塩原温泉郷を代表する老舗宿を守り続けて17代目、その当代の素顔とは?
箒川ぞいに一大温泉郷を形成する塩原温泉郷。
11湯を数えるその温泉郷にあって、支流の鹿股 (かのまた) 川沿いにある塩の湯温泉は、他の温泉とは一線を画した静謐な環境にある名湯である。
徳富蘇峰が「静かなること太古の如し」と激賞した幽邃の環境はいまなお健在だ。
その地に明治・昭和・平成の3時代の建物が並び建つ明賀屋本館は、実に創業以来340年余の歴史を刻む老舗宿。
その鹿股川の幽邃な景観を、風呂に浸かりながら愛でることのできる谷底の「川岸露天風呂」の存在が、温泉ファンを魅了し続ける。
歴史と伝統、そして名湯の魅力を、17代目当主が淡々と語るインタビュー。
君島 敏明 (きみしま としあき) /1959 (昭和34) 年5月23日、塩原温泉郷・塩の湯温泉の老舗旅館「明賀屋本館」の長男として生まれる。宇都宮市内の中学卒業後、宇都宮高校から早稲田大学政経学部に進学。大学卒業後は2年間ほど水産会社に勤務したあと帰郷し、17代目を継承する。夫人は塩釜温泉にある姉妹館「彩つむぎ」の女将で、1男1女の父。塩原温泉旅館協同組合副理事長を務めている (2020年5月現在)。
江戸初期創業の塩原きっての老舗宿
飯出 まずは、ちょっと歴史をさかのぼりたいんですけど、明賀屋さんはこの塩原地区で最も古いお宿でしょ?
君島 まぁ、歴史上、古いほうに入りますね。
飯出 最古ではないんですか?
君島 一応、証拠がある宿としては最古なんですけど、自称400年と言っている宿もありますから。根拠はないんですけどね。
飯出 あ、自称最古と言ってる宿があるんですね(笑)。こちらは、いつ創業というのは大体わかっているんですか?
君島 1674 (延宝2) 年ですね。ご先祖様が真岡市の君島って場所にいたんです。宇都宮の殿様にお仕えしてたんですけども、豊臣秀吉に改易されて、茗荷沢って沢があるんですけど、そこに引っ越してきたということですね。
飯出 この「明賀」とは違う字の「茗荷」ですね。
君島 で、そこが山崩れになっちゃって、元々ここの場所に温泉があるのがわかってたので、それで引っ越してきたんです。
飯出 一番最初は、そっちの方にあったんですね?甘湯 (あまゆ ※廃湯) とは違うんですか?
君島 甘湯の上流ですね。
飯出 そこが山崩れですか?それは何年頃の話ですか?
君島 1674 (延宝2) 年にここに引っ越してきたので、その2~3年前です。
飯出 あぁ、そうなんですか。
君島 なので、茗荷沢にいたんで、明賀屋なんですよね。茗荷は、宿の名前には芳しくないということで、それで当て字で「明賀」にしたんですよ。
▲明賀屋本館の名物風呂「川岸露天風呂」。混浴だが、7:00~8:00は女性専用。
本館は平成、太古館は昭和、明治築の旧館は未使用
飯出 1674 (延宝2) 年ってことは、江戸前期ですよね?そうすると、君島さんは数えて何代目になるんですか?
君島 17代目ですね。
飯出 17代目!? ちなみに、こちらで一番古い建物は「川岸露天風呂」に行く階段横の建物ですか?
君島 それが一番古いですね。今は使ってないです。昔は、自炊棟で使ってましたね。
▲地下1階から「川岸露天風呂」へは88段の階段を下る。この階段も文化財級。
飯出 あの建物はいつ頃の建物なんですか?
君島 ちょっと記憶にないくらいですね。明治時代であることは間違いないと思うんですけど。正確な年代はわからないですね。
飯出 で、あの建物とはまったく別に、この建物を建てたわけですよね?
君島 昔は、自炊宿だったんですけど、段々観光旅行が一般的になってきたので、こちら側に建物が建ったわけです。
飯出 この建物はいつくらいに建ったんですか?
君島 この建物は1993 (平成5) 年ですね。道路渡った太古館が1933 (昭和8) 年ですね。
飯出 あの太古館は、和洋折衷ですか?
君島 ライト建築の流れになりますね。
飯出 登録有形文化財には申請してないんですか?
君島 してないですね。いじるのがだいぶ厄介になるみたいなんで。
飯出 なるほど。1933 (昭和8) 年の建物であれば、まず問題なく (国の登録有形文化財に) 登録できると思いますけどね。建物は現在使ってるんですか?
君島 使ってます。厨房と宴会場と、3階部分は7部屋が客室になってますから。
飯出 そこにっていうお客さんも結構いらっしゃるでしょ?
君島 ご指名の方もいらっしゃいますね。
飯出 でしょうね。あっちに泊まった場合も、食事はこちらへ来るんですか?
君島 2階が宴会場になってますので、そちらで召し上がっていただいてますね。
飯出 そうなんですね。宴会はもっぱら太古館の2階でやるんですね。こっちに泊まったお客さんも?
君島 はい、そうですね。
飯出 こちらは、建物的には何て呼んでるんですか?
君島 本館っていう呼び方になりますね。客室は28室あります。
▲落ち着いた造りの客室。窓の外には鹿股川渓谷沿いの四季の彩りが美しく望める。
飯出 本館で28室、太古館で7室、合計35室ですね。ここから下って行ったところは畑下 (はたおり) 地区になるんですか?
君島 「ホテル明賀屋」の場所ですか? あれは、塩釜になりますね。
飯出 あちらは、親戚?
君島 姉妹館ですね。「彩つむぎ」も姉妹館で、私の女房がやっています。「ホテル明賀屋」は休館中です。
飯出 そうなんですね。姉妹館ですが、同経営って感じですか?
君島 はい。採算も一緒です。
▲1933(昭和8)年築の太古館。当時は超モダンだった、文化財級の建築物だ。
東日本大震災のときに湧出した自家源泉
飯出 2011 (平成23) 年の東日本大震災のとき、明賀屋さんだけは新しくお湯が湧いてラッキーって感じだったって聞いたんですけど、その泉源地が茗荷沢ですか?
君島 そうですね。あそこは、元々地熱があるところで、米の二期作もできたようですね。
飯出 へぇ。で、あそこで新しくお湯が湧き出たんですか?
君島 以前は38度位のぬるめのお湯が湧いていました。そこから30m離れたところに地割れみたいのができて、そこから湧いてきたんですね。
飯出 はぁ~。結構、高温のお湯?
君島 52度ですね。
飯出 素晴らしいですね。結構、量も多く?
君島 毎分135リットルですか。量もありますね。
飯出 で、そのとき湧き出たお湯が大浴場の一つの浴槽に入ってるんですか?
君島 大きめの浴槽に入ってますね。
飯出 泉質は一緒ですか?
君島 単純温泉です。
飯出 単純温泉? 本来は塩化物泉ですよね。
君島 えぇ。塩の湯って名前の通り塩化物泉ですね。
飯出 新源泉は単純温泉なんですか。でも、ちょっと色が付いているでしょ?
君島 少し黒っぽいですね。
飯出 不思議だなぁ。
君島 そうですねぇ。
▲東日本大震災のときに湧出した自家源泉 (単純温泉) が引かれた大浴場 (男湯)。
中高時代は宇都宮、大学は早稲田
飯出 君島さん、何年生まれですか?
君島 昭和34年5月23日生まれです。
飯出 おぉ、私5月28日生まれです。ちょうど一回り違いの猪年、昨年還暦でしたね?
君島 はい、猪年の還暦です。
飯出 君島さんはここで生まれたんですか?
君島 そうですね。兄弟3人の長男で。妹と弟で外に出てますね。
飯出 そうなんですね。では、生まれたときから後継ぎはお前だよっていう風になってたんですかね?
君島 そうですね。小学校までここで通って、中学、高校は宇都宮に行きました。
▲貸切露天風呂 (45分1000円) は2ヵ所。到着後にフロントで予約するシステム。
飯出 高校はどこへ行かれたんですか?
君島 宇都宮高校です。
飯出 優秀ですねぇ~。
君島 いえいえ(笑)。
飯出 栃木では、宇都宮高校がトップでしょ?
君島 まぁ、一応そうですね(笑)。
飯出 大学はどちらへ?
君島 早稲田の政経学部ですね。
飯出 ほぉ、それはすごいですね。早稲田の政経といえば、私学ではずっとトップでしたからねぇ。大学時代は早稲田近辺に住んでたんですか?
君島 東十条ってとこに、ちょうど出張のとき用に会社のマンションがあったので、そこに。今みたいに新幹線がなかったので、当時は出張のときは一泊してたんですよね。
飯出 なるほど。卒業されてからは、すぐには戻ってこなかったんですか?
君島 水産会社に2年間だけお世話になって、その後26歳で戻ってきましたね。
飯出 それで、社長さんになられたのは何歳のときですか?
君島 42か43歳くらいのときですかね。ちょうど先代が亡くなったときです。先代というのは父の兄、つまり伯父が社長をやってました。
飯出 そうすると、君島さんのお父さんは社長をやったことはないってことですか?
君島 一応、代表権のない代表取締役はやってます。
飯出 伯父さんから、いきなり君島さんところにきたわけですか?
君島 そうですね。
飯出 奥さんはどちらから?
君島 神奈川県鎌倉市からです。
飯出 どこでゲットしたんですか?(笑)
君島 ゲットというか(笑)、卒業してから人に紹介してもらって。
飯出 へぇ~。じゃあ、こことは縁もゆかりもない土地から来られたって感じですか?
君島 そういうことになりますね。
飯出 奥さまは今「彩つむぎ」をやられているそうですが、娘さんも一緒なんですか?
君島 娘は社会人やっていて、まだ宇都宮在住です。
飯出 では、「彩つむぎ」のほうは、もっぱら奥さんがやられているんですね。お子さんはお一人?
君島 娘 (姉) のほかに息子 (弟) が1人います。息子はまだ学生で、仙台の大学へ通っています。
飯出 息子さんは継いでくれそうですか?
君島 いやぁ、ちょっとそれはわからないですね。
飯出 そういう話はまだしてないですか。今年還暦だから、全然焦ることはないと思いますけど。
君島 まぁ、昔の還暦と今の還暦は違いますからね。
▲本館の建物は地上5階・地下1階。道路に面したフロント部分は3階に当たる。
最近、はまっている趣味は登山
飯出 先日、facebookで利尻岳に登っている投稿見ましたよ。あれ何月ですか?
君島 7月1日ですね。
飯出 あ、君島さん山登るんだって、そのとき思ったんですよ。
君島 1日違ったら、すごく天気良くてよかったんですけど。朝は月や星が出てたんですけど、頂上に近くなってから雨になっちゃいましたね。まぁ、行けただけで十分ですけどね。
飯出 そうですね。一昨年は屋久島の宮之浦岳にも登ったんですか?
君島 そのときも1日違いで、前の日はすごく良い天気だったんですけど、次の日は雨になっちゃってね。
飯出 ははは。あんまりついてないんですね(笑)。
君島 まぁ、山ですからね。しょうがないですけど。
飯出 山は、若い頃から登られてるんですか?
君島 本格的に行き始めたのは最近ですよ。今まで、そこまで山らしい山は登ってないですね。
飯出 あ、そうなんですか。「日本百名山」には挑戦しますか?
君島 いやぁ、四国とか九州まではあまり行こうとは思わないんですが、日本アルプスとかはね。
飯出 まず、どこへ登りたいですか?
君島 焼岳とか、白馬とかですかね。活火山の山はいつ登れなくなるかわからないので、行けるときに行っておかないと、と思ってます。割と本格的に登山をやっている方について行くんですよ。
飯出 そうですよね。火山は本当にいつ登山禁止になるか、わからないですからね。君島さんはまだ60歳ですから、これからですよ。大丈夫です(笑)。
君島 そうですかねぇ(笑)。
▲一番下流側に造られた女性専用の露天風呂。目の前を流れる鹿股川の眺めも魅力。
年に2~3回水をかぶる「川岸露天風呂」
飯出 これから、ここのお宿をこういう風にしようという計画はあるんですか?
君島 設備面では、特にはないんですけど、せっかくそっちに山背負ったりしてますから、何か地産地消のものはもっと出したいと思いますね。鶏飼って卵を出す気になったんですけど、イタチか何かにやられちゃってほぼ全滅でした。それで、頓挫してますけど。そういう卵やキノコなどを料理に使いたいです。
飯出 この辺の山菜とかキノコは、例の放射能の汚染問題は大丈夫なんですか?
君島 もう大丈夫だと思いますね。
飯出 8年経ちましたけどね。あれは、地面に生えてるものには相当な影響がありましたよね。一番最近で手を入れたのは、川岸に女性専用の露天風呂を作ったことですかね?
君島 そうですね。もう、4年くらい経ちますかね。あそこは、我々がセメントとか砕石とか担いで下りて作りましたからね。浴槽が3年前に一つ流されたときも、我々が修復しました。
飯出 流された?
君島 えぇ。手前の浴槽が丸ごと無くなったんですよ。
飯出 え!?そうなんですか。増水で?
君島 はい、増水で流されちゃって。社員に型枠を作ってもらい、現場でセメントをこねて、浴槽を造りました。
飯出 ほぉ。やっぱり川岸だから、大雨出ると結構かぶるでしょ?
君島 年に2~3回はかぶりますね。
飯出 そうすると土砂とかが湯船を埋めるから、大変ですねぇ。
君島 そうですね。砂だけなら良いんですけど、小石が入ったりすると大変ですね。
▲「川岸露天風呂」の一番上流側にある岩風呂。湯はこんな色を呈す日もある。
飯出 それでも、あの「川岸露天風呂」はこちらの看板風呂ですから、苦労しても修復しないわけにはいきませんよね。
君島 そうですね。谷底までの階段がきついですが、それでもお客様の大半はあの露天風呂が楽しみで来てくださるわけですからね。
飯出 すごい不思議に思ったんですけど、隣の柏屋さんの廊下が階段の下をくぐって谷底に通じているじゃないですか。あれはどういうことなんですか?
君島 あれは、結局、宿から川岸に行くのに、勾配がキツすぎるので、そうしたんだと思いますけどね。
飯出 ということは、女性専用露天風呂のちょっと先は、柏屋さんの地盤になっているってことですか?
君島 そうですね。一応、国有地ではあるんですけどね。
飯出 借りてるってことなんですね。不思議な入り組み方をするなぁと思っていたんですよ。でも、隣はもう使ってないでしょ?
君島 使ってないですね。
飯出 昔は川岸の少し下流に、隣の露天風呂があったんですか?
君島 隣は玉屋さん、一番下が柏屋さんですが、露天風呂がありました。
飯出 こちらの温泉は、自家源泉なんでしょ?
君島 茗荷沢は自家源泉ですね。元々の町有の塩化物泉も使ってます。
飯出 あ、では、震災前までは町有泉を使い、震災後に茗荷沢の自家源泉も使い出したんですね。
君島 えぇ。以前にも自家源泉は冬場の融雪に使ってはいたんですけどね。
飯出 なるほど、よくわかりました。しかし、地震のおかげで2種類の源泉が楽しめるようになったのは、やはりラッキーでしたよね(笑)。
…あとがき…
箒川沿いに大部分の温泉地が集中する塩原11湯の中にあって、明賀屋本館のある塩の湯温泉は独特な存在だ。
箒川支流の鹿股川渓谷沿いのわずかな土地に、なんと350年ほども前から存在するのが明賀屋本館だ。
その一番の魅力が「川岸露天風呂」だが、谷底の風呂に向かって下る渡り廊下の階段数は、脱衣所までなんと88段。
川岸に造られた露天風呂へはさらに階段を6段。足腰の弱い人は断念せざるを得ない、という名物風呂なのだ。
この老舗旅館を率いる君島敏明さんは17代目。
筆者は「とちぎ にごり湯の会」に関わるようになってから面識を得たが、常に微笑を浮かべたジェントルマンという印象。
しかし、このインタビューで、近年は登山にも熱心ということを知り、俄然、親近感が増した。
いつか、どこかの山にご一緒したいものである。
いま現在、塩の湯温泉の宿は2軒。
ところが、入口近くの別の旅館が営業していた跡地に、あの共立メンテナンスが巨大なホテルを建設中で、2021年3月にはオープンする見込みだという。
大事件ではあるが、その事態に一向に動じない君島さんを見ていると、老舗宿の当主ならではの泰然とした風格を感じたが、はたしてどうだろうか。
(公開日:2020年5月10日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー