小山田 7歳の時ですね。秋田市に別宅があって、そちらの方に家族で引っ越してきました。
飯出 じゃあ、小学校、中学校は秋田市内?
小山田 そうですね。高校も秋田市で、秋田南高校に進学しました。
飯出 それで、大学は?
小山田 秋田経済大学です。当時、ここを継ぐという意思を固めたので。本来は理系の方が好きだったので高校では理系を専攻していましたが、母も病気がちになってしまい、面倒も見ないと、ということもあり、志望していた県外の大学を諦めて地元の大学で経済を学んで今後に活かそうと。
飯出 大学で学んで、すぐこちらに戻られたんですか?
小山田 大学を出た後は、秋田市のホテルで10年間修業のためにお世話になりました。
▲唐破風の見事な玄関が迎える。大地主だった小山田家の歴史を伝える豪壮な造りだ。
飯出 小学校2年のときにお父さんが亡くなられたということは、秋田に赴任してすぐ亡くなったということですか?
小山田 はい、赴任してすぐ。39歳でした。
飯出 あらま。そんな若かったんですか。事故じゃないでしょ?
小山田 急病でしたね。
飯出 そうなんですか。そうなると、もうここの宿を継ぐというのは大学というより子供のころから思ってたという感じ?
小山田 いえ、それが (笑)、お恥ずかしい話、ここを継ぐということは考えてなかったです。母は、大学までは好きな道を歩ませてあげたいと考えていたようで、私が高校を卒業する時まで、母から宿の話は全くなかったですね。
飯出 へぇ。
小山田 ただ、母も病気を患ってこれはまずいということで。親戚からも、継ぐことを真剣に考えてやっていくべきだ、というお叱りの言葉もいただいたものですから。
飯出 継ぐって意思を固められたのは高校くらいですか?
小山田 高校3年のときでしたね。理系か文系か、どちらを選択するかというときです。
飯出 高校までは秋田市内の別宅から通われていたんですね。ということは、お母さんはこちらにいらしたんでしょ? 高校まではどなたが小山田さんの面倒を見てたんですか?
小山田 妹と二人で秋田市に暮らして、母がときどき秋田市の別宅に戻って来るので、うまくやりくりしながらですね。
飯出 兄妹で秋田市で住まわれてたんですか。なんか小説みたいですね (笑)。
小山田 妹は2つ違いですが、ご飯はマメに作ってくれていましたね。
飯出 へぇ~。そうしたらもう父親代わりみたいなところ、あるでしょ? お嫁にいくときには泣いたでしょ?(笑)。
小山田 う~ん、寂しいところはありましたけどね。
飯出 お母様はご健在ですか?
小山田 はい、おかげ様で健在です。1934 (昭和9) 年生まれで、今年88歳かな。でも、突然の病気をしてしまったので、一線で働くことはできず、施設の方でお世話になっています。それでも、頭もしっかりしていますし、宿のことはずっと心配してくれていますね。
▲持山から伐り出された天然秋田杉の1枚板で通した廊下。継ぎ目のないのに驚く。
歴史的建物や地域性と格闘した日々
飯出 ホテルからこちらに入られたのは何歳のときですか?
小山田 32歳の時でした。
飯出 何が一番大変でした?
小山田 う~ん、地域性の違いでしょうかね。秋田市の中心地で20年以上育ってきた場所とここは全く別世界で、自分の実家にも関わらずここのことは勉強もしていませんでしたし、事前にこの地域を色々知っておくべきだったのかなと後悔もありましたけどね。ここで働いている方々も同じ地域の方ですけど、やはり小山田家の血の繋がった者が来たことによって心強く思ってくれたみたいです。1966 (昭和41) 年から続けてきて、それなりのカラーがあって、こちらから新しいものを出して良いものにしていきたいというのもありましたが…、なかなかね。
飯出 従業員の方から見れば名家の御曹司だから、特別な存在ですよね。まぁ、ボンが帰ってきたって感じですよね?(笑)
小山田 精神的にも今後のことを考えると心強く頼りになるとは思ってくれたとは思いますけどね。ただ、自分が今まで培ってきたものをそっくりそのまま活用しようとしても、なかなか上手くいかない部分も多くて。
飯出 それはそうでしょうねぇ。1966 (昭和41) 年の開業時に、今の改装をされたんですか?
小山田 とりあえず、2階は家族が住んでいた部屋を客室として改装したのですが、襖で区切ったような部屋もありましたので、ちょっと利用しにくいところもありましたけど。当時は、旅籠風のイメージが残っているということで、ご利用いただいていた方もいらっしゃいました。
飯出 登録有形文化財の資料には「豪農の邸宅」とありますが、しかし見事な建物ですよね。唐破風の玄関、天然秋田杉1枚で貫かれた廊下、鹿鳴館風の階段、客室の欄間の意匠など、建築好きの人にはたまらないですね。さっき見せていただいた壁はだいぶ後になってからの改修ですか?
小山田 そうですね。それは平成の時代に入ってからですね。
飯出 じゃあもう、開業した当時はお屋敷のまんまを客室にした感じだったんですか? 僕が泊まったのも最初そんな時期だった気がしたなぁ。「日本秘湯を守る会」は何年くらいに入られたんですか?
小山田 1994 (平成6) 年に入会しました。
飯出 そうですよね。最初にお訪ねしたときは秘湯を守る会の宿じゃなかったから。それで、新しい源泉を掘削して成功したのは何年なんですか?
小山田 2008 (平成20) 年です。その年に露天風呂も作りました。
飯出 内風呂は今のままですか?
小山田 場所はそのままで、当時は簡易的だったので作り直しました。内装などは何回か手を入れて、2008 (平成20) 年に今の形になりました。
飯出 部屋数7室と小規模ですから、大変ちゃ大変だと思いますけど、堅調にはやってこれてますでしょ?
小山田 そうですね。法人組織にはしていますけど、家族経営で従業員もおりませんし、そういう意味では家族の絆が強いというのがメリットになっていますね。
飯出 表札に「小山田治右衛門」とありますが、代々名乗るんですか?
小山田 そうです。「小山田治右衛門」という家名ですね。
飯出 小山田さんはそれを襲名するわけ?
小山田 いや、恐れ多くてちょっと…(笑)
飯出 恐れ多くて、ですか?(笑)。でも、代々襲名する名跡でしょ?
小山田 初代から12代目までは襲名はしてきましたが、13代目の曽祖父から私の16代目まで襲名はしてないです。12代目まで名主でしたので。
▲正門には代々踏襲されてきた家名「小山田治右衛門」の表札が掲
ほとんど家族3人で切り盛りする文化財の宿
飯出 奥様 (裕美さん) とはおいくつのときに結婚されたんですか? 秋田でホテルにお勤めになってた頃?
小山田 そうですね。ホテル勤めのときに知り合って、27歳の時に結婚しました。
飯出 じゃあ、ここに帰ってきて、お宿を一緒にやるというのはわかってて、ですか?私は騙された~、とか、そういうのはなかったんですかね?(笑)。
小山田 う~ん、半分くらいはあったかもしれない (笑)。
飯出 ははは、そうですか。
小山田 宿の中に入るためにはかなりプレッシャーはあったでしょうけれど、それよりも小山田家の嫁になるということが大変な思いだったと思います。
飯出 最初知り合ったときは、どういうとこの息子さんか知らないわけですからね、親に会わせに連れてくるわけですよね? そのときに、ビビるんじゃないですかね。こんなお家の息子さんなの? みたいな。
小山田 まぁ、でもそういったものよりも、お互いの信頼を第一に考えて一緒にやっていこうというということになりましたので。そうした思いは大事にしていきたいです。
飯出 今、お子さんは?
