中心部から離れた高台に建つ、砦のような館と自家源泉を守る苦労人
湯西川温泉の中心部から約1.5km、本当にあるのかなと疑い出す頃、突然のように豪壮な門に迎えられる。
まるで砦のような佇まいで、広大な山の斜面を木造の重厚な建物が占める。
たしかに、奥湯西川と呼ぶにふさわしいロケーションにある一軒宿の趣。
「日本秘湯を守る会」「日本源泉湯宿を守る会」の会員宿だ。
宿を率いる山城晃一さんの笑顔は、まさに恵比寿顔。
この笑顔に迎えられたら、もうそれだけで疲れが飛び散り、一瞬にして和むにちがいない。
しかし、その笑顔は一朝一夕で出来るものではないはず。
その笑顔の裏の真相に迫るインタビュー。
山城 晃一 (やましろ こういち) /1954 (昭和29) 年6月、栃木県日光市 (旧栗山村) 湯西川に生まれる。旧今市市の中学卒業後は佐野日大高校 (栃木県佐野市)、日本大学工学部 (福島県郡山市) に進む。卒業後、湯西川に戻り、湯西川国際観光ホテル (現・彩り湯かしき花と華) で約2年間修業したのち、父が開業した「上屋敷 平の高房」に入る (専務取締役)。2010 (平成22) 年、取締役社長に就任。薫夫人とのおしどり夫婦ぶりは自他ともに認めるところ。1男1女の父。日光市観光協会副会長、同湯西川・川俣・奥鬼怒支部長、平家の里湯西川協同組合理事長 (2019年4月現在)。
1973 (昭和48) 年の開業時は食事処としてスタート
飯出 山城さん、ここは湯西川温泉の中心からどのくらい?2kmくらい?
山城 そうですね。中心からだと大体1.5kmですね。
飯出 この場所は、元々は山だったんでしょ?
山城 いや、斜面の畑と山でしたね。川から山の上まで、ずっと私どもの土地です。
飯出 じゃあ、山城さんはここの場所で生まれ育ったの?
山城 そうです。
飯出 で、お父さんの代にこの宿を造って、旅館を始められたんですよね。その前は旅館じゃなかったんですか?
山城 材木屋でした。夏はこちらの名産の高原大根を作って、他の時期には農業がなかなかできませんから、材木屋をやってたんですね。
飯出 あぁ、そうなんですか。
山城 山林を買って、伐り出して、そこにまた木を植えてという形で。
飯出 製材もやってたの?
山城 製材はやってなかったです。製材は父の兄が同じ湯西川でやってましたから、その手伝いをしたりして。
飯出 へぇ。それで、旅館を建てて営業を始めたのは何年ですか?
山城 1973 (昭和48) 年に、今の宴会場の建物を造りまして、まずお客さんに囲炉裏料理を食べてもらうという食事処から始めまして、翌年に5つ部屋を造って、宿屋は1974 (昭和49) 年からですね。
現在の建物は1989 (平成元) 年の建築
飯出 この建物にしたのは?
山城 この建物は1989 (平成元) 年です。
飯出 そうなんですか。
山城 ですから、もう30年経ちましたね。
飯出 これだけの立派な建物にして材木もすごいなと思ったのは、そういう材木屋さんをやってたということもあるわけですね。
山城 そうですね。うちの父がやり始めて。うちのおじいちゃんっていうのが器用な人だったんです。右利きで。ですから、白ブナの木杓子 (木のおたま) とか色々なそういうものを作ってたんですけど、うちの親父は左利きで、そういうのには向かなくて。
飯出 あぁ、そうなんですか。
山城 ですから、木杓子とか、そういう作ったものを買いまとめて売るという仕事と同時に、山林をやるようになって。今の宴会場のところは材料を自分のところで用意して造ったんですね。
飯出 へぇ。
山城 で、1989 (平成元) 年のときには、5~6年くらい前から材料を集め始めました。
飯出 あぁ、この建物の?
山城 えぇ。銘木というものを集めたり、この裏のご先祖様のケヤキ等を伐らせていただいて、間に合わせたんです。
飯出 相当すごい建物ですよね。
山城 そうですね。ケヤキも350年~400年ものも通し柱でどんどん使ってますから。
飯出 今じゃ到底、造れそうもない建物ですよね。
▲広々としたロビーは音響効果抜群で、ときにはコンサート会場やバースペースになる。
山城 造れそうもないですよねぇ。1本だけ横の梁に使うのに、長野県の松本から1本500万円で買ったりしましたから。
飯出 ケヤキ?
山城 はい。ですから、木をふんだんに使ってますよ。もう、今はできないでしょうね(笑)。
飯出 維持費も大変でしょ?
山城 大変ですね。
飯出 これだけの空間だったら、暖房なんてなかなか効かないですもんね。
山城 効かないですね〜。
飯出 冷房はいらないのかな?
山城 冷房はないですよ(笑)。
飯出 あ、そうですか。
山城 本当は欲しいんですけども、最初からそういうふうな造りにしなかったんですね。
飯出 建物は斜面に建ってるんですか?
山城 えぇ、斜面に建ってます。
飯出 これ、何階建て?2階建てですか?
山城 この場所は、下の駐車場からすると2階ですよね。
飯出 上はまた別の建物なんでしょ?
山城 客室棟になります。
飯出 僕が前に泊めてもらったのは「101」でしたけど、その上の階もあるわけでしょ?
山城 この右側に、1989 (平成元) 年に建てた建物があります。それが2階建てですね。
飯出 2階建てを、さらに2階建てでつないでいる建物ですよね。でも、部屋数はそんなに多くないでしょ?
山城 客室は、16部屋に離れが2つ。以前、1989 (平成元) 年の頃は団体志向だったじゃないですか。そういうときは、110名くらい入ってたんですよ。
飯出 ほう。
山城 今は、60名でいっぱい(笑)。
飯出 部屋の造りも画一的じゃないですよね?部屋によって、けっこう意匠変えてますよね?
山城 そうですね。部屋的には6畳タイプもありますし、2間続きで14畳っていう部屋と、他に10畳、12.5畳、16畳があります。ちょうど1989(平成元)年の頃っていうと、まだ人数に合わせて部屋の大きさの1/2(2畳に1人)入るという発想でしたよね。
飯出 はい、そうでしたね。
山城 まだ、その発想が残ってましたから。そういった凸凹の部屋造ったんですね。
飯出 もう今、そんな大勢で泊まることないですよねぇ。
山城 ないですねぇ。普段は2名とか、3名様ですね。
繁忙期は秋と冬、穴場的な魅力は新緑のころ
飯出 ここ3連休は忙しかったでしょ?
山城 そうですね。11月は本当に忙しいですね。
飯出 冬は「湯西川温泉かまくら祭」のときは、多いんじゃないですか?
山城 そうですね。1月後半から3月初めにかけては、「かまくら祭」が開催されてますので。
▲「湯西川温泉かまくら祭」の開催は例年1月下旬~3月初旬。ミニかまくらが幻想的。
飯出 やっぱりお客さんが一番多いのは秋?
山城 そうですね。10月から11月、次に2月。
飯出 4月とか、新緑になる前は割と少ない?
山城 少ないですね。花が咲くのが5月の連休ちょっと前くらいでしょ。おすすめしたいのは、新緑!ゴールデンウィークくらいから6月半ばですね。その頃の若葉の色はいいですね。
飯出 いいですよね~。僕もそう思いますけど(笑)。歳取ると、紅葉より新緑の方に惹かれますね。
山城 なんでああいうときに、お客さん来ないんですかねぇ?どこ行っちゃってるんですかね(笑)。
飯出 その時期は、そんな忙しくないの?
山城 湯西川はそんなに忙しくないんですよ。ゴールデンウィーク明けると。
飯出 あぁ、そうですか。5月下旬から6月初めが一番いいですよね。
山城 はい、なんでそのときにお客さん来ないのかなぁって。
飯出 それはもう、宣伝部長がもうちょっと頑張らないと(笑)。今は、もう宣伝部長してないんでしょうけど。いっとき、湯西川温泉の宣伝部長やってたじゃないですか。
山城 ははは。やってましたね。
▲山城さんが、湯西川のもっとも穴場的で狙い目の時期と語る、美しい初夏の新緑の頃。
長身で美人の奥様とは見合い結婚
飯出 山城さんは、こちらの長男?
山城 長男です。
飯出 ご兄弟は何人?
山城 4人です。妹が2人、一番下が弟です。
飯出 ご兄弟は、この商売はしてないんですか?
山城 えぇ、手伝わないですね。もうそれぞれに嫁いでいますし、弟も結婚して埼玉で暮らしてますから。
飯出 あ、そうなんですか。僕が訪ねるたびに、山城さんはずっと専務って言ってましたからまだ専務かと思ってましたが、いつの間にか社長になってたんですね。
山城 2010 (平成22) 年に社長になりました(笑)。
飯出 ある日突然電話したら、社長のことですかって言われて。お母さんがしばらく社長されてたでしょ?
山城 そうです。
飯出 お父さんはまだご健在?
山城 1998 (平成10) 年に亡くなりました。1989 (平成元) 年のこの建物のオープンを迎える2ヵ月前に病気を発症しまして。
飯出 あら、そうなんですか。
山城 それから半身不随で、ずっと療養してたんですね。
飯出 じゃあ、山城さんはもうこのお宿を始めたときからここに入られたの?
山城 私は始めて5年くらい経ってからですね。
飯出 それまでは?
山城 それまでは学生でしたから。
飯出 学生さんの時代もあったのね(笑)。
山城 ははは。ありました(笑)。
飯出 ここから高校はどこへ行くんですか?
山城 佐野日大っていうところに行ってました。下宿して、大学は福島の郡山に。日大の工学部がありまして。
飯出 工学部なんですか。理系ですね(笑)。で、卒業されてこちらに入られたの?
山城 そうです。卒業してから2年くらい他の旅館で修業して。
飯出 どこの旅館で?
山城 当時は「湯西川国際観光ホテル」という名称でしたが、現在は「彩り湯かしき 花と華」。
飯出 あ、山城さんところ?
山城 楽したんですね(笑)。
飯出 へぇ。で、薫 (かおる) さんとはどこで知り合ったんですか?
▲山城晃一・薫夫妻 (2010年2月撮影)。9年も経ったとは思えないほど印象は変わらない。
山城 見合いです。
飯出 お見合い(笑)?
山城 宇都宮市内の老舗の蕎麦屋の2番目の娘だったんですよ。
飯出 背が高いですよね。
山城 私より5cmくらい(笑)。今は7cmくらいかな(爆笑)。
飯出 ははは。縮んだ?
山城 縮んだ!カミさんは167cmくらいありますね。
飯出 すらっと綺麗な奥さんだなぁって思ってたんですよ。
山城 ははは、そうですかぁ。
後継は大学院出の娘さんに決定!
飯出 お子さんは?
山城 2人。女と男で。
飯出 娘さんはお嫁に行ったの?
山城 まだ、大学院生なんです。
飯出 大学院行ってるの?何を専攻してるんですか?
山城 経済修士号を。
飯出 経済? へぇ~。
山城 いずれ帰って来たいということで。もう、来年 (2018年)、就職先は決まっていますけれども。
飯出 あぁ、そうなんですか、東京の大学?
山城 今、一橋大学。
飯出 一橋行ってんの?すごいじゃん!息子さんは?
山城 息子は卒業して、去年銀行に就職しまして。もう、自分がいかに経営センスがないのと数字が読めないのかが身に染みているもんですから、子供には経済やんなきゃだめだぞ、数字読めなきゃだめだぞって言って(笑)。そしたら、二人とも経済学部出て。
飯出 息子さんはどこの大学?
山城 埼玉大学です。
飯出 国立じゃないですか、優秀ですね~。秘湯の宿を訪ねると、お子さんの教育問題っていうのが一番大きいみたいですね。どういうふうにしようかなっていう。そういう意味では安心ですね。で、お嬢さんが継いでくれる感じなの?
山城 えぇ。(2017年の) 1月に家族会議をやったんですよ。子供がやってほしいって言うので(笑)。
飯出 へぇ~。進路会議ですね?
山城 それぞれに聞きましたら、娘が旅館業、息子は銀行の方をやりたいと。
飯出 へぇ、そう言ってくれたんですか。そしたら、あとはお婿さんですかね。そっちはもう目処ついてるんですか?
山城 いやぁ、どうですかねぇ。
飯出 就職、決まってるって言ってました?
山城 はい。民間のコンサルタント会社。
飯出 なるほど、頼もしいですね。「私がやる」って言ったときは嬉しかったでしょ?
山城 内心嬉しいですよね、やっぱり (笑)。一番は事業の継承じゃないですか。
飯出 僕のお付き合いさせてもらっている旅館は、すべからく後継が問題になってますからね。うまく引き継げているところはなかなか少ない。やっぱり、親父や女将の旅館に対する思いでやってきたのと、息子や娘はちょっと違うでしょ?
山城 違いますよねぇ。
飯出 違いも出したい、みたいなところもあるから。
山城 なんというか、私は経営的なセンスとか、数字が読めないっていう部分がありますでしょ?
飯出 ははは。そんなことないでしょ、理系だし (笑)。
山城 今は決して順調じゃないわけですよ。経営が大変なわけですよ。
飯出 あ、そうなんですか。
山城 そうすると、娘が大学院で論文の題材にしてるわけですよね。
飯出 なるほど。
山城 娘は数字を知ってますし、こんなに悪いんだってわかってますから、帰ってきたときにはバックアップ出来るように。まぁ、健康でいることが一番でしょうけど。
飯出 そういうふうな形を作っておいて、じゃあ頼むよと。娘さんも相当、客観的にこの「平の高房」を見ているでしょうからね。
山城 はい、娘の見方は厳しいですよー(笑)
平家の武将ゆかりの館名と自家源泉について
飯出 「平の高房」っていうのは、もともと平家に高房っていう重鎮がいたんですかね?
山城 えぇ。平家の落人の中に、平忠房公という方がいまして、その方が高房公と言われたもんですから、平の高房の文字と、私の父が山城平って言いましたから、もう亡くなってますが、栃木の民俗学の尾島利雄さんがうちを非常に気に入ってくれてまして、その方の命名なんです。「平の高房の館」としたら良いんじゃないかと。
飯出 それはいつの段階で?
山城 食事処として始めた1973 (昭和48) 年です。
▲湯西川では落人伝説を偲ばせる、囲炉裏で食材を焼きながら味わう伝統料理が名物だ。
飯出 あ、そのときからなんですね。なんか、来る途中に高房トンネルっていうのがありましたよ。
山城 そうです。高房神社という平の高房公を祀っている神社がありまして、温泉街を中心にしたところが上の集落ですね。そして、下にも神社があるんですけど。その高房神社の近くにあるトンネルです。
飯出 上の高房神社っていうのは、どの辺にあるんですか?
山城 平家の里の駐車場の奥手にあります。
飯出 そこは、言ってみれば、湯西川のルーツのように言われてきた場所ですよね?
山城 昔からその神社はありますね。そこを中心にお祭りをしています。
飯出 平家の落人として住みついた人が平忠房で、高房公と呼ばれていたということなんですね。
山城 湯西川は平家の落人伝説と、切っても切れない土地柄ですからね。
飯出 ところで、ここは下の中心街にある温泉宿とは違って、独自の源泉でしょ?
▲庭の一角の湯小屋には無料で利用できる貸切露天風呂が2つある。写真は「金精の湯」。
山城 そうです。この駐車場っていうか、敷地内に温泉をボーリングしまして。
飯出 それは、食事処をやってる頃にですか?
山城 1991 (平成3) 年でしたね。
飯出 あ、じゃあここの建物が出来た後なんだ。
山城 はい、出来た後に掘りまして、なかなか掘削の許可が出なかったもんですから。半ば強引に(笑)。旅館組合抜けるよ~と。
飯出 ははは(笑)。ということは、1989 (平成元) 年にここを建てたときは、まだ温泉がなかったってこと?
山城 温泉はなかったです。
飯出 あ、そうなんですか。どのぐらいボーリングしたんですか?
山城 1100mです。
飯出 それだけで1億はかかるでしょ?
山城 そうですね。配管まで入れると1億ですね。
飯出 昔、100mが1000万って言われてた時代がありましたからね。結構、湧出量はあったんですか?
山城 当時で、毎分約200リットルでしたけど、1旅館1源泉180リットルまでっていう取り決めがありましたので。
飯出 今もそれを保っているんですか?
山城 今も保ってますね。
飯出 ここは「源泉湯宿を守る会」のメンバーだから、冊子にデータが詳しく載ってますよね。まぁ、良いお湯ですよね。館内の男女別内湯と露天風呂、外の湯小屋にある男女別露天風呂と貸切露天風呂2つ、それに離れの専用露天風呂、そのすべての浴槽が源泉かけ流し。素晴らしいです!
山城 自分のところだけで使用している自家源泉ですからね。そこは自慢できます。
▲離れ「閑静亭」の専用露天風呂。もう1つの離れ「望郷亭」も専用露天風呂付き。
木造旅館ならではの悩みと強み
飯出 こちらは後継の問題はクリアしてるから、あとはお嬢さんがどういう男をつかまえるか、ですね(笑)。
山城 そうです。あとは、息子もどうバックアップさせるとかね(笑)。
飯出 まぁ、息子は銀行に入って、そこそこのポジションにいって、ザブザブ融資してもらうとか(笑)。
山城 ははは、そんなうまくいかないですよ(笑)。まぁ、子供が現実を見て、決して楽じゃないのはわかるでしょうから、それをあえて知ってて継承するのと、そうじゃないのとでは違うと思いますし。
飯出 全然違いますよね。心構えとして、ある意味、覚悟して入って来るわけですから。
山城 少しでも借金減らしといて、って言われてます(笑)。
飯出 ははは、言われましたか(笑)。けっこう借金あるんですか?
山城 ありますね。1億くらいありますね。
飯出 1億なら,旅館としてはそんなに多くはないですね。
山城 多くはないけど、大変ですよね。
飯出 旅館は、ちゃんと流行れば1億くらいはあっという間に返せるって話だから。
山城 やっぱり、これだけ大きい木造の建物だと、維持費がかかりますから。
飯出 客が1人、2人でも維持費は同じですからねぇ。
山城 これがビルディングみたいに、上に建ってれば良いんですけど。けっこう広いでしょ。しかも木造ですからね。
飯出 でも、木造だから良いんですけどね。我々の感覚では。
山城 そうですよねぇ。やっぱり、皆さんそうおっしゃいますね。
▲これも庭の一角にある離れ「閑静亭」。最大15名ほど泊まれるので、グループに最適。
飯出 だってもう、今から建てるの、無理ですもんね。この (ロビーの) 横柱はケヤキですか?
山城 これは、米松 (べいまつ) ですね。米松っていうのは、黒檜って言いますね。輸入もありますが、これは国産です。これね、音響が良いんですよ。この蓄音機とかも良い音色です。
飯出 コンサートとかにも良いですね。
山城 コンサートやってますよ。プロの方を呼んで。
飯出 あんまり忙しいときに来ない方がいいですよね。昨日は何人くらい入りました?
山城 昨日は、約60名ですね。
飯出 昨夜は仲間と大勢で離れに泊めてもらいましたけど、離れはけっこう稼働してるんですか?
山城 離れは、週末はほとんどいっぱいですね。
飯出 あ、そうなんですか。
山城 7~8名とか。離れのほうが雰囲気いいじゃないですか。
飯出 雰囲気もいいし、気兼ねなく居られますよね。昨夜なんか、3時までですよ(笑)。僕は途中で倒れてましたけど (爆笑)。
山城 囲炉裏があって、そこで日が落ちると、みんな呑みながら囲炉裏の火が中心になるじゃないですか。原始時代からそうみたいですけど。
飯出 楽しくて、話も弾みますしね。グループで泊まるなら、離れは最高ですね。
…あとがき…
山城さんを訪ねた直近は2017年11月のこと。
インタビューもそのときのものだから、大変遅くなってしまった。
申し訳ない。
ご夫妻のツーショット写真は、実は2010年2月に撮影したものだが、ご主人のステキな笑顔も、奥様の楚々としたたたずまいも、お二人ともまったくといっていいほど変わらないのには驚く。
直近の訪問時で変わったいたとすれば、二人のお子さんの進路も定まり、後継問題も解決していた時期だったので、以前よりも格段に余裕が感じられたということぐらいだろうか。
その日、私は「秘湯ロマンス隊」メンバー十数人で離れ「閑静亭」を貸し切り、本館3室も占めて、お世話になった。
離れではカラオケで盛り上がり、酒宴は深更まで続いた。
広大な敷地にある離れ棟なればこそだが、こんなに自由に、心底リラックスさせてくれる宿は、そうはない。
(公開日:2019年4月20日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー