4ヶ国語を駆使する国際派サラリーマンから、旅館経営に転身した異色の湯守
塩原11湯と称される塩原温泉郷にあって、赤沢温泉旅館のある中塩原温泉は中心部から少し外れた地味な立地にある。
「木の葉化石園」を目指して箒川左岸側に渡ってすぐに右折、車道の行き止まりにポツンと建つのが赤沢温泉旅館である。
聞き慣れない名称の宿だなぁと思ったら、現館主が脱サラして休業していた宿を譲り受け、2015 (平成27) 年4月に再生させた宿だった。
その館主がユニークな経歴の持ち主で、日本語のほか英語、スペイン語、中国語を駆使して、塩原温泉郷の魅力を外国人客に発信。
インバウンドには比較的不熱心な塩原温泉郷に新風を吹き込もうと奮闘中なのだ。
中国人の可愛い奥さんと二人三脚で新しい宿の姿を模索する、遠藤正俊さんの勇気あるチャレンジに迫るインタビュー。
遠藤正俊(えんどう まさとし) /1960年11月東京都に生まれる。1979年慶応高校卒、1985年米国Utah State University卒 (森林学士)。1987年にUniversity of Wisconsin-Madison卒 (植物育種遺伝専攻、修士)、米国やコロンビアでの林業研究を経て、1996年にNorth Carolina State University卒 (森林学博士)。同年、王子製紙に就職し、本社海外植林部勤務。中国の現地植林事業の総監督、広西王子豊産林有限公司の企画設立等に従事。2014年、同社を早期退職し、中国で結婚した愛妻 (潘艶金=パン イェンジンさん) と共に、赤沢温泉旅館を2015年4月にオープン。現在に至る。
脱サラまでの道のり
飯出 もともと遠藤さんがここのお宿を始めたのは何年前ですか?
遠藤 2014 (平成26) 年に宿を買ったんですね。
飯出 それは会社をお辞めになった後に買ったんですか?
遠藤 早期退職をする前に、契約書とかは全部結んで内金を入れて買った段階は、まだ会社にいました。会社にはいましたけども、もう早期退職は決まって、早期退職金がもらえるってことも分かって、その段階で買いましたね。
飯出 話が前後になるんですけど、もともとは遠藤さんはサラリーマンですよね?
遠藤 サラリーマンです。
飯出 言ってみれば、脱サラで温泉旅館を経営する道に入られたわけでしょ?それを決心したのは、どういうところなんですか?
遠藤 私は小さい時から温泉が好きで、高卒後にアメリカに渡って、アメリカでも地元の温泉に行ったりしてて、その後南米のコロンビアで植林関係の仕事してたんですけど、南米にも温泉があって。中国でも植林することにになったのですが、植林をする候補地が何ヵ所かあって、たまたま選んだ候補地の脇に温泉が湧いていました。温泉と縁があります。そして、日本に帰ってきても、一番息抜きできるのが温泉とか山でしたね。
飯出 なるほど、リフレッシュが温泉だったんですね。それが高じて、自分で温泉旅館を経営してみようというところまで行き着くわけですね?
遠藤 まぁ、そういうことですね。
飯出 山にも登られてた?
遠藤 はい、山も少し。
飯出 どんなところへ登ったんですか?
遠藤 斜里岳とか、羅臼岳とか。コロンビアでは4000~5000m級の山にも登りました。
飯出 へぇ、そうなんですか。そりゃ、本格的じゃないですか!
遠藤 いやいや、飯出さんが踏破された「日本百名山」ほどじゃないですよ。
▲箒川越しの対岸に塩原の中心街を望む、とびきり開放的な男湯の露天風呂。
林学を学びにアメリカの大学へ
飯出 高校を卒業したら日本の大学は選ばず、いきなりアメリカの大学に行かれたんでしょ?アメリカは何て大学?
遠藤 初めは高校でリピートして、語学だけちゃんと準備して。20歳のときにディキシーカレッジ (Dixie College) っていうユタ州の南にある小さな大学に行って。授業料も安かったんです。
飯出 専攻は?
遠藤 一応、林学を勉強したいって希望はあって。林学を勉強できる日本でいう教養学部みたいな学部があるんですよ。小さい街で居心地が良くて。
飯出 そこで2年?
遠藤 はい、カレッジが2年。それで、ユタステートユニバーシティっていうところに2年行きました。地元ユタ州の農業大学ですね。
飯出 で、そこにも林学があったんですか?
遠藤 はい、林学があったんですね。その後、マスターでウィスコンシン州に行ったんですね。マスター卒業後、南米のコロンビアで4年間働いて。
飯出 コロンビアでも植林のお仕事されたんですか?
遠藤 はい、地元の大きな製紙会社に就職しました。アンデス山脈のとても綺麗な山々の中に植林の試験を設定しました。林地の傍らに温泉が湧いていたり、とても楽しい4年間を過ごしました。その後、アメリカに戻り、林学博士の資格を取得するための勉強をしました。
飯出 へぇ。で、そこを卒業してから日本の王子製紙に就職したわけでしょ?
遠藤 はい。東京本部の海外植林部に3年くらいいて、東京にいながら海外の植林をサポートしました。2000 (平成12) 年に中国に進出するブームがありまして、お前も行ってこいって言われて。スペイン語が出来たんで、なぜ中国かっていうのはあったんですけど (笑)。
▲中塩原地区、箒川の左岸にポツンと一軒宿の風情で建つ。まさに隠れ宿の雰囲気。
主戦場の中国で愛妻との出会い
飯出 なるほど。それで、日本語、英語、スペイン語に続き中国語と、4ヵ国語が話せることになるわけですね。中国では合弁会社的なものを作ったわけですか?
遠藤 初めに作った会社は、独資っていうんですけど、中国の資本が入っていない会社を王子製紙90%と丸紅10%で作りまして。中国の会社の定款とか土地を借りる契約書、植林の契約書など全部やる機会があったので、本当に良い勉強になりました。
飯出 その王子製紙に就職したのは何歳のときですか?
遠藤 36歳ですね。
飯出 で、中国に行ったのは40歳くらい?
遠藤 ちょうど40歳ですね。現地責任者で行きました。
飯出 立ち上げから全部やったんですよね?従業員も中国の方?
遠藤 私以外、中国の方でした。植林事業で利益を上げるのはなかなか難しいのですが、この事業で借りたお金を予定通りに全部返せたうえに利益を出せたので、今考えると結構すごいんですけど、そういう経験をしました。
飯出 で、中国のお仕事はどのくらいやったんですか?
遠藤 最初は7年間中国に行って、その後3年間で日本に戻って、50歳のときにもう一度中国に行きました。
飯出 56歳で会社辞めたんですよね?50歳で行ったときに奥さん (潘艶金=パン イェンジンさん) と知り合ったわけ?(笑)
遠藤 いえ、40歳で初めて中国に行ったときに知り合いました。
▲2011年4月、結婚披露宴時のひとこま。遠藤さん50歳、奥さん38歳!
飯出 へぇ。で、ずっとお付き合いしてたの?
遠藤 え~と、ただの友達としてですね、ホントに(笑)。妻は、ホテルのピアノバーみたいなところでギターを弾いてたんです。
飯出 歌も歌ってたの?
遠藤 歌も歌ってました。ちょっと可愛いなぁと思って。
飯出 それで、電話番号聞いて?
遠藤 私は、当時中国語ほとんどしゃべれなかったんですね。で、周りにいた人にあの子の電話番号ほしいかって言われて。ほしいって言ったら誰かがもらってきてくれたんですね。で、中国語できないのに一生懸命かけたんです(笑)。
飯出 へぇ(笑)。
遠藤 中国に再度行くことになった50歳のときに連絡とったら、まだお互い独身で、じゃあ結婚を前提に付き合ってみる?みたいな話になっちゃったんですよ(笑)。
早期退職して温泉旅館の経営へ
飯出 それで、お勤めしている段階で、早期退職して温泉旅館をやろうという気持ちがあり、その構想を奥様に話したときはどんな感じだったんですか?
遠藤 妻が初めて日本に来たときに、栃木県の赤滝鉱泉に連れて行ったんですね。
飯出 また、渋いところに連れて行きましたねぇ(笑)。他に山ほどある温泉の中から。
遠藤 私の一つの理想の鉱泉なんで。連れて行って、「私はこんな旅館を経営したいんだけど良いか?」って。そしたら良いって言うから。
飯出 はぁ。でも、早い話、それは日本に来てもいいよって、彼女の意思表示ですよね。
遠藤 はい。当時、中国に駐在していましたけど、彼女とは日本の温泉宿をやろうということで、何回も見に来ました。
▲浴場へ続く庭園を望む廊下。壁には奥さん手作りのエキゾチックなタペストリー。
飯出 何ヵ所くらい見に行ったんですか?
