由緒正しき“信玄公の隠し湯”を守る第58代目湯守の矜持に迫るインタビュー
掘削技術の進歩で、かつては温泉県とは程遠かった山梨県も、いまでは有数の温泉県に発展している。
しかし、それ以前で山梨県の温泉地といえば、甲府市内にある観光的な雰囲気の湯村温泉と、ここ湯治場を代表する下部温泉が双璧だった。
下部温泉の歴史は古く、開湯はいまから約1300年前の奈良時代といわれ、戦国時代は武田信玄の隠し湯として栄えたことでも有名だ。
往時の賑わいぶりを知る筆者にとって、現在の下部温泉の静まり返った様子は寂しくも思える。
そんな中にあって、いまなお下部温泉を名湯たらしめているのが老舗宿「古湯坊 源泉舘」と、足元湧出泉「武田信玄公かくし湯大岩風呂」の存在だ。
58代目を数えるという館主・依田茂氏の湯守としての矜持に迫るインタビュー。
依田 茂 (よだ しげる) /1959 (昭和34) 年12月19日、下部町 (現身延町) でサラリーマン (公務員) の家の次男として生まれる。地元の小・中学校を出て、山梨県立市川高校に進学。中・高校と野球部に所属し、甲子園をめざして部活に熱中。卒業後は静岡県沼津市にある住宅設備の総合商社に就職。20歳のとき、地元で開かれた成人式に出席し、中学時代に同じ野球部のマネージャーだった由有子 (ゆうこ) さんと再会。すぐに意気投合して交際し、25歳で結婚。その後、30歳で脱サラして帰郷し、奥さんの実家である下部温泉・古湯坊源泉舘の58代目を継承した。3女の父。現在、下部観光協会会長。奥さんは下部温泉女将会の会長を務める (2020年7月現在)。
免許状が残る由緒正しき“信玄公の隠し湯”
飯出 この前お邪魔したのは、『旅の手帖』の取材で、3年前くらいですかね?
依田 えぇ、そうですね。
飯出 僕、本当に、依田さんてこんなに若かったかな?って思ったんですよ(笑)。
依田 そうですか。いやいや、どうしたんでしょうね(笑)。
飯出 依田さん、何年生まれですか?
依田 1959 (昭和34) です。還暦過ぎました。
飯出 やっぱり、お若いですね~。前、そんなに若くは感じなかったんだけどなぁ。前に伺ったときの記事に目を通して来たんですけど、依田さんで58代目なんですね。すごいですよね、家系図が残ってるんですか?
依田 えぇ、資料を見たことあります。先代が亡くなったんですけど、整理すれば資料はどこかにあるはずです(笑)。
飯出 へぇ。創業年代は大体わかってるんですか?
依田 それは、わからないですね。下部温泉の開湯は1300年前の奈良時代中期とは言われてます。宿屋としては250年前、江戸時代中期の創業で8代目なんですよ。
飯出 あの大岩風呂が下部温泉の原点でしょ?
依田 そうです。武田信玄公の隠し湯の源泉始祖なんです。
▲源泉舘の玄関。老舗の歴史を物語る構えが、一瞬にして昭和の雰囲気に引き込む。
飯出 ボーリングしたんですか?
依田 ボーリングというか手で掘ったんでしょうね(笑)、多分。昔の人ですから。
飯出 ははは、要するに、湧出口を作ってあげたってことですよね。で、武田信玄の隠し湯といわれる温泉は、山梨県や神奈川県にはいくつもありますよね。全部でいくつくらいとか数えたことあります?
依田 いやぁ、ないです。
飯出 でも、由緒というか、確証のある武田信玄の隠し湯といえるのは、そんなにはないんでしょ?
依田 そう思いますね。
飯出 下部温泉の源泉舘と川浦温泉の山県館と、あとどこがあるんですかね?
依田 う~ん、山梨だと増富温泉もよくいわれるんですけど、下部温泉と川浦温泉ほどではないですね。
飯出 武田晴信の署名のある、あれはなんと呼ぶんですか?
依田 免許状っていわれてます。その当時、うちは佐野だったんだと思うんですけど、ここを守っていきなさいっていう土地の免許状でしょうね。
▲別館神泉の玄関先には、由緒を伝える武田晴信の免許状 (複製) が掲示されている。
飯出 晴信は信玄を名乗る前ですもんね。その当時、この奥に金山があったんでしょ? そこの金山に従事している鉱夫の人たちと、戦場で負傷した武士がここで傷を治したという、再生工場じゃないけど、そういう場所ですよね。
依田 そうですね。ただ、信玄の怪我自体は1561 (永禄4) 年の4回目の川中島の合戦のときといわれてます。そこで、刀傷を治したっていわれるのと、金山の労働者の今でいう福利厚生みたいな形で。それで、金と温泉を隠したっていわれるんじゃないかと思うんですけどね。
飯出 武田信玄も、戦場で傷ついて療養したわけですよね。
依田 そういわれてますけど(笑)。
飯出 でも、免許状が残っているっていうのは、確たる証拠ではありますよね。それは、こちらの先代が免許状を下賜されたんですよね?
依田 そうでしょうね。
▲源泉舘の本館が建つ路地。この狭い路地に面して木造3階建ての宿を構える。
奥さんは同じ中学の野球部出身!?
飯出 先祖は佐野だったんですか?
依田 その辺もよくわからないんですけど、武田信玄のときは佐野で、その前はわからないんです。
飯出 なるほどね。依田さんはずっと依田さんなんですか?
依田 そうですよ。
飯出 奥さんが依田さんだったんですか?
依田 石部 (いしべ) です。佐野の次が石部、そして依田になったんですよ。
飯出 あ、じゃあ、依田さんはここを継承し、依田の名前のまま入って奥さんは嫁さんなんだ。
依田 そういうことです(笑)。今思えば、婿で良かったんじゃないかと思うんですけどね。その当時は、突っ張ってたんでしょうね(笑)。
飯出 へぇ。ここに入られる前は、依田さんは何をされていたんですか?
依田 一般のサラリーマンです。東京が本社ですが、静岡の方で。
飯出 静岡ですか。奥さんとは、どういうご縁なんですか?
依田 もともとは同級生なんです。この町の。
飯出 え、依田さんもここの町の出身なんですか?
依田 えぇ。今は身延町ですけど、前は下部町で、そのとき同じ学校で。中学のときに私が野球部のキャプテンで、女房はマネージャーだったんです。
飯出 おぉ~、野球少年!
依田 高校は別で、私はこっちの高校行って、女房は県外の高校行って。別にそのとき付き合ったりとかはなかったですけど、成人式で戻ってきて意気投合して、それからたまに会うようになって(笑)。
飯出 結婚されたのは、おいくつのとき?
依田 25歳です。
飯出 若いですね~。で、25歳で結婚されてすぐここに入ったんですか?
依田 いえ、5年間は外で働かせてくれと。30歳になったら戻りますということで。
飯出 へぇ。じゃあ、奥さんも一緒に?
依田 そうです。静岡の沼津で。営業をやってました。
飯出 いわゆるサラリーマンですね。何の仕事だったんですか?
依田 住宅関係のことをやってました。
飯出 じゃあ、5年間は沼津で新婚ライフを楽しんだわけですね。で、30歳になって、しょうがない帰るか、という風になったと。
依田 まぁ、義理の父が具合悪かったものですから、ちょうど良い機会かと。
飯出 奥様のお名前は?
依田 由有子 (ゆうこ) です。
飯出 はぁ~、同級生(笑)。マネージャーとキャプテン。どこ守ってたんですか?
依田 ショートです。
飯出 じゃあ、機敏だったんですね。私は、ピッチャーとサードやってました。中学時代、野球しかなかったですからね。作文で、いずれはプロ野球選手になるって書いてましたよ。まぁ、昔の少年ですよ(笑)。
依田 まぁ、私もそのような感じです(笑)。
▲玄関を入った1階は右手に受付、奥にロビーと売店。いろいろな土産物が満載だ。
課題はやはり施設の老朽化と人手
飯出 私の中では、下部温泉は山梨県で一番の温泉街であり、湯治場であり、由緒ある歴史のある温泉場だと思ってるんですけど、一番賑わったのはいつくらいですか?
依田 1978 (昭和53) 年ですかね。
飯出 お、ずいぶんはっきりしてるんですね。
依田 調べたことがあるんですよ。NHK大河ドラマの武田信玄ブームがあったじゃないですか。あれがすごかったんですよね。まだ、私はここにはいませんでしたけどね。
飯出 NHK大河ドラマの武田信玄は、中井貴一さんのときですか。そのとき、旅館は何軒くらいあったんですか?
依田 35軒です。現在は、17軒です。
飯出 半減かぁ…。
依田 ここ5年くらいで急激に旅館が無くなっちゃいましたね。やはり、後継ぎがいないのが一番の理由ですね。ほとんど、下部温泉の場合は家族経営なんですよ。
飯出 どこの温泉に行っても従業員が集まらないと言ってますが、部屋が空いてても従業員がいないからお客さんが取れない、って言ってるところが多いんですよね。依田さんところは、従業員は?
依田 まぁ、なんとか回せますけどね。本当は、あと1~2人はほしいです。ほしいのは掃除要員なんですよ。結局、みんなやるようになると負担になっちゃって。うちは、5~6年はずっと同じスタッフでやってますけど、高齢化してますね。
飯出 何人くらいスタッフはいるんですか?
依田 今、家族以外で7人です。全員朝からではなく、ローテーションでやってます。
飯出 本館のほかに別館もあって、両方見なくちゃいけないですもんね。老舗のお宿をやってきて、一番大変なことはどういうことですか?
依田 う~ん、今は、施設の老朽化ですね。引き継いだときに手入れがされてなかったもんで(笑)、なかなか大変です。老朽化の問題、スタッフの問題、そして温泉を守り続けていくこと、ですね。
飯出 30歳でってことは、平成?
依田 はい、平成2年に帰ってきました。1990年ですね。
飯出 とすると、バブル景気がはじけるのが1991 (平成3) 年2月ですから、まさに末期ですね。
依田 はい、戻って間もなく、もう下がりっぱなしの時期ですね(笑)。私のせいなのかと悩みました(笑)。
▲本館のショーケースに展示されている古い宿帳。これは江戸時代のもののようだ。
重要なのは温泉地全体の活性化
飯出 今、下部温泉や源泉舘で、課題として考えることは、どういうことですか?
依田 やっぱり活気を取り戻したいのと、共有していかないとダメですね。色々なことに対して、まだ自分勝手なんですよ(笑)。自分さえ良ければいいと……。
飯出 温泉地全体を盛り上げるって感じではないんですね。難しいですね。
依田 難しいです。ある一部は協力するけど、足を引っ張る人もいますし。これは、温泉地はどこも一緒じゃないですか(笑)。
▲大岩風呂がある別館神泉の外観。脇に立つ鳥居は裏山に鎮座する熊野大神社への入口。
飯出 確かに。まぁ、17軒だから、まとまっても良い軒数ではありますけどねぇ。17軒の中でも後継ぎがいないって悩んでいるお宿は結構あるんですか?
依田 ありますね。このままでいくと、あと5年もすれば、10軒くらいになると思います。
飯出 そういう感じなんですか。下部温泉に他からは入ってきてますか?
依田 いや、ないですね。一時、入りそうになりましたけど、中国の方が。
飯出 そうでしたか。ところで、客の中には結構、著名な人が来てるでしょ?
依田 そうですね。石原裕次郎さんが怪我したときの療養で、下部ホテルを貸し切って話題になりましたけど。それで下部温泉も賑わいましたね。先に当館に話がきたらしいんですけど、全部貸切にして欲しいと言われてお断りしたそうです(笑)。下部ホテルは離れを貸切にしたようです。
飯出 全部貸切ですかぁ。スキーかなんかで骨折したときですかね。すごいですね。
依田 結構話題になってすごかったらしいですよ、まだ私が子供の頃の話ですが。その昔は、野球選手、相撲の力士とか来てましたけど。医学が発達すると温泉でゆっくり療養っていうのはないんですよね。
飯出 昔はスポーツ選手のリハビリを兼ねた温泉地が結構ありましたけどね。
依田 そうですね。
飯出 今日、車をどこに置こうかってと思ってウロウロして、「信玄水」の工場のところに行ったんですけど、あそこは別会社?
依田 別会社です。源泉舘の温泉を供給して、別会社の工場で製品化してます。みんなよく一緒だと思われるんですけど、まったく違うんですよ(笑)。先代の社長とは友人関係だったんですけど、私のときは別会社になってましたね。だから当館もあのミネラルウォーターを買ってるんですよ。
▲快復した湯治客が納めた松葉杖やギプスが詰まった、熊野大神社の松葉杖奉置所。
本館には高温源泉を引く男女別の内湯も
飯出 今は、大岩風呂は日帰り入浴を受け付けてないんですよね?
依田 はい。(日帰り入浴不可にして) 4年くらい経ちますね。
飯出 こっち (本館) のお風呂も受け付けてないんですか?
依田 えぇ。前からこっちは受け付けてないもので。こちらの風呂は男女別で、町の高温源泉を引いてます。
飯出 それは、町で高温の温泉が出たから引いたんですよね? それまでは?
依田 それまでは、この敷地内にある鉱泉を引いてましたけど。やっぱりぬるいから加温しなければなりませんでした。
▲本館内には町有泉を引く男女別の内湯もある。男湯は檜風呂、写真は石造りの女湯。
飯出 高温源泉はどこにボーリングしたんですか?
依田 この上にホタル公園っていうのがあるんですけど、そこで1500m掘って、この神社の上のタンクに送ってるんです。そのタンクから各旅館に分湯してるんですよ。
飯出 そのお湯はどこのお宿にも分湯しているんですか?
依田 はい、各旅館に行ってますね。
飯出 加温しなくて良いのはお宿にとっては楽ですよね。
依田 源泉が51度なので、燃料代がかからないので楽ですね。ただ、うちの場合は (タンクに) 一番近いですから、夏場は熱いです。冬は10分に1回くらいボイラーが回るかなぁ。
飯出 どのくらい出てるんですか?
依田 貯湯槽に (毎分) 170リットル注入され、各旅館には (毎分) 7リットル分湯されています。県の条例として、自然湧出に影響があると困るので (揚湯は毎分) 200リットル以下といわれているようです。
飯出 なるほど。自然湧出の湯量はわかるんですか?
依田 測るのは難しいですね。ただ、年2回中央温泉研究所にやっていただいています。
お湯を抜いたときに排水口に流量計をつけて。最高に多いときで毎分400リットルくらいあったそうです。今は、平均だと (毎分) 200リットル切るくらいでしょうね。
飯出 毎分7リットル分湯されていれば、本館のお風呂には十分ですよね。飲料水もそこから取ってるんですか?
依田 飲料水は、大岩風呂で取るというか、浴槽とは層を別にして、地下のタンクに落としてポンプアップしてます。
▲本館の客室は2階と3階。各部屋名に武田軍の武将名を付けた落ち着いた和室。
毎日清掃して湯を入れ替える大岩風呂
飯出 いつも自然湧出のお風呂を見ると、どういう風に掃除するんだろうって思うんですけど、どうやって抜くんですか?
依田 まず、湯を抜く前にデッキブラシで側面をこすって。それから15㎝の栓を抜くんですけど、5cmくらいはお湯が貯まった状態で床をデッキブラシでこすります。温泉は常に出てるので、空になることなく、床は空気に触れることはないです。1時間くらい流して栓をして、朝にいっぱいにするという感じですね。
飯出 なるほどね。あの大岩風呂はどのくらいの頻度で掃除するんですか?
依田 毎日です。
飯出 毎日、湯を抜くんですか? そりゃ大変だ。
▲「武田信玄公かくし湯大岩風呂」は温泉が自然湧出する岩盤をそのまま湯船にしたもの。
依田 毎日22時から抜いて掃除します。もう、(源泉が) 命ですから。それだけは、綺麗にしないと、温泉の状態もわからないので。
飯出 そうですよね。それは依田さんの役目?
依田 そうですね。使命です! 歳とると大変だからといって、今はもう娘たちがやってくれています。1時間30分くらいかけて掃除してます。
飯出 大岩風呂は、湯治のお客さんは入れない時間ってないんですか?
依田 6~22時まで自由に入れるようにして、負担になるけど22時以降に掃除するようにしました。昔はスタッフに任せて12~14時に掃除やってたみたいなんですけど、そうすると湯治のお客さんが入れない時間もあるし、お湯が貯まらないんですよ。
飯出 なるほどね。あのお風呂はあの温度だからずーっと入れちゃいますよね(笑)。特に夏場は気持ちが良いですからね。
依田 夏は本当に気持ち良いですよね。
▲半地下にある大岩風呂の上段には加温浴槽があり、交互浴をするのが湯治の基本だ。
跡を継いでくれるのは3人娘の誰か?
飯出 今、こちらの建物は何て呼んでるんですか?
依田 こちらは源泉舘の本館です。別館は神泉と呼んでます。
飯出 お部屋は何部屋?
依田 使っているのは本館6部屋、神泉は17部屋です。
飯出 神泉は滞在する湯治のお客さんがほとんどでしょ?
依田 湯治のお客さんがメインで、8割以上がお馴染みさんです。
飯出 自炊はできるんですか?
依田 自炊はやってないです。昔はやってたんですけど、火のもとが怖いもんで、今は2食付きの賄いのみです。
飯出 神泉は2食付きでおいくらくらいなんですか?
依田 2名使用ですと、1人8000円~です。本館は1泊2食1万2500円~で、観光のお客様です。
▲主に長期滞在の湯治客が利用する別館神泉の客室。湯治に徹したシンプルな造り。
飯出 まぁ、お話を聞いた限りでは、あまり心配ごとはないですね(笑)。
依田 いやぁ、心配だらけですよ~。老朽化していることもあるし。ただ、壊すと建てられなくなっちゃうから。
飯出 消防法で新しく建てることができないんですね?
依田 そうなんですよ。壊すのもお金かかりますけど。
飯出 そうですよね。壊すのにお金かかるからって、そのまま廃墟になっているのがいっぱいありますよね。
依田 今、あちこち廃墟がいっぱいありますね。下部も2~3軒はそのままですからねぇ。
飯出 そういう建物があると、廃れた雰囲気を助長しちゃいますからねぇ。ところで、依田さんところは後継ぎの心配はない?
依田 今のところ、3人娘ですが、誰かが継いでくれそうです。長女 (美郷さん) と次女 (恭実さん) は今ここにいて。三女 (悠さん) は結婚して孫がいますが、孫も女の子です。
▲館主の依田茂さん、お孫さんを抱いた奥様の由有子さんと、いいゆ!
飯出 ほーっ、女系なんですね。
依田 そうですね。まぁ、後継ぎは、時が経てば誰かがと思って心配はしていないんですけど。
飯出 そうですか。後継者がいるってわかってるだけでも、心強いですね。
…あとがき…
「第58代目湯守」と聞くと、なにやら尻込みしそうな威厳を感じていたが、実際にお会いした依田さんは温厚な紳士で、厳めしさなど微塵も感じさせなかった。
聞けば、家族は奥さんと娘3人、つまり男性は依田さんただ1人だけとのこと。
なるほど、それでこんなにも若々しくて、温和な人柄なのかと思ったが、実は源泉舘は奥さんの実家だという。
そんな事情も影響しているのかな(笑)。
で、話しているうちに、中学時代は野球部で、奥さんがマネージャーだったという。
一気に親近感が湧きましたね。
というのも、筆者もこのような山間の狭いグラウンドで、野球に命を懸けた少年時代を過ごしていたから。
現在、奥さんと長女、次女、ときどき三女+初孫 (こちらも女の子) に囲まれた生活なんだという。
そのことも、依田さんの若々しさの秘訣に違いない。
跡継ぎの心配もなく、これからも老舗宿「古湯坊 源泉舘」と「武田信玄公かくし湯大岩風呂」が安泰なのは間違いないだろう。
(公開日:2020年7月18日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー