“日本三美人の湯”を守る湯守の矜持とこだわりに迫るインタビュー
川中温泉は鎌倉時代からの歴史を持つといわれる古湯で、和歌山県の龍神温泉、島根県の湯の川温泉とともに「日本三美人の湯」と称えられてきた。
その名湯を守り継ぐのは一軒宿のかど半旅館だ。
吾妻渓谷にほど近い場所にあるが、八ッ場ダムの建設、新国道の開通という環境の変化とは無縁のように、山中にひっそりと佇む。
旧国道からわずか1kmほどしか離れていないのに、その自然環境は驚くほど秘湯的だ。
そして、まるで親戚の家でも訪ねるかのような民家風の外観に驚き、その外観とは裏腹にリニューアルされた端正な館内に二度驚くといった印象である。
美肌づくりの名湯の継承に奮闘する、湯守の矜持に迫るインタビュー。
小林 正明 (こばやし まさあき) /1960 (昭和35) 年3月19日、川中温泉「かど半旅館」の一人息子として生まれる。地元の小・中学校を出て、駅伝の名門・中之条高校 (現・吾妻中央高校) から関東学園大学経済学部経済学科に進学。卒業後はすぐに旅館に戻り、のちに両親から家業を継承した。順子夫人との間に息子3人に恵まれ、跡取りは長男佑輔さん。「日本秘湯を守る会」関東支部前支部長。現在、東吾妻町観光協会会長を務める。
小林家の開業としては昭和22年
飯出 この写真 (拙著『一度は泊まってみたい秘湯の宿70』に掲載) から見ると、今のお兄ちゃんが今34歳でしたっけ?これ3~4歳でしょ?30年前ですよね?1990年くらいに取材させてもらった本のコピーなんですけど、これで見ると昔は別の人がやってて、昭和9年の室戸台風で川が氾濫してお宿が流されちゃって。
小林 それ、訂正して良いですか。昭和9年ではなく、昭和10年の長雨で流されたんですよね。
飯出 そうなんですね。その長雨で流されて、それを小林家先代のお祖父さんがお湯の権利を買い取ってここを建てたと。
小林 そうですね。昭和15年くらいから私財を投じて建て始めたらしいです。
飯出 お宿として始めたのは?
小林 昭和22年です。
飯出 戦後なんですね?
小林 うちの父も大正4年生まれで、戦時中に今の三菱UFJ銀行の前身の銀行に勤めてて、多少兵隊に行って、終戦を太田市で迎えて、東京でまた銀行員をやることも考えたけれども、戦後の食糧難ということで。だったら東京を引き揚げようってことで、地元に帰ってきたんです。
飯出 あ、お父さん、群馬出身だったんですか?
小林 この近くの吾妻渓谷のちょっと手前の集落で生まれ育って。祖父が当時山持ちの資産家で、昭和20年頃にはある程度宿の外観が建て終わっていて、うちの父に旅館の留守番に行けという感じだったようです。
飯出 お父さんが、言ってみればお宿の初代になるんですね?
小林 はい、そうなりますけど、ただ、宿もちゃんとした宿じゃなかったから、昼間は銀行勤めの経験から農協の経理のような仕事をしつつ、この宿もやっていたようです。うちはちょっと訳ありで、父は先妻とここをやって、1男・1女をもうけたんですけど、昭和32~33年頃に先妻が亡くなって。で、うちのお袋が (後妻に) 入ったんです。
▲旧国道からわずか1kmほど山側に入るだけで、この秘湯感に驚かされる。
飯出 「かど半」っていうのは、前からこの名前だったんですか?
小林 それを聞かれることが多いんですけど、うちの父の生まれ育った場所に「かど屋半兵衛」という庄屋みたいなのをやっていた方がいたんで、宿をやるときはその名前にしようと。
飯出 あ、地域の方のお名前をいただいたんですね。で、お母さんのお名前はタミ子さんとおっしゃいましたよね? 『野菊の墓』みたいだなぁと、覚えているんですけど。
小林 この旅館をここまで大きくしたのは、彼女の才覚でしょうね。女将としても人気があったし。そのかわり、言いたいこと言ってましたね(笑)。
飯出 まぁ、いかにも働き者の上州女、って感じでしたよね。
小林 ぶっきらぼうでも、あの当時は許せたと思うんですよ。相部屋とかもありましたけど、泊まるお客さんとも和気あいあいで、良いバランスだったと思うんですよね。
飯出 「おっきりこみ」はお母さんが考案したようなものなんですか?
小林 「おっきりこみ」は、昔から上州のソウルフードでしたけど、実家が農家だったから食文化を旅館の中にも持ち込んで。
飯出 お母さんの実家が農家だったんですか。お母さんは元々どこの方?
小林 旧群馬郡群馬町、今の高崎市ですね。だからあの味はお袋が実家で小さいときに食べた味なんでしょうね。
▲煮込みうどんの「おっきりこみ」。通常は椀で出るが、要望して丼で出してもらった。
一人息子で、宿を継ぐのは当然と認識
飯出 小林さんは、ご長男? 何人兄弟ですか?
小林 一人です。亡くなった先妻にも子供がいた(前述)んですけど、まぁ私がやるかと。
飯出 小林さんは、学校は小・中はどこへ行ったんですか?
小林 岩島ってところで、小学校が3.5kmくらい、中学は5~6kmくらい。小学校は歩きで、中学校は自転車で。
飯出 自転車で通えるのは裕福なほうですよね。で、高校は?
小林 高校は中之条高校に。駅まで自転車で行って、電車に乗って。
▲館内に一歩入ると、リニューアルされて快適な空間になったロビーが迎える。
飯出 中之条高校って駅伝が強かったですよね。(インターハイで京都の) 都大路に何回も出場していましたもんね。学校の場所は中之条町のどのあたりですか?
小林 水上寄り、ちょっと北の方ですね。昔、農業高校だったから敷地面積もかなり広くて、農園があったり。
飯出 今もあるんですか?
小林 はい。ただ現在は吾妻高校っていう女子高校と統合して、吾妻中央高校という名称になっています。中之条にあるから中之条高校って名前は当然残るものだと思ってたんですけどね。水上町も、みなかみってひらがなにしちゃったしね。
飯出 でも、若山牧水の『みなかみ紀行』はひらがななんですよ。
小林 あ、そうなんですか? 昔ここは草津街道だったから、若山牧水もここに寄ったらしくて昔の本に書いてあるんですよ。
飯出 当然、この辺は寄ってるでしょうね。それで、高校出た後はどうしたんですか?
小林 1年浪人して、太田市にある関東学園大学に滑り込んで。経済学科だったかな。
飯出 そこを出た後は? お宿に戻ったんですか?
小林 すぐ戻りましたね。ただ、自分の中でこだわったのは旅館に入るに何か資格取りたいと思って、卒業後に調理師免許を取りましたね。
飯出 自分は一人息子だし、ここを継ぐ覚悟はできてたんですね?
小林 親がやっている旅館に息子が入っても、世間に知らしめるのに旅館の中だけで頑張っててもダメだと思って、考えたのが送迎という手段。大学時代に大型免許を取って、マイクロバスで送迎を始めました。それで、マイクロバスで送迎を始めることによって、世間に対しても息子が入ったということを伝えようと。
▲山川の食材を使った家庭的な献立の夕食の膳。1階のテーブル席の食堂に用意される。
美人と評判の奥様とは見合い結婚
飯出 なるほど。それで、結婚されたのはいくつ?
小林 結婚したのは、26歳。
飯出 若かったですねぇ。奥様 (順子さん) とはどこで知り合ったんですか?
小林 見合いです。世話好きな母方の伯母の紹介で、14組目の仲人だったかな(笑)。
飯出 14組目!(笑)。奥様はどこのご出身?
小林 自衛隊のある榛東村です。
飯出 へえ~、榛東村によくあんなに綺麗な人がいましたね。
小林 結婚詐欺だって言われますね(笑)。
飯出 ははは。この本にも美人の奥さんって書いてますからね。
小林 やはり旅館の女将になるというハードルがね。書類で落とされますからね。
飯出 旅館の女将になり手がいない?
小林 テレビのインタビューでも言いましたけど、それはこれから考えていかないと。旅館は休みも取るし昔ほどブラックではないので。親は (嫁に出しても) いいと言うんだけど、本人が自信ないとか、祖母が孫娘を嫁がせたくないとかね。
飯出 でも、小林さん、いいお嫁さんもらいましたよね。宝くじに当たったようなもんですよね。息子さん (長男の佑輔さん) はいま34歳?
小林 はい。いま息子もお嫁さん探ししてますね、出会ってすぐ結婚ってわけにはいかないですからね。ただ、私はお見合いしたのが11月21日で翌年の10月12日には結婚していますから、意外に早かったかな。彼女曰く、なんでこの人は26歳で慌ててるんだろうって思ったそうです。
▲まさにスクラムを組んで一丸となり、名湯の歴史を守って奮闘する小林ファミリー。
飯出 あ、そうなのね(笑)。
小林 うちの親父の歳もあったんで。
飯出 お父さんはお母さんよりだいぶ早くに亡くなってますよね?
小林 えぇ、平成4年1月27日かな。お袋は平成23年4月9日に。
飯出 東日本大震災の年に、お母さん亡くなられたんですよね?
小林 脳梗塞で病院に入院中だったので、彼女は東日本大震災を知らずに亡くなってます。
飯出 はぁ、そうですか。ここは、結構揺れました?
小林 結構揺れました。でも、群馬は、利根川の向こうは揺れて、こちらはあまり揺れていないという話でしたけど。
飯出 被害は無かったんですね。
▲客室は本館の2階。まっすぐのびる廊下を挟んで両側に設けられている。
こだわりたい「日本三美人の湯」
小林 東日本大震災で、お湯の量は多少増えたかな。
飯出 泉温は変わらなかった?
小林 変わらなかったですね。沢渡温泉は温度が上がったらしいですが。
飯出 小林さんが継ぐときは、川中温泉・湯の川温泉・龍神温泉で「日本三美人の湯」ということは意識としてありました?
小林 ありましたね、やっぱり。「日本三美人の湯」は、商標取ろうとしても抽象的すぎるということで取れなかったですね。うちが今持っているのは、入浴剤の分類で「日本三美人の湯川中温泉」は取ってますね。龍神温泉も化粧水かなんかで取ってますね。鉄道省が出した本にそう書かれて広まったようですが…どうなんでしょうね。
飯出 温泉に関しては言ったもん勝ちみたいなところがあって、三名湯とか三古湯とか三古泉とかねぇ。僕は、この取材の後に撮影で1回か2回お邪魔していて、露天風呂から桜が咲いているのが見えるときにも来ているんですけど、あの白い桜は何桜?
小林 山桜って言ってますね。大水で流されて、今は1本だけ残ってますね。
飯出 やはり、この川は氾濫する? お風呂場と高さがあまり変わらないから、湯船に濁流が流れ込んだこともあるんじゃないかと。
▲温泉が湧く雁ヶ沢川沿いに、まるで民家風の外観の一軒宿「かど半旅館」がある。
小林 いや、風呂場に流れ込んだことはないですけど、結構大変ですね。
飯出 源泉は川のどの辺にあるんですか?
小林 川の中にあるんですけど、真っ白になっているところです。川見ればわかりますよ。
飯出 川中温泉って川の中に源泉があるから川中温泉って言うんでしょ?言ってみれば、足元湧出泉ですよね。
小林 それもありますし、そこに写真があるんですけど、源泉を湯船で囲っていた時期もあります。
▲露天風呂のすぐ脇を雁ヶ沢川が流れる。水面が白っぽくなっているところが泉源だ。
飯出 今は、客室は何部屋あるんですか?
小林 10部屋です。本館が6部屋、別館が4部屋です。その別館の中に別荘というのがあって、祖父が個人的に建てた別荘なので、昔から別荘って呼んでますね。
飯出 すごく手を入れたのはいつですか?
小林 ほぼ10年前ですね。
飯出 お母さんが亡くなった後?
小林 間際ですね。亡くなる前に出来上がったのは見ています。
飯出 それは良かったですね。外観は変わってないけど、内観は綺麗になりましたよね。外と中がアンバランスで驚きました(笑)。
小林 自分のこだわりで、昔のガラスは歪んでいるから価値があるので、それは何枚か残しました。
飯出 骨組みは、昭和15年~20年くらいに建てた建物ってことですよね。別館は?
小林 昭和52年ぐらいですね。
飯出 別館は鉄筋建てなんですか?
小林 下は鉄筋コンクリートで、2階は木造ですね。
▲浴場は別館側にあり、本館とは玄関前の道の下を潜るこの地下通路が連絡している。
泉温が低いので維持管理が大変
飯出 現在、日帰り入浴はやってないんですか?
小林 今はやっていないです。前はやってましたけど。
飯出 いつぐらいから止めたんですか?
小林 10年近くなりますかね。加温しているので、昼間お客さんが来るか来ないかわからないから、入浴可能時間変えたりもしたんですが、徐々に止めていった感じですね。
飯出 やはり、加温するのは経費がかかるから大変ですよね。
小林 公共の施設もできたから、泉質にそこまでこだわらない方であれば日帰り入浴はそちらに入っていただくのでいいのかなと。
飯出 なるほど。
小林 やはり、急いで短時間入るだけじゃなくて、ゆっくりして行っていただきたいという思いもあるし。あと、申し訳ないんですが、日帰り入浴はマナーが悪い方も多くて…。
▲連絡通路を抜けたところが男女別の内湯(適温に加熱)。ここは深夜でも入浴可能だ。
飯出 そうですよね。わかります。今、一番大変なことは何ですか?
小林 やはり、温泉がぬるいことですね。川の底から源泉が漏れているのを何とかしないと。ただ、これは行政の力を借りて何とかしていただかないと…という感じで。
飯出 源泉が漏れているんですか?
小林 貯湯槽っていう場所に集めているんですけど、そこに湯が行くまでに漏れちゃってるんですね。
飯出 お湯の権利はどこが持っているんですか?
小林 源泉そのものの場所は、小林正明他124名という松谷共有林組合っていう組合が持っていて、川底なんだけど地番が付いてるんです。その上に川が流れているから、国から借りているような感じになってるんです。
飯出 国土交通省管轄になっちゃうわけですよね。
小林 温泉は所有者と利用者に分かれていて、利用権は持ってるんですけどね。
▲こちらは男湯。女湯もほぼ同じ造りだが、どちらかというと女湯のほうが少し広め。
世界が開けた「日本秘湯を守る会」入会
飯出 お宿にとって、「日本秘湯を守る会」はどういう存在ですか?
小林 「日本秘湯を守る会」に入って、温泉の効能とか聞けるようになったし、近くの温泉地に仲間ができたということは非常に良かったですね。
飯出 何年くらいに入ったんですか?
小林 う~ん、岩木先生の亡くなる2年前くらいですかね。
飯出 わりと新しいんですね。
小林 1回うちを見に来て、いろんなアドバイスもらいましたね。下の部屋がこんな部屋じゃお客取れないだろうとか、玄関に自販機置いちゃいけないとか。
▲内湯の大湯と外に続く露天風呂は混浴。6:00~7:00と20:00~22:00は女性専用タイム。
飯出 今は、お客さんは公共交通で来た場合、どういう風に来るんですか?
小林 最寄り駅のJR吾妻線川原湯温泉駅から、14時台と15時台に送迎車で迎えに行きます。
飯出 それはお客さんにとってはありがたいですね。ちなみに、お料理は全部奥さんが作ってるんですか?
小林 そうですね。鯉のあらいとイワナの塩焼きは自分がやってますが。
飯出 結構メインをやってるじゃないですか(笑)。私の頭には「おっきりこみ」がすぐに浮かぶんですけど、お客さんにはそういうイメージはないんですかね?
小林 う~ん。どうなんでしょう。自分が作る朝の卵焼きは好評なんですけどね。
飯出 あれ、温かく出てくるといいなぁ。冷めてると、ここで作ってないのかと思っちゃうし。
小林 なるほど。
▲朝食のメニューはいかにも旅館の朝食といった印象。玉子焼きはご主人の担当だそう。
飯出 えらい綺麗な卵焼きでしたけど。イメージキャラクターになってるみたいな、おかめとひょっとこはどういうものなんですか?
小林 これは、最初にデザイナーに浴衣の柄を頼んだときに、おかめとひょっとこをデザインしてくれたんですよ。それで、成田空港のロビーで初めておかめとひょっとこのお面を買ったんですね。それから段々気に入ってコレクションしていったら、お客さんにも持参してくれる方が増えてきて。
飯出 箸置きもおかめとひょっとこでしたよね?
小林 やはり、夜はお酒飲むからひょっとこで、朝はおかめで。まぁ、小さいこだわりなんですけどね。
▲ロビーのショーケースに展示された「おかめとひょっとこ」のコレクション。
コロナ禍で痛感したこととは
飯出 コロナでひどい目にあったじゃないですか。コロナ禍で、どんなことを強く感じました?
小林 う~ん、人間ってこんなに弱いんだなと。こんなことで世界が混乱しちゃうんだなと。この旅館業というのは、人を相手にしてますから怖かったですね。
飯出 休業したんですか?
小林 群馬県から休業要請が出たときは、休みました。自分たちでもやろうか悩んでいたので、休業要請で踏ん切りがついたので良かったですよ。1カ月くらい休みました。
飯出 コロナ禍では (隔離用に) 一部屋空けとかないといけないらしいので、今は満室にはしないんでしょ?
小林 はい、8部屋くらいしか取りません。10室あっても全室は取らないです。
▲客室はすべて和室で、6畳・8畳・10畳がある。写真は「雛菊」の間。
飯出 一人旅のお客さんでも泊めているんですか?
小林 多いですよ。6畳か8畳に泊まっていただいています。
飯出 客室の広さはどのくらいの割合?
小林 8畳が4部屋、10畳が3部屋、6畳が3部屋ですね。お一人様の率は高くなってますね。
飯出 一人でも嫌がらない?
小林 料金的には550円割り増しでいただいてます。
飯出 それは全然問題ないと思いますよ。一人でも快く泊めていただけるのは、やはりありがたいことですから。1000円くらいアップしても、文句は出ないと思いますけどね(笑)。
…あとがき…
かど半旅館は久々に訪ねたが、外観は驚くほど変わっていなかった。
しかし、内装はこれまた驚くほど綺麗に改装されていた。
1998年に刊行した拙著『一度は泊まってみたい秘湯の宿70』を読み返してみると、記事の主役は母上のタミ子さんで、名物「おっきりこみ」を作っている写真が大きく掲載されている。
よほど印象的だったとみえる。
現館主の小林正明さんと2歳くらいの息子を抱いた奥さん、そして母上との集合写真も掲載されており、時の流れを懐かしむ取材となった。
しかし、小林さんも奥さんも若々しく、そして肌がツヤツヤだ。これは紛れもなく、漂白作用や美肌効果のある泉質のせいだろう。
いま、小林さんの一番の関心事は息子さんの結婚にあるようだ。
朗報が届くのが楽しみである。
(公開日:2022年10月8日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー