露天風呂は偶然の産物!?
飯出 あそこの今の混浴の露天風呂、あれはどういう経緯で露天風呂になったんでしたっけ?なんか整地してて、石をどけたらお湯が湧いて来たって話でしょ?
佐藤 あそこの石のところに打たせ湯があったんですよ。打たせ湯の小屋が土台にのってて、ひと冬で潰れて目障りだから、ちょっと手入れしなければっていうんで。じゃあ、まず整地してみようかって、石がポコンポコンと出てきたから、面倒くさいから取り除こうって掘ったら繋がってて岩が取れない。次の日、まわりが手を入れられないほど熱いお湯が溜まってて、じゃあこれで露天風呂造ろうかという話で。それまで、乳頭で露天風呂がないのは鶴の湯だけになってた。
飯出 それで、鶴の湯にも露天風呂を?
佐藤 当時、この辺では冬に露天風呂に入るって感覚はなかったんですね。だから、大釜温泉で大きな露天風呂を初めて造ったら、当時秋田県内で冬入れる露天風呂ってなかったので、口コミですごい人気になったんですよ。その経験もあったし、お湯の温度も高いので、「よし!」それだってことで(笑)。
飯出 それはもうお父さんが亡くなった後?
佐藤 親父いるときです。その頃はまだほとんどお客さん来ないときなので、ここで何やってても誰も注目しない。だから、やれたんです(笑)。露天風呂でも役所に下手に言えば角が立つので、昔からあったのかなと目をつぶってくれたんでしょうね。で、ちょうど3年やって、やっと役所も名義変更してくれたんです。やっぱり役所の流れってそういうことなんだなぁって。人を見てくれているっていうか。
▲女性専用の露天風呂。
本陣補修と浄化槽設置
飯出 佐藤さんは鶴の湯の何代目なんですか?
佐藤 13代目の人から譲ってもらったんですよ。昭和56年に。そのときはまだ大釜温泉もやってたので、こっちに移ったのは1年後。その1年半後には父が急逝してしまいまして。まぁ、何か書くときは親父の名前入れておいた方が良いかなと。で、14代目を親父の名前にして、私は15代目です。
飯出 佐藤さんになって、新本陣と東本陣を後から造ったんですよね。
佐藤 新本陣が昭和60年、東本陣が61年ですね。
飯出 でも、この本陣の建物、よく残しましたね。
佐藤 いやぁ、これはやっぱり黒湯温泉の支配人の一言です。前、後藤さんっていう支配人がいて、私、温泉の右も左も分からなくて乳頭に来て、唯一相談できるのは…。
飯出 その人だったと。
佐藤 「佐藤くん、間違っても乳頭に多くのホテルのような借金コンクリート造ったら、お客さん来ないよ。この黒湯の古いのが良くて来るんだから、立派なもの建てれば乳頭にはお客さん来なくなるから」と。だけど私は大釜にいるときは、それは眼中になかったんですよね。とにかく部屋数を増やして、すきま風のない部屋を造らないとみたいな。でも一変して、ここ来たときに初めて支配人の言ってたことが分かってきたんですよ。
飯出 なるほどねー。
佐藤 それが一つと、ここに私が来て一番最初にやったことは浄化槽の設置でしたね。当時はどこでもトイレ垂れ流しだったんですよね、下が沢で自然流下みたいな。あれはやっぱり良くないと。風呂の排水にもすごい虫わいてたんですよね、温かいもんだから。ところが、業者に浄化槽頼むとすごい高いわけです。で、知り合いの土建屋さんに頼んで、図面だけ引いてもらって、本当はコンクリートで造らないとダメなんですけども、ブロック積んでモルタル塗ってコンクリートのように見せた。全部自分でやったから材料代だけで終わったんです。
飯出 でも、それはインフラ的な部分ではあるけど、佐藤さんの中で鶴の湯はこうでなければならないっていうコンセプトが明確にあったでしょ?
佐藤 大釜のときに良かれと思ってサッシで窓枠買えて、実際火事になったとき何ともできなかったという。最先端のものを使ったんですけど、あれはまずいなと。やっぱり木造の建物に下手にサッシをはめちゃうと、何かあったときに動きが取れない。サッシだと熱で溶けちゃうと窓動かないですから。まして、こういう寒いところなので、木の建具であれば無理すれば開くけども、サッシは溝が細いので結露して氷になっちゃうと窓開かないんです。だから、サッシは怖いので全部木造でやるという。
クレオソートの意外な効果
飯出 木造でやるのも工夫してるじゃないですか。より古く見せようといか、実際は手をかけてるんだけど、古くからあるような感じにしてるでしょ?
佐藤 それはやっぱり国立公園内なので、本当は色を規制されてるわけですよね。ペンキ使うことになると、色々規制されるから。まずは虫が多いので、昔はクレオソート、あの臭いやつ…。
飯出 コールタールみたいなやつですか?
佐藤 えぇ。クレオソートは殺菌力が強いから。それをみんな塗ったんです。クレオソートって黒いんです。
飯出 黒いですよねぇ。昔はコールタールって言いませんでした?
佐藤 あれを薄くしたものです。それでまず虫除けのつもりで、黒く全部つぶしたら古い建物がしっくりしてきたっていう。向かいの建物は橙の学校みたいな色だったので、これもひとつ真っ黒にしちゃおうという。なんか黒くしたら絵になってきたんですよ。そしたら黒川温泉の後藤さんが2~3回来てるんですよね。
飯出 あ、そうなんだ。今の黒川温泉にする前に。
佐藤 まぁ、やり始める頃だったと思うんですけどね。それで、たぶん後藤さんも黒っていうのを意識して黒川でやってたようなんