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vol.8/上牧温泉 辰巳館・深津禮二

起死回生の営業活動と山下清画伯

飯出 で、お客さんはどうやって集めたんですか?

深津 お客さんは、自分で東京にセールスに行ったんですよ。ビラ作って社員を乗せて都内を車で回って。僕は、きっとこれから社会保険が良くなるから、社会保険事務所はまだ麹町と日本橋の2つしかできていないけど、これから徐々に増えていくだろうと見て、社会保険でまずお客さんをもらおうと。その前は、株式を調べてどの業種が利益上げているかを見て。で、10業種50社くらいに手書きの手紙を出したんです。そしたら、髙島屋が保養所にしたいって言ってきたんですよ。で、決まっちゃったんです。

飯出 おお。営業して開拓したわけですね。

深津 そうです。髙島屋の常務がうちだけが使うのはもったいないから、社会保険所の所長にちょっと話してみると麹町の所長を紹介してもらって、ついに都庁も紹介してもらって、それも決まって。

飯出 もう、人の繋がりですよね、本当に。

深津 有難いですねぇ。そんなことをやってるうちに卓也が帰ってきて。卓也に「借金うんとあるよ。僕は12億8000万の借金したんだから」って言ったら、「え~、そんなにあるの。三井物産とは全然違う」と驚かれました。

飯出 山下清画伯が来るようになったのは、深津さんがここを継いでからですか?

深津 あれはね、社会保険の関係なんですよ。麹町の社会保険が契約に来て、議員がいるから委員会を辰巳館でやりたいっていうんです。その関係で式場隆三郎さん (精神科医、医学博士) が来て。で、彼が宿を気に入ってくれて、お風呂作るときに日大の先生を紹介してくれたんです。で、先生が泊まりに来たんですけど、3日経っても何もしないんですよ。3日目に水彩で、こんなお風呂どうかなって描いてくれて。で、それがすごく良かったんでお願いしますと。

飯出 お願いしたんですね。

深津 で、先生から「お金がないっていうから日大の建築の学生15人くらい連れて来るから泊めてやって」と。先生が「君は埴輪が好きなようだから、俺が博物館で良いの見つけてきてやる」って言って、写真を撮ってきてくれたんです。そしたら、その埴輪が群馬で出土した農夫の埴輪で。

飯出 埴輪は焼いたんですか?

深津 はい。焼いて作ったんですよ。中に鉄筋が入ってるんです。埴輪の足の方見ると、「Kei Sasaki」ってサインがわずかに入ってます。

辰巳館 埴輪風呂
▲辰巳館が誇る山下清画伯の壁画が掛かる「はにわ風呂」。源泉かけ流しだ。

 

飯出 日大の先生は何ていう方ですか?

深津 山脇先生です。

飯出 で、山下清画伯は?

深津 山脇先生が壁画を描くときに前衛でサーっと描くって言ったんですけど、僕は前衛は描いた人しかわからないからヤダって言ったんです。お前何言ってるんだって怒られましたけど、おじいさんも子供もお風呂入るから、楽しくなるような絵が良いんだと。で、例えば山下清みたいなって。

飯出 ほう。

深津 そしたら、先生が壁画はお前に任せると。で、式場先生に相談したら、「山下清連れてくるよ」って言ってくれて。

飯出 え、そうなんですか。

深津 どうやら (山下清画伯がいた) 八幡学園の初代久保寺園長と式場先生が同郷ということで (山下清画伯の) 面倒見てたみたいですね。それで、貼り絵で紙は難しいからガラスで作ろうってことになったんですね。職人5人つけてくれて、1ヵ月半くらいいたかな。

飯出 山下清画伯も結構来たんでしょ?

深津 来た。最初に来たときは親父も生きてて。式場先生が「清、お前これからここの風景描くんだから川を見とけ」と言ったら、3時間以上経って寝てるんじゃと思ったんですけど、ずっと見てるんですよね。で、そのときは風呂入って泊まって帰っちゃった。で、今度はスケッチに来て、画用紙をいっぱい持ってきて、清の弟 (辰治) が手伝いに来て。で、こんな感じかなって描いては道路にパラッ、パラッてやってると、それを弟が拾いに行く。

山下清 原画
▲山下清画伯の原画も多数残されていたが散逸し、いまは数点しか残っていないという。

 

飯出 最初に、山下清画伯が来たときは何年くらいですか?

深津 昭和35年 (1960) くらいですかね。

飯出 で、埴輪風呂の壁画ができたのは?

深津 昭和36年 (1961)。

飯出 壁画ができた後も山下画伯は何度もこちらへ来たんですか?

深津 来ました。3~4回来ました。春夏秋冬の絵葉書描いてもらうために。

 

辰巳館と後継への思い

飯出 深津さん、最後まとめになりますけど、卓也さんにはどういう思いを伝えておきたいですか?

深津 そうですね。僕はやっぱり、一つは宿っていうのは、またここに来たいなって思わせるような宿になってほしいと思ってるんですね。それと、この宿は優しい宿でないといけないと思うんです。そうじゃないと、せっかく来ても、お金払って来るのお客さんですから、嫌々ながら払っていく人もいるかもしれないしね。そういう人が1人でも少なくなればいいなと。

飯出 それはもう実現してますよ。本当に。

深津 まだできてないですよ。彼 (卓也さん) は努力してると思うんですね。嫁さん (香代子さん) も。

飯出 いやぁ、素敵だと思います。まぁ、言っちゃなんですけど、卓也さんは深津さんより全然真面目ですからねぇ(笑)。卓也さんは誰に似たんですかねぇ(笑)。

深津 そうですね。僕はあんまり真面目じゃないですね(笑)。僕は随分家内を困らせたりしましたからね。罪深い男です。

飯出 卓也さんは、いつもピーンとした感じだからちょっと心配してるんです。もっと悪くなった方が良いって(笑)。

深津 僕みたいにいい加減なことしなきゃだめだと(笑)。

深津禮二会長・初枝ご夫妻と、深津卓也社長・香代子夫妻
▲玄関前で、深津禮二会長・初枝ご夫妻(右)と、深津卓也社長・香代子ご夫妻(左)。

 

飯出 深津さんの健康の秘訣は好奇心ですか?向上心?

深津 それはやっぱり両方あるでしょうね。

飯出 学問的好奇心ですかね。知識欲っていうのかな。

深津 あっ、これ見たいなって思うと、即行っちゃうんですよ。

飯出 夜行バス往復で奈良まで「快慶展」観に行ったですもんね。普通そんなん、若者だってやらないですよ。

深津 今朝、奈良からこちらに5時に着いたんです。でも、全然、平気なんです(笑)。病気はいっぱいしてるんですけどね。

飯出 結構、お話聞いてると満身創痍ですよね。

深津 満身創痍ですよ。大きい傷あるんですよ。去年も2回も手術して。

飯出 まぁ、そんなん全然感じさせないですけど(笑)。

 

辰巳館・深津禮二氏と温泉達人・飯出敏夫

 

 

…あとがき…

普通なら現社長の卓也氏にインタビューするところだが、ここではあえて卒寿を迎えた会長にお願いした。
私が深津さんにお会いしたのはいまから20年ほど前になろうか。
氏は業界の大先輩である吉田良正氏 (カメラマン、レジャー記者) が、これはと思った宿や店の経営者に声をかけて立ち上げた勉強会「吉田会」の創立メンバーのお一人で、その勉強会に参加させていただくようになってから、親しくお話をうかがうようになった。
その豊富な体験に裏打ちされた含蓄に富んだお話は、いつ拝聴しても新鮮にして重い。
卒寿を迎えて、ますますその好奇心、向学心、行動力は衰えを知らず、スマホを駆使し、中国語の学校へも通う日々。
氏にお会いするたび、自分などまだまだヒヨコだと痛感させられる。
それは痛快であり、快感でもある。

(公開日:2018年7月24日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

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上牧温泉・辰巳館/はにわ風呂

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