遠藤 7~8ヵ所くらいですかね。
飯出 そんなに行ったんですか。どんなところを見に行ったんですか?
遠藤 わらび温泉、岳温泉、十和田湖のそばの民宿、阿蘇の温泉とか。ここ (赤沢温泉旅館の前身) は、ネットで見て最初は高すぎたんですけど、その後安くなったんで見に来て、なんとか予算の範囲内だったんです。
飯出 ここは良いと思いますよ、すごく。
遠藤 ありがとうございます。
飯出 一軒だけ離れていて、隠れ宿的な感じで。一軒宿の風情もあるし、広々としてるし、樹木があるし。これ、敷地はどのくらいですか?
遠藤 ざっと9500平方メートルくらいあります。2800坪ですね。裏山も敷地なので。
飯出 それは、裏山が下手に開発されなくて、良いですね。
遠藤 はい。いずれ、うちでログキャビンを作っても良いかなと思ってます。
▲2名でちょうどいい大きさの貸切露天風呂も1つある。有料で、50分1人1000円。
居抜きで始めた赤沢温泉旅館
飯出 ここの源泉は45度くらいでしょ?
遠藤 実際は、湯船に引いてから半日経つと40度くらいになりますね。
飯出 半年休んでいた間に手当しなかったからってわけじゃないの?
遠藤 今、それを調べています。
飯出 ひょっとすると、ちょっといじったら高温の湯が出てくる可能性もあるんじゃないかな、と思ったんですけどね。
遠藤 掃除をするとね。
飯出 スケールが溜まっているとか、湧出量の問題もあって温度が下がっているかもしれないし。
遠藤 保健所にも,そういう可能性があると言われました。
飯出 ここは何年休業していたんですか?
遠藤 6~7年は休んでいたと思います。購入後に井戸のメンテナンスはしていないです。
飯出 多分それやると良いかも。それが温泉にとっては生命線なので。
▲女湯の露天風呂は裏山の樹林に臨む造りで、心静かな湯浴みが楽しめる設計。
遠藤 そういう話聞いたことあります?
飯出 この泉質だからそんなにひどくなってなかったんだろうけど、普通6~7年も経ってたら、温泉の配管は使えないですよ。配管をそのまま使えてるのは、ある意味奇跡的かも。
遠藤 へぇ、そういうものですか。
飯出 こちらは現在、部屋数は10室でしたっけ?
遠藤 10室ですね。できるだけ早く、私どもが使っている部屋が2つあるので、それもオープンにしたいなとは思っています。
赤沢温泉旅館はどんな宿に?
飯出 今、お客さんは外国人客が多いんですか?
遠藤 いや、まだ1割くらいです。
飯出 あ、そうですか。
遠藤 日によっては、3組、4組いらっしゃいますけど。この割合はどんどん高くなる可能性はありますね。
飯出 遠藤さんは、ここはどういうお宿にしたいんですか?
遠藤 誰でも気に入ってくださる方が来られる宿で、東京に近いので、週末東京圏の方に来ていただいて、平日は外国とか遠くからのお客さんに来ていただければ理想的なんですけど。
飯出 今、お値段は平日と土日で変えてるんですか?
遠藤 変えさせていただいてます。平日1泊2食付きで税込1万1000円くらいからです。土日や祝日は、1500円アップくらいですね。また、平日の湯治連泊なら税込7500円くらいからですね。
飯出 安いですよね。
▲もてなしの心配りが感じられる朝食の一例。見ているだけでも楽しくなる感じ。
遠藤 それでも、前よりは若干高くしました。そうしないと生き残れないので。以前、布団はセルフサービスにしていたのですが、今はご到着前に敷いておくようにしています。
飯出 スタッフは、生粋の日本人は遠藤さんだけみたいじゃないですか?それがまたユニークですよね。
遠藤 えぇ。コックは台湾人。忙しいときには中国人のアルバイトをお願いしています。でも、日本人でないと困るときもあり、これから日本人スタッフが入る予定です。
▲館主の遠藤さん自ら、ときにはダイニングで魚を焼くなどして客をもてなす。
飯出 動物が多いのもユニークですよね。猫と犬と山羊ですか?
遠藤 山羊は匂いが強いので、別の場所に移しました。猫3匹に犬2頭。人なつこい猫なので、看板猫として動物好きの人には喜ばれていますね。猫2匹は妻が中国から連れて来たんです。
飯出 あぁ、それで名前が猪猪 (ジュージュー) とか灰灰 (フェイフェイ) とか言うんですね (笑)。
遠藤 はい (笑)。
▲看板猫の猪猪 (ジュージュー)。奥さんに連れられて中国から塩原にやってきた。
飯出 私は、その宿の個性を出して、「こういう宿ですが、よかったら来てください」ってやった方が良いと思うんですよね。万人受けする宿を目指すと、こけると思う。
遠藤 確かに。ただの普通の宿って、つまんないかもしれないですね。
飯出 はい、やはり個性的な宿が良いですね。オープンしたのが2015 (平成27) 年?
遠藤 はい、2015 (平成27) 年4月オープンです。
飯出 遠藤さん、火傷されたって言ってたけど、それはオープンしてから?
遠藤 はい。ちょっとボイラーで。
飯出 相当な重症ですよね。
遠藤 退院するまでに3ヵ月半くらいかかりました。
飯出 それで落ち込んだのね?
遠藤 はい。落ち込みましたね。
飯出 つい最近でしょ?元気になったの。
遠藤 はい。自分でも信じられないくらい、元気になってきました。
飯出 入院されたときもお宿やってたの?
遠藤 妻がやってました。
飯出 いやぁ、奥さんは頑張り屋さんですよね~。
遠藤 私が入院したとき、妻は車の免許取ることから始めて…。感謝してますね。
▲赤沢温泉旅館ファミリー。開業して4年、ようやく落ち着いた時間の流れの中に。
屈斜路湖畔の“迎賓館”も購入
飯出 ところで、ほぼ同時期に北海道の屈斜路湖畔の宿も購入してますよね?
遠藤 はい、ここの購入が決まって内金を入れてやれやれと思っていたら、北海道から電話がかかってきて。4年前に買おうと思ったところが、半額くらいの値段になったからと。4年前はダメだった個人にでも売ってくれることになって。何と東京のワンルームマンション一つの値段でした。
飯出 「もう、こんな良い物件はないよ」と言われた?
遠藤 えぇ、以前鶴の湯の佐藤さんに「源泉持っていると強いよ」って言われていて、屈斜路湖畔の物件は50度近い豊富な源泉付きなんで。源泉だけでもすごい価値のある物件だと思いました。
飯出 それは、良い人とめぐり合いましたね。佐藤さんは発想力と実行力がものすごいですからね。温コレの湯守インタビューのトップバッターですから。延々3時間くらいお話聞きました。
遠藤 本当ですか。ぜひ、読みます!屈斜路湖畔の物件については、妻からもやめておいた方が良いって言われたんですけど、あなた一度言い出したら聞かないねって。で、無いお金を全部集めて買っちゃいました(笑)。
飯出 でも、買ったはいいけど、まだそこはそのままなんでしょ?
遠藤 一緒に始める予定だったんですけど、やはり両方一度には無理かなと。掃除をしたり、消防施設やポンプ、水抜き栓を点検したりして、ちゃんと開業の準備をしたんですけど。実際に、こちらを開業したら初めは赤字ですし、もちろんそれは想定の範囲だったんですけど、両方赤字だったら厳しいなって。
飯出 まぁ、一気に2軒やるのは大変だと思いますよ。ある程度ここが軌道に乗ったら始めるっていうのが普通ですからね。北海道のお宿はどういう構想ですか?
遠藤 建物はちょっと古いんですけど、素晴らしいんですね。40年前に“弟子屈町の迎賓館“って言われた建物なんですね。町が重要なお客さんを接待するときに借り上げた保養所だったんです。単純温泉48度の自家源泉を持っていて、レイクビューです。
飯出 へぇ。どこかの保養所だったんですか?
遠藤 大手の保険会社です。迎賓館って言われた建物を自分が持っているって今でも信じられないですね。これを何とか再開したいですね。
▲こちらは送迎用のサロン付き大型バス。那須塩原駅にもこのバスでの送迎可能だ。
飯出 まぁ、遠藤さんの構想としては、そういうお宿をいくつか持って、やっていきたいなと思ってるわけでしょ?
遠藤 ここは赤沢温泉旅館だから赤で、屈斜路湖畔の迎賓館はブルーレイクで青にして。
飯出 次は、ホワイトとか(笑)。
遠藤 はい。グリーンとかね(笑)。
飯出 なるほど。夢は膨らみますね。
遠藤 まぁ、そんなに上手くはいかないと思いますけど、放っておいたら無くなっちゃうお宿はたくさんあると思うんですね。ちょっと頑張れば、世界中から人が訪ねて来そうな、でも現状では誰にも知られていないような宿を何軒も知っています。何とかしたいですね。
飯出 私はそういう温泉を“限界温泉”って呼んでるんですけど。いつ辞めちゃうかわからない宿が、いっぱいあるんですよね。
遠藤 はい、もったいないですよね。温泉は日本の世界に誇れる数少ない財産の一つですから。
飯出 そういえば、2018 (平成30) 年には、旅行業・地域開発・レンタカーなどを営業目的とする「のんびり国際開発株式会社」を設立しましたよね。これはどういう意図なんですか?
▲塩原の風を切って美しい風景を堪能して欲しいと導入したレンタルのオープンカー。
遠藤 私の構想としては、日本の田舎の魅力を海外からのお客様にもっと見てもらい知っていただきたい、というのが大きな目的の1つなんですね。そのためには、宿泊したお客様を案内する手段として、旅行業の免許を取得しておく必要があるわけですね。
飯出 多角経営になりますね。
遠藤 はい。レンタカーは、塩原周辺のこの綺麗な空気と景色を堪能していただくためにオープンカーを用意しました。赤沢温泉旅館にはサロン席付き自家用送迎バスもあり、塩原近辺ならゆったりとした気分で送迎も出来ます。
飯出 なるほど。壮大な計画ですね。その夢を着実に叶えるためにも、まずはこの赤沢温泉旅館の基盤をしっかりと固めることが先決ですね。いつも満室の人気宿にしていかないと。
遠藤 はい、がんばります!
…あとがき…
遠藤さんとの出会いは、極めて現代的だ。
2017年の10月頃、遠藤さんからFacebookの友達申請が届いた。
プロフィールに赤沢温泉 (株) Presidentとあり、アメリカの大学卒の錚々たる経歴。
赤沢温泉旅館なんて知らんぞと調べてみたら、塩原だという。
友達申請の人に連絡を取るのは初めてのことだったが、なんとなく気になり、思い切って電話を掛けてみた。
それがきっかけだった。
半月後に南会津に行く機会があり、帰りがけに立ち寄って話すうちに、その人柄、その情熱、その温泉愛に惹かれた。
さらに半月後、塩原温泉で会合があり、温泉仲間たちと泊まることになった。
次々と温泉旅館が廃業して行くご時世のなか、大企業の幹部社員という安定した身分を捨て、こんなにも温泉旅館の経営に情熱を持って飛び込む“無謀な人”がいることに感動した。
微力ながら全力で応援していきたい、と思う所以である。
最後に、遠藤さんより嬉しいコメントをお寄せいただいたので、以下にご紹介する。
「飯出さんからお電話をいただいたときはびっくりしました。
温泉は子供の時から大好きでした。
ひなびた宿、秘湯的な温泉が好きで私の手元にある大事な参考本の一冊が飯出さんの『一度は泊まってみたい 秘湯の宿70』(1998年出版 SEIBIDO MOOK) でした。
その中のいくつかの宿を訪問し、いつかこういう宿を持ちたいな、そんな日が果たして来るのだろうか、と考えていました。
宿を手に入れただけでなく、飯出さん直々にお電話をいただいたり、豊富なご経験から大変貴重な物の見方を教えてもらったり。
そして、今回「温コレ」でご紹介いただいたことを本当に光栄に思います。
私の職業は林業でしたが、温泉も自然の賜物をいただくという意味で林業の延長だと考えております。
なお一層気を引き締め、湯守として、DEEPな旅行のホストとして妻と一緒に頑張っていきたいと思います。」
(公開日:2019年3月1日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー