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vol.4/美ヶ原温泉 旅館すぎもと・花岡 貞夫

古民家風にして民芸調の老舗宿を率いる、食と酒に頑固なまでにこだわる粋人

松本市郊外の山裾にある美ヶ原温泉は、天平時代の開湯ともいわれる信州を代表する古湯だ。
その閑静な温泉街の路地に面して、風格漂う木造3階建ての宿を構える「旅館すぎもと」は、知る人ぞ知る「食通をうならせる佳宿」との評価が高い。
頑固なまでに食と酒の追求にかける「きわめ人」の極意に迫るインタビュー。

美ヶ原温泉 旅館すぎもと・花岡貞夫

花岡 貞夫(はなおか さだお) /長野県松本市・美ヶ原温泉「旅館すぎもと」6代目館主。食全般、日本酒・ワイン、オーディオなど多方面にわたって造詣が深く、多才な趣味人としても自他ともに認めるところ。そのこだわりも半端でなく、毎夜公開される蕎麦打ちのパフォーマンスや陣頭指揮を執る斬新な創作料理を楽しみに訪れる客が多い。松本法人会副会長、美ヶ原温泉旅館共同組合専務理事、JR旅連松本支部支部長、「日本味の会」幹事等を歴任。

 


飯出 僕が最初に花岡さんに会ったのは、何年前になりますかねぇ?

花岡 もう10年は超えてますよね。

飯出 ですよね。吉田良正さん(※元日刊スポーツのカメラマン兼レジャー記者。取材した宿や店などの中から、これはと思う人のネットワークを作り、宿と料理等の勉強会「吉田会」を主宰して50年以上。温泉達人は十数年前から会のお手伝いをしている)に連れられて「旅館すぎもと」にお邪魔したのが、花岡さんにお会いした最初ですもんね。会員のメンバーはすごい人ばかりですが、吉田さんは協調性があるかどうかを会員の第一条件にしてますけど、基本的には好きか嫌いか、自分の感性に合ってるか合ってないかで判断する人なんで(笑)。しかし、吉田さんの人の見る目や味覚というのは、すごいですよね。

花岡 今だに先生(吉田さん)から、借り物いっぱいあるんですよ。

飯出 もともと、吉田さんは「田部歩(たべあるき)」をペンネームにしたほどの食いしん坊で、こういうオーディオも大好きな人ですから、花岡さんと出会われたのは、いわば必然ですよね。でも、花岡さんのこだわり方は、ひとつのことだけじゃないんですよね、とにかく半端じゃない。

花岡 いやいや、そんなことないです(笑)。

飯出 お蕎麦だって、あらゆるところを食べ歩いて。もう、それはうるさいっていったほうがいいですよね(笑)。

花岡 いやいや、そんなことありません(笑)。

飯出敏夫

 

美ヶ原温泉の歴史と現状

飯出 花岡さん、ここはもともと「束間(つかま)の湯」って言ってたんでしょ?

花岡 そうですね。天平時代から。

飯出 天平!? はぁ~、ってことは、もう1000年以上…。

花岡 『古今和歌集』にも載ってるって話なんですが。私も確かめなきゃいけないんですけども。

飯出 開湯は天平時代といわれていると。で、誰の発見ですか?天平時代というと、行基とか?

花岡 ちょっと書きものがあるんですよ。

飯出 ここに書いてあるんですか。壬申の乱、大海人皇子?その辺から出てくるわけ?

花岡 郵便局が地元の歴史を記録するっていうんで、郷土史なんですけど。

飯出 もう、こういう文献があるわけですね?その歌が『古今和歌集』なんですか?

花岡 そうですね。

飯出 なるほど。で、もともとここのお宿は何年に創業したといわれてるんですか?

花岡 それが難しいんですよね。もともと、「山辺茶屋」っていう湯小屋があって、それは城主の管理で、保養所だったんですよ。

飯出 城主っていうと?

花岡 松本藩主ですね。その後、明治になってから、ここが筑摩県っていう場所だったんですが、ここを貸してくださいとお願いを出したのが最初ですね。で、認められて、お宿を始めたっていう。で、5人でそのまま借りたままだったと。

飯出 5人で…。

花岡 ここの下から上まで5軒まとめて全部が「御殿の湯」っていう保養別荘だったんですよ。ところが、昭和の最初に火事で燃えちゃったんです。で、5人で借りてやってきて、一回なんとかしようとしたんだけど上手くいかないんで、5人でその土地を分けようということで、昭和8年にバラバラになったんです。

美ヶ原温泉街と松本市街、常念岳方面の山並み
▲裏手の展望台から見た美ヶ原温泉街と松本市街、常念岳方面の山並み。

 

飯出 そのときに初めて、「寿喜本(すぎもと)」って名前に?

花岡 えぇ。

飯出 「寿喜本」って、どこからきたんですか?

花岡 屋号ですね。

飯出 で、その頃も「束間の湯」っていってたんですか?

花岡 はい。で、細分化してここは「湯ノ原」という名前になったんです。それが「山辺温泉」の湯ノ原という名前だったのは昭和30年くらいまでで、大きいところが「藤井」といって、小さいところが「おぼけ」というところで、3つ合わせて「山辺温泉」って呼んでいたわけです。

飯出 その中のここは、「湯ノ原」っていうところだったんですね。

花岡 はい。ただ言い方悪いけど、あんまり栄えている温泉じゃなかったのね。湯治場そのままを継承していた。その頃、隣の浅間温泉の景気がよくてね。松本は農民のみなさんがお蚕さんを作ってて、お米とお蚕やってるんだけど、お蚕は諏訪に片倉っていう大きな製糸工場があったんだけど、そこでお金に換金するんですね。で、お金になって帰るじゃないですか。一年よく働いたなぁと。歩いて帰る途中に浅間温泉に寄って、芸妓さんと大騒ぎして帰って来るっていう流れがあって、浅間はそれで栄えたんですけど、こっちは残念ながら何にもないんですね。何とかしなきゃってときに、名前が少しおかしいじゃんって話になって、隣が「浅間」だったから「美ヶ原」にしようって、そんな程度です。

美ヶ原温泉・旅館すぎもと/ロビー
▲重厚な松本家具が目を引くロビー。オーディオからは音響抜群の曲が流れる。

 

飯出 「美ヶ原温泉」にしたのは何年頃なんですか?

花岡 昭和30年代です。

飯出 で、その城主の保養所だったところを5人で借りてというのは、花岡さんの先代?

花岡 僕の6代前の人が借りたんですよ。

飯出 それは親戚?

花岡 というか先祖です。これを建てたのは、それからあとの3代目の人で、僕からすると曾祖父っていう。

飯出 というと、花岡さんは6代目?

花岡 そうです。

飯出 じゃあ、生まれたときには後継ぎという宿命を背負っていたわけですね?

花岡 まぁ、そうですね。かわいそうに(笑)。

飯出 現在の美ヶ原温泉には源泉は何本あるんですか?

花岡 いま使用しているのは第2、3、4、5号源泉。湧出量は毎分378.2リットルと多くはなく、それを15軒の旅館と共同浴場「白糸の湯」に配湯するので、集中管理しています。

飯出 なるほど。その湯量だとあまり贅沢な湯づかいはできませんねぇ。

花岡 そうです。かけ流しにするのには難しい湯量ですね。

貸切露天風呂
▲小石を敷き詰めた風情ある貸切露天風呂は庭師の作品。30分2000円で何人でも可。

 

鍛えられた立教大学ホテル研究会時代

飯出 花岡さん立教大学文学部卒ですよね?

花岡 えぇ。でも、何もやってない。洗礼も受けてないし(笑)。

飯出 へぇ〜、観光学科じゃないんだ。

花岡 そうなんですよ。うちの学校面白いんですよ。別に観光学科じゃなくても、最低限の指導要綱のものはとらないといけないんだけど、それ以外のものは全部振り替えができるんですよ。キャンパスも今みたいに新座キャンパスが出来てなくて、池袋キャンパスの中で済んじゃうから、僕みたいに観光とってるやつもいたし、経済とってるやつもいましたね。

飯出 部活みたいなのもやってたんですか?

花岡 えぇ。おかげさまで、入れてもらったのがホテル研究会ってやつで。そこの半分くらいのメンバーが観光学科かな。

飯出 そうそう、和倉温泉の加賀屋さんのご夫婦も…。

花岡 ホテル研究会の先輩です、お二人とも。ここの隣の浅間温泉の老舗「ホテル小柳」の三浦先輩は、うちの先輩だったんだけど、卒業名簿にないもんですから、ずっと後になって判った。あと、鳥羽の「戸田家」さんのお二人も先輩なんですよ。

飯出 あちこちに、いらっしゃるんですね。花岡さんは、立教大学卒業した後、すぐここへ戻ったわけじゃないんでしょ?

花岡 いえいえ、すぐ帰ってきましたよ。

飯出 あ、そうなんですか?

花岡 平成元年の前は、修学旅行の団体とかも受け入れていたこともありましたね。

飯出 花岡さん、料理はどこで?

花岡 いやぁ、何もしてない(笑)。

飯出 自己流?自分で勉強?

花岡 そう。まぁ、食べ歩くことはしてましたけどね。


▲蕎麦打ちの実演は軽妙な解説が炸裂する“花ちゃんのワンマンショー”。

 

飯出 その頃、板前さんは?

花岡 いました。まぁ、5年だけ。

飯出 で、花岡さんが戻ってきてから自分でやるようになったんですか?

花岡 っていうのはね、帰ってきてから1、2年後、板前が脳溢血で倒れて、そのまま亡くなったんですよ。で、交替はいないし、しょうがないからって始めたんですよね。

飯出 花岡さん、調理師免許なかったんでしょ?

花岡 だって別に関係ないですもん。

飯出 あ、そうなんですか?

花岡 えぇ、免許持ってたって関係ないですよ。免許なくてもできます。ここを仕切れる衛生管理をできる資格を持っている人がいれば。

美ヶ原温泉・旅館すぎもと/打ち上がった蕎麦
▲打ち上がった蕎麦は絶品。すぐに食べないと、花ちゃんのカミナリが落ちる!

 

飯出 で、前の板前さんが倒れて亡くなって、急場凌ぎのような感じで花岡さんがやるようになって、そのままずーっとやってるわけですか?

花岡 そう、そのままずーっとやってる(笑)。

飯出 いやぁ、ものすごい勉強されてますよねぇ。

花岡 いや、勉強なんかしてない(笑)。食べるだけ、飲んでるだけ。

飯出 それで、あんな立派なBarまで造っちゃったわけですか。

花岡 自分で飲みたいから(笑)。あそこは以前、お風呂場だったスペースなんだよね。


▲花ちゃんの本領発揮、磨き抜かれた趣味と遊び心いっぱいの洗練されたBar。

 

飯出 大学のホテル研究会で、そういう勉強もしたわけですか?

花岡 いやぁ、そこまではないですね。でも、3年生まで大学の学園祭があったから、第一学食ってあるんだけど、ホテル研究会でタダで貸していただけるっていうのがあって、どういうふうになってるかわからないけど、昔の慣例で。それで、普通だったら模擬店なんだけど、一応ホテル研究会なので、指定ホテルのコーヒーショップのレベルくらいまではしようと。食べ物、飲み物も。で、そのときホテルはものすごく良い時代だったっていうか、当時のホテルって宿泊はどうでもいいんですよ。泊まるんじゃなくて宴会すれば、宴会の売り上げがものすごい時代で。毎日宴会があるわけですから。なので、ホテル研究会でお皿とか、カトラリーとか、100個貸してくれって頼んでも問題ないんですよ。

飯出 へぇ。

花岡 で、ホテル研究会で、タダで借りてきたっていうか、もらってきたっていうか。だから、ほとんどお金かからなかった。生鮮食料品の食べ物っていうのはお金かかったんだけど、そうじゃないのはほとんどタダだし、人件費もかからない。僕らそのころの研究会は120人くらいいたんですよ。当然4年生はやらないけど、約80~90人は現役としていたわけ。で、そのうち10人くらいが研究発表、あとの70人は中で働けるわけですよ。そのときの役割で、僕はコックにされちゃったんですよね(笑)。

飯出 花岡さんが、コックに?

花岡 えぇ、そうなんです。で、厳しい店長がおりまして、いかに稼ぐかってことに徹底してた(笑)。他の学校と差別化しないといけないっていうんで、冷凍食品を使わないで、クオリティー高いものを作らないといけないと。ピザなんかは、生地から作りました。冷凍の生地でも600円くらいで、結構するわけ。当時、世間ではピザは1400円くらいで売ってたんだけど、文化祭なので学校からなるべく安く売れといわれて、価格は800円くらいで販売しなきゃいけない。で、何をしたかっていうと、一番原価の高い生地を作ってしまおうと。東武デパートの中に「ジロー」が入ってて、そこのオーナーが我々の先輩なんですよ。で、修業に行かせてくださいって頼んで、冷凍じゃない生の生地作りました。日清製粉にも先輩がいまして、大学で日清製粉を宣伝しますからっていって、粉もタダになった(笑)。毎日、ピザを150枚くらい作ってましたね。

飯出 ははは。その辺から土壌があったわけですね。


▲のんべえにはこたえられない、みごとな酒の肴の逸品が並ぶ前菜の数々。

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