小山田 男3人ですね。今、長男 (優さん) が宿にいます。
飯出 ご長男はおいくつ? まだ、独身と聞きましたが。
小山田 1986 (昭和61) 年生まれなので、今年は年男ですね。
飯出 あとのお二人は外で働いてるんですか?
小山田 外で働いています。
飯出 ここの建物を守っていく上で、一番大変なことは何ですか?
小山田 まず、基本的な構造はちゃんと作っている建物なので、この点は安心しているんですが、ただ宿として活用しているので文化財の認定をいただいても建物が痛むことがありますよね。そういうところの補修とかは神経を使いますね。
飯出 補修できる大工さんはいらっしゃる?
小山田 はい、近くの建築設計事務所の方にお世話になっています。場所によっては難しいところもあるので、保存と、活用しなければならない登録有形文化財の宿、という点が難しいなと思うところはありますね。
▲屋敷林と貸切露天風呂棟を背景に、女将兼料理長の裕美(ひろみ
文化財の宿のネットワーク構築に尽力
飯出 小山田さん、何か会長をされてましたよね?
小山田 「日本文化遺産を守る会」です。2021 (令和3) 年3月に一般社団法人格を取得して、組織として新たにスタートしました。
飯出 それはどのくらいの会員の方がいらっしゃるんですか?
小山田 現在10施設です。
飯出 全部それは登録有形文化財の宿?
小山田 そうです。
飯出 あとは公職をいくつか務めてるんですか?
小山田 大仙市商工会の理事、一般社団法人大仙市観光物産協会の副会長、秋田県温泉協会常務理事、大曲食品衛生協会の常任理事、登録有形文化財の所有者の会がいくつか立ち上がっているのですが、それが新たな全国組織「国登録有形文化財全国所有者の会」として2020 (令和2) 年に設立され、その監事もすることになりました。秋田、群馬、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、三重、和歌山それぞれに所有者の会があります。
飯出 へぇ、全国組織ですね。
小山田 その前に「秋田県登録文化財所有者の会」という、2008 (平成20) 年に立ち上げた会がありまして、私が手を挙げて秋田県の所有者の方を集めて、結びつきを強くして今後に活かしていきたいという思いから作りました。ここが事務局になっています。
飯出 事務局長ですか。「日本文化遺産を守る会」の10施設はお宿ですか?
小山田 温泉宿が9軒、クラシックホテルが1軒です。宿は北の方から申し上げますと、鶴の湯温泉、松之山温泉・凌雲閣、法師温泉・長寿館、湯河原温泉・上野屋と伊藤屋、塔之沢温泉・福住楼、別所温泉・花屋、中房温泉、軽井沢のクラシックホテルの万平ホテル、そして樅峰苑です。
飯出 「日本秘湯を守る会」の会員宿も何軒かいらっしゃいますね。もうちょっと増えそうですけどね。
小山田 そうですね。ところが現在、文化財の宿がなかなか登録されないです。文化庁の報道発表をその都度見ていますが、1回の答申について100軒くらい登録有形文化財になるという報道がありますが、その中で宿泊施設が1軒あるかないかですね。なので、1年に3軒あるかどうかですね。
飯出 それは、お宿が申請しないってことですか?
小山田 申請には2通りあって、自身の宿が登録有形文化財の制度を利用してやっていこうという考え方と、地元の教育委員会で推薦されるかのどちらかです。
▲2階へのびる階段は鹿鳴館調。時代の流行とセンスに敏感な先取精神がうかがえる。
いまでは強首温泉郷の一軒宿に
飯出 ここまでの交通アクセスは、高速道路だとどこのインターからが近いんですか?
小山田 秋田自動車道西仙北スマートインターチェンジから車で7~8分。ここはETC搭載車のみ利用できるインターチェンジですね。
飯出 スマートインターでない場合は?
小山田 協和インターチェンジから10分ほどですね。
飯出 電車の場合はJR奥羽本線の峰吉川駅まで来てもらって、そこから送迎ってことですよね? ここへ来るバスは、今はないんですよね?
小山田 ないですね。昭和の時代は路線バスが通っていましたけどね。
▲貸切露天風呂「大樹の湯」。敷地内にそびえる樅の大木を眺めながらの入浴が快適。
飯出 今、強首温泉郷としてお宿は何軒あるんですか?
小山田 1軒です。私どものところだけです。
飯出 え、1軒!? 来る途中、2軒くらい看板がありましたけど、もうやってないってことですか?
小山田 はい。1軒は完全に廃業して、もう1軒は温泉を使っていない施設です。
飯出 へー、強首温泉としては一軒宿なんですね。
小山田 一時期は10軒くらい施設があり、賑わいがあったのですが。
飯出 私、強首温泉として取材に来たときは5~6軒はあったと思いますけどね。
小山田 淘汰されてしまったようですね。団体向けの日帰り中心の施設が多かったですから、そういう旅行が少なくなりましたからね。
飯出 日帰り入浴は、こちらはおいくらですか?
小山田 大人が1人650円です。
飯出 安いですね (笑)。800円くらいはすると思っていました。
小山田 日帰り入浴は内湯だけで、貸し切りで利用できる露天風呂は宿泊の方専用ですね。宿泊の方はチェックインのときに2つある露天風呂のどちらかを予約 (1回45分無料、2回目からは45分1210円) いただく形にしております。
▲こちらは貸切風呂「こもれびの湯」。家1軒建つ大金をかけた総檜造りの浴舎と湯船だ。
調理長の奥さん自慢の名物「もくず蟹料理」
飯出 こちらの名物料理に「もくず蟹」の料理がありますけど、これはシーズンがあるんでしょ?
小山田 基本的には年中お出ししている料理ではありますが、旬は秋ですね。裏の雄物川で獲れるもくず蟹ですが、天然物を近くの漁師さんに定期的に獲ってもらっています。
飯出 雄物川には漁業権みたいなのがあるんですか?
小山田 漁師は組合には入っていますが、蟹を獲るには特別に許可はいらないそうです。ただ蟹を獲るにはポイントがあって、我々が仕掛けしてもまず獲れないです。そういうところはベテランでないと。
飯出 やはり名人みたいな人がいるわけですね。ある程度、供給されないと名物料理として出せないですもんね。
小山田 はい。いつも沢山獲って持ってきてくださるので有難いです。
▲畳敷き大広間に椅子とテーブルを設えた1階の食事処。欄間など繊細な細工にも注目。
飯出 私も食べてはいるんですが、あまり記憶がないんですけど、どんな料理で出てきましたっけ?
小山田 今、基本的な郷土料理には蟹を使った味噌汁は付けますけれど、川蟹料理プランという別のプランがあって、それですと川蟹を使った料理を多く出すという内容です。例えば、蒸し物に蟹の身を入れたり、揚物に使ったり。
飯出 蟹の身はとれるものですか?
小山田 もともと身はたくさんとれるものではないですね。
飯出 ですよね。どっちかっていうと。大体全部潰してカルシウムの固まりみたいな感じで食べるイメージですよね?
小山田 小さい蟹ですと柔らかいので、そのまま唐揚げにして食べられます。甲羅を剥がすと味噌が入っているので、何匹分かの味噌を一匹分の甲羅で焼いて食べるのが一番のオススメ料理ですね。
飯出 基本、こちらに泊まると、必ずいつでも1品はもくず蟹料理は出るんですか?
小山田 味噌汁は今出していますが、蟹を楽しみたい方はやはり川蟹料理のプランで味わっていただきたいです。
飯出 どなたが料理を作るんですか?
小山田 私の家内が、女将兼料理長として頑張ってもらっています。
飯出 奥さんが全部作ってるんですね。小山田さんは作らない?(笑)
小山田 影の方で一所懸命やっていますよ(笑)。
飯出 あ、そうなんですね (笑)。息子さんは料理しないんですか?
小山田 多少は手伝いながら、色々作っていますね。そのほかは、予約のコントロールとかインターネット関係とか。
飯出 お掃除は外部に頼んでますか?
小山田 お掃除だけは1人お願いしています。
▲女将さんが陣頭指揮を執るすべて手作りの夕食の一例。名物「もくず蟹料理」も並ぶ。
コロナ禍で思ったこと
飯出 昨年は春からコロナ禍で大変だったと思いますが、休業されたんですか?
小山田 秋田県から要請を受けて、4月の下旬から5月のゴールデンウィークの最後の日まで休業しました。そのあとも解除になりましたけど、厳しい状況に変わりはなかったですね。お客さんになかなか来てもらえない期間もありましたからね。
飯出 コロナ禍で何をいちばん感じましたか? 外国のお客さんがまずゼロになったでしょ?
小山田 そうですね。外国人の利用はアジアが6割、欧米が4割で、欧米の方々の利用が多かったですね。秋田の片田舎にはありますけど、色々な文化が詰まっているこの宿を味わっていただくお客様にお越しいただけないというのが非常に寂しい思いをしましたね。
飯出 実際、「Go Toトラベルキャンペーン」が始まってから、今までのお客さんとは客層がちょっと違うでしょ? 樅峰苑はこういうお宿だからこういう魅力に惹かれて訪ねてくるという感じではないでしょ? そういう方ももちろんいるとは思いますが。
小山田 う~ん、そうかもしれないですね。客層の幅は広がりましたね。
▲間取りの異なる客室は全7室。すべて2階にあり、写真は10畳間の「すいせん」。
自家源泉は濃厚な成分の「含よう素泉」
飯出 最後に温泉の自慢をして欲しいんですけど! 相当濃厚な成分を含んでいる温泉ですよね。
小山田 泉質からいうとよう素泉という、国内でも大変珍しい、希少な温泉ということになります。それから、高張性といって、溶存物質量が1kgあたり22g以上も含まれている、大変濃い温泉です。塩分が90%以上含まれているので、食塩泉という言葉もあるように、大変しょっぱいです。
飯出 よく温まるということですよね。
▲1階にある男女別の内湯。シンプルな造りの湯船には黄褐色に変わる源泉がかけ流し。
小山田 はい、あと源泉掛け流しということで、温泉ファンには大変喜んでもらっている温泉ですね。
飯出 毎分どのくらいの湧出量があるんですか?
小山田 現在コントロールしているので、毎分200Lですが、全開すると毎分700Lくらい湧出します。
飯出 まぁ、1軒で使うだけで、しかも適正な大きさの湯船なので、毎分200Lも出てれば十分ですね。
小山田 ここの温泉は化石海水ですから、いずれは枯渇することを考えると、あまり贅沢には使いたくないですね。大事に使っていきたいです。今の温泉は12年前に掘った新しい源泉にもかかわらず、湯量も変わらずに出てくれています。有難い温泉に恵まれて良かったなぁと思います。
…あとがき…
この宿を最初に訪ねたのは2000 (平成12) だった。
当時、湯宿というイメージからはかけ離れた外観や館内の贅を尽くした造りに大層驚いた記憶がある。
機会があって、一昨年は1月と11月、昨年は9月に再訪したが、豪壮な建物の印象は無論、ご当主の小山田さんの印象も変わっていないのに驚く。
いつも身ぎれいなジャケット姿で、旅館の主というよりは学者のよう。
泰然自若とした雰囲気に、さすがは旧家16代目の品格、という印象を受ける。
もしも家名の「小山田治右衛門」を襲名することになれば、きっとお似合いのことだろう。
現在、公職をたくさん引き受けて超多忙と拝察したが、ぜひこの唯一無二の国登録有形文化財の宿を守り続け、17代目の息子さんへと無事にバトンタッチしていただきたい、と思う。
(公開日:2022年1月20日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー