江戸末期創業の老舗を新感覚の佳宿に進化させた6代目館主の手腕とは?
那須の代表的な湯元といえば、那須湯本温泉の「鹿の湯」と、ここ大丸温泉である。
特に、山麓の那須温泉と新那須温泉に関しては、ここ大丸温泉からの引湯によって開かれた宿が少なくない。
那須御用邸に引かれている温泉も大丸温泉が泉源である。
その湯元が、この大丸温泉旅館。
標高1250m、茶臼岳の裏側に位置する三斗小屋を除けば、那須温泉郷の中ではもっとも高所にある温泉だ。
湯量は豊富で、しかも自然湧出泉。
特に敷地内を流れる白戸川に自噴の湯が流れ込み、ワイルドな天然の露天風呂になっている野趣が楽しめるのは大きな魅力である。
その老舗旅館を若くして継承し、見事に現代風の湯宿にリニューアル。
いまや四季を通じての人気宿に成長させた、6代目の経営感覚と手腕に迫るインタビュー。
大高 要之 (おおたか としゆき) /1970 (昭和45) 年10月3日、奥那須の名湯、大丸温泉旅館の長男として生まれる。小学3年の時、学校が遠く通うのが大変なため那須塩原市 (旧黒磯市) に移り住み、小・中学校に通学。栃木県立黒磯南高校卒業後、東京YMCA国際ホテル専門学校に学んだあと、大手町のパレスホテルに約3年、東陽町のイースト21でも3年ほど勤務。最後に長野の仙仁温泉「花仙庵 岩の湯」で1年間修業してから帰郷。38歳で大丸温泉旅館6代目を継承し、今に至る。現在、那須温泉旅館協同組合副理事長、「日本秘湯を守る会」関東支部副支部長なども務める (2020年5月現在)。
ルーツは那須湯本温泉の「那須屋」
飯出 大丸温泉旅館の創業は何年っていわれているんですか?
大高 創業は、安政年間 (1854~60年) といわれています。
飯出 江戸末期ですね。
大高 今の大丸温泉旅館というのがその時代で、その前には旅館が3軒あったみたいなんですよね。それが一つの大丸温泉旅館という屋号になったのが、その安政時代といわれています。大丸温泉自体の歴史は、もっと古くなってくるんですよね。
飯出 やはり、南月山 (みなみがっさん) の信仰の拠点みたいに発展したんですかね?
大高 おそらくそうだと思います。
飯出 那須湯本に次いで古いのが大丸って感じですか?
大高 実は私の先代は那須湯本で旅館やってたんですよ。
飯出 あ、そうなんですか?
大高 旅館街の一番上に「那須屋」っていう旅館があって、山津波で一回流されているんですよ。そのときに大丸では立ち寄り湯をやってたんですけど、それを機に宿は大丸でやるってことで始めてるんですね。
飯出 その前の那須湯本で宿をやってる時代に、ここでも湯屋をやってたんですね。一番上ってことは、元湯よりも下ってことですか?
大高 当時はそちら側が温泉街だったので、今の「鹿の湯」の下辺りなのかなぁ。
飯出 おそらく「鹿の湯」が一番上にあったんでしょうね。大高さんで何代目になるんですか?
大高 私で6代目です。
▲落ち着いた雰囲気のロビー。一角にはこの宿を愛した乃木希典大将の資料の展示も。
父の急逝に伴い、38歳で6代目を継承
飯出 大高さんは何年生まれですか?
大高 1970 (昭和45) 年生まれで、2020年でちょうど50歳になります。
飯出 大高さんが生まれたのはここですか?
大高 はい、生まれて小学2年生まではここにいました。上に姉が2人いるんですけど、学校通うのが大変で、一番上の姉が中学通うのがさらに大変になるということで、今の那須塩原市の方に家を建てて、そこから学校に通うようになりました。
飯出 小学校はどこにあったんですか?
大高 那須小学校といって、松川屋の少し下辺りにありました。昨年で閉校になっちゃったんですけどね。当時は今より雪が多かったので冬は車で通うんですけど、やはり大変でしたね。
飯出 ここに車が入れるようになったのは、何年頃なんですか?
大高 明治ですよね。舗装されるまでは、馬か籠とかで運んでくれる人たちがいたんですよね。
▲名物「川の湯」の湯船は混浴3・女性専用2。混浴でも湯浴み着やバスタオル巻きOK。
飯出 それで、大高さんは小学3年生から町の学校に通って、そのあとは?
大高 そこの中学から黒磯高校に進んで、卒業して東京YMCAホテル専門学校に行きました。その後、大手町のパレスホテルに就職しました。
飯出 へぇ、パレスホテルですか、いいですね。そこに何年くらいいらっしゃったんですか?
大高 そこに3年くらいですかね。東陽町のイースト21という、また違うホテルのオープニングで3年くらいやって、最後に長野の仙仁温泉に1年間働きに行って、戻ってきました。
飯出 ほぅ、金井さんとこの「花仙庵 岩の湯」ですね。ここへ戻ってこられたのは何歳くらいですか?
大高 28~29歳くらいだと思います。
飯出 そのときは、お父様はご健在ですよね。戻られて、どのくらいで亡くなられたんですか? 割と急でしたよね。
大高 戻って10年くらいですかね。急でしたね。
飯出 私、お父さんともお話ししたことあるんですよ。お亡くなりになって、もう10年も経ちますかね。
大高 はい。それで、38歳で後を継ぎました。
▲「川の湯」の女性専用湯船は2つ。こちらは最上流部に設けられた「山ゆりの湯」。
次々とリニューアルを断行して進化
飯出 この建物にしたのは何年ですか?
大高 建物は本館が1960 (昭和35) 年、別館はその翌年です。
飯出 でも、そのあと大リニューアルしてるでしょ?
大高 2回くらいしていると思います。私が戻ってくる前に1回あって、私が戻ってきて15年くらい前にもリニューアルしました。
飯出 あ、もうそんなに経ちますか。本館と別館の他に、下にも2つ建物があるじゃないですか。あれは何て呼んでるんですか?
大高 あれは宿泊棟ではなく、従業員棟になってます。一番下に幽月庵っていうのがあるんですけど、今の本館の下にあるものを移築してるんですよね。当時は、そこまで宿泊できたんですけど、幽月庵が当時茅葺屋根で消防とか許可がおりなくて、宿泊棟としては使えなくなってしまいました。
飯出 そうなんですね。あっちに泊まってみたいなぁって、ずっと思ってたんですけどね(笑)。そうすると、今は本館と別館、何部屋ずつですか?
大高 本館が3部屋と別館が17部屋、トータル20部屋です。
飯出 ちょうど良いとこですかね。それだって、2部屋を1部屋にしたり、リニューアルして結構部屋を減らしたんですもんね。
▲2部屋を1部屋にリニューアルした和洋室もある。こちらはその洋室のほう。
大高 そうですね。当時自分が戻ってきたときは、客室は30部屋あったんですよ。それを部屋数を減らして1部屋を広くしたんです。
飯出 それって、英断でしたよね?
大高 う~ん、そうですね。うちあたりはまだ団体志向ではあったんですけど、規模が小さかったのでシフトチェンジしやすかったんですよ。それがもうちょっと大きい規模だったら難しかったかもしれない。
飯出 今はもう完全に団体志向の感じはなくなってますものね。非常に感心したんですけど、相当クオリティ高いですよね。私、「日本秘湯を守る会」の宿は9割は泊まっていると思うんですけど、相当クラスは上だと思いますよ。
大高 いやいや。そんなことはないと思いますけど(笑)。
飯出 なんか造作も気が利いてますよね。これは、デザイナーさんを入れたんでしょ?
大高 デザイナーではないんですけど、うちの父が美大を出ているんですよね。
飯出 美大?どちらの?
大高 多摩美術大学です。うちの姉が武蔵野美術大学です。
飯出 えぇ、そうなんですか~。美大系なんですね。
大高 父親は (那須・八幡温泉の) 一望閣から婿で入ったんですよ。
飯出 あ、そうなんですね。お母さんも美大なんですか?
大高 いえ、美大ではないです。母親はここで育ってないんですよね。生まれも東京で。先代に市左衛門というのがいて、跡取りがいなくて、一番下の弟が継ぐということになったんですけど、その弟は東京で働いていて継ぐ予定はなかったんですよね。
▲那須ゆかりの土産品が揃えられた売店。ディスプレイにもセンスがうかがえる。
源泉4本はすべて自然湧出泉
飯出 大丸温泉っていうと相当湯量に恵まれた温泉というイメージがあるんですけど、こちらの分析書を見ると「桜の湯」と「川の湯」が掲示されていたので、この2つが源泉ってことですかね?
大高 正式には4本あるんです。あと、「相の湯」と「中の湯」というのがあるんですけど。メイン源泉の「桜の湯」が御用邸にもいっているんです。
飯出 それはどの辺から湧いてるんですか?
大高 裏山の岩崖から自噴で、まるで噴いているような感じなんですけど。ただ、御用邸にもいってるので、セキュリティの問題で鍵がかかっていて、うちが勝手には見られないようになってます。
飯出 それは、御用邸の所有物になってるんですか?
大高 えぇ。2/3が大丸温泉で、1/3が御用邸に分湯されています。
飯出 なるほど。「相の湯」は休暇村那須にも配湯してるんですよね?
大高 はい。「相の湯」はこの建物の下から出てるんですよ。
▲ファミリーで入っても十分の広さがある貸切風呂「相の湯」。湯元ならではの贅沢。
飯出 「川の湯」というのは?
大高 いろんなところから滲み出てくるものが白戸川に注ぎ込まれていて、それを「川の湯」という源泉名として取ってるんです。
飯出 あの「川の湯」はどこから湧いてるんですか?川の中からも湧いてるんですか?
大高 川の中からも湧いています。なんというか、白戸川の最上流地点なのでちょっとずつ滲み出たものが川になって出ているという。自然の川なんで、雨や雪の量でものすごく左右されます。
飯出 そうですよねぇ。
大高 特に今は渇水期なんですが、これから雪解けが始まって、それがどんどん染み込んでお湯が出てくるという。
飯出 雪解けのときはお湯はぬるくならないんですか?
大高 雪解けが進むと温度は下がります。
▲混浴でも入りやすい夜の「川の湯」。一番下流にあたる「白樺の湯」が広くて快適。
飯出 「川の湯」の分析表を見ると36度くらいですが、どこで測ったものなんですかね?
大高 一番上の山側のところを取ってます。
飯出 「川の湯」に関しては、いっぱいある源泉の中の1つを取っているという感じですよね。だって、36度よりも実際のお湯は全然熱いですもんね。
大高 色々なとこから出てるので、これっていう分析は難しいんですよね。
飯出 全部自然湧出でしょ。すごいですよね。僕は、3000湯以上の温泉に行ってますけど、この感じのお風呂っていうのはそうないですからね。川自体がお風呂で、しかも適温。ここの川は国有地なんですか?
大高 川は私有地なんです。ちょっと下にいくと、変わってしまうのですが。正式に言うと川ではないんです。白戸川の最上流に当たりますけど、ちょっと下にいくと正式な川に変わります。
飯出 なるほど。
大高 ここは私有地で、周りは宮内庁の土地なんですけどね。
飯出 いつ宮内庁の土地になったんですかね?
大高 御用邸が出来たときにそうなったみたいです。
▲館内に掲示されたお風呂の案内図。湯めぐり作戦を練ってから、名湯を満喫したい。
湯の管理に次ぐ難題は人出の確保
飯出 今、一番大変なことは何ですか?
大高 温泉の管理ですね。
飯出 やはり温泉の管理ですか。従業員の確保はどうですか?どこの宿もそれが大変と言ってますけど。
大高 それも大変です。
飯出 こちらで働いている人は派遣の方?
大高 いえ、派遣の方はいないです。ほとんど住み込みです。
飯出 昨日、我々をお世話していただいた方は気持ちの良い方でしたよ。ハキハキ、テキパキして明るくて、素晴らしなと思いました。
大高 人手不足は数年前から深刻な問題ですね。うちはネットで募集かけているんですけど、地元ではなく全国から住み込みで来ていただいてます。那須は事業所が多いので、地元で募集してもほとんど来ないですね。
飯出 まぁ、でも確保されてるからすごいです。お宿にはここ何軒か取材してるんですけど、人手がなくて客が取れないから遊ばせている部屋がいっぱい、ってところが結構ありますよ。
大高 本当、そういう感じになってきましたよね。
▲湯船が2つある男湯の内湯「笹の湯」。扉を開けると目の前に「川の湯」がある。
飯出 他に働く場所が出来たからですかね?
大高 日本全体が人手不足で、さらにサービス業は不人気職なんですよね、どうしても。こういう山奥の宿っていうのはすぐその影響はきますね。
飯出 ここで、長く働いてもらうことで、工夫していることはありますか?
大高 そうですねぇ、やはり自分たちがおもてなししたことによって、お客様にまた来ていただく意味というか価値というか、それをどうやって伝えていくかは、やはり難しいですね。一番は、それなんですけどね。自分たちが頑張ったことに対してのお客様の喜びとか感動とか、それを働くモチベーションに活かせるかどうかという。
飯出 でも、こちらは上手く活かして、(従業員の) 定着に繋げているんじゃないですか? スタッフからそれを感じますもん。
大高 そんなことはないですよ。人の入れ替わりはあります。何年も維持させるというのは本当に難しいことです。
▲館内には立派な飲泉処も設置されている。単純温泉なので、飲用にも適している。
打開策の1つとして決断した正月休業
飯出 とくに、スタッフの方に福利厚生で気を配っていることはあるんですか?
大高 今年 (2019年)、変わったことをやったというのは、お正月休んだんですよ。12/31~1/2の3日間。
飯出 おぉ。
大高 旅館は絶対ありえないんですよ。でも、働く者としたら、盆も正月もないのかという。僕がいた「花仙庵 岩の湯」は30年前にそれをやってるんですよ、クリスマスも正月も休みで。これは従業員のために、従業員も正月くらいは家でゆっくりしたいだろうということで。
飯出 やっぱり、金井さん (花仙庵 岩の湯の社長) はそういう意味では先進的ですよね。
大高 先進的です。ただ、それができるというのは、普段相当稼働していないと無理なんですよね、稼ぎ時に休むというのは。
飯出 そうですねぇ。
▲夕食のメインディッシュ、大丸温泉の源泉を使った「源泉しゃぶしゃぶ」が好評だ。
大高 うちも昔は、オンとオフがものすごく激しくて、夏はお客様がいるけど、冬はほとんどいないという状態で、那須全体がそういう形態だったんですが、それを個人客にシフトして春夏秋冬一緒くらいにお客様が来てくれるような営業形態に変えてきたんですよね。で、やっと今年 (2019年)、正月休業にできました。
飯出 それは、英断でしたね。
大高 お客様から見たら、旅館が正月休むってどうなのって話もあるんですけど。うちもリピーターさんがお正月に来てくださるので、営業しないのはどうなのかと悩んだんですけど。でも、従業員を大切にしないと、従業員確保もこれから出来なくなるし…と。
飯出 それは新しい決断ですよね。苦渋の決断かもしれませんけど。話変わりますけど、部屋の数だけ食事する個室を設けたんですか?
大高 そうです。
飯出 へぇ。満室になっても、それぞれ個室の食事処を設けられるんですか?
大高 そうなんです。私が戻ってきたときは、夕食も朝食も部屋食でしたが、部屋食もちゃんとできれば良いんですけど、なかなかそこまで目が届かなくて。当時、うちも宴会場だらけだったんですが、その宴会場を潰して、個室の食事処を作ってというのをまず先にやりました。
▲朝食の献立は日本の正しい朝食の見本のよう。右手前は源泉で炊いた「温泉粥」。
飯出 宴会場を個室の食事処に改装したんですね。
大高 今、食事処は、4つに分かれてるのかな。まぁ、それはやはり合理的ではないんですよね。最初からそういう風に作っていないので。今一から作れれば、理想的な食事処ができるんですが。古い建物を無理くりリニューアルして作ってきたので、なかなか理にかなってないですね(笑)。
飯出 まぁ、しかし、良いお宿にされましたよね、本当に。
大高 いえいえ。大変ですよ。建物自体は古いので、どうにかやりくりしながらなので。
飯出 でも、素晴らしいと思いますよ。なかなか決断できないことを、思い切ってスパッとやってらっしゃる。これからも、どう進化していくのか、とても楽しみです。
…あとがき…
いままでの「湯守インタビュー」はすべて親しくしていただいている方に登場してもらったが、大高さんとは初対面。
那須湯本温泉「松川屋 那須高原ホテル」の廣川さんにインタビューしたとき、廣川さんに紹介していただいて実現できた。
大丸温泉旅館は那須温泉郷では老舗の主要な湯元でもあり、もちろん訪ねたことはあるが、お話ししたことがあるのは先代で、大高さんとはお会いする機会がなかった。
したがって、まだ何でも突っ込めるという親しい関係が構築できていないこともあり、また大高さんは極めて紳士で几帳面、シャイなお人柄のようにも見えた。
これは失礼のないようにしなくてはという初対面ならではの緊張感を持ったインタビューができた反面、他の湯守インタビューと比べると、いつものようなプライベート面への切り込み方、切れ味が足りなかったかもしれない(笑)。
それでも、大高さんの経営手腕とお人柄、大丸温泉旅館の魅力は伝えられたようには思うが、どうだろうか。
(公開日:2020年5月29日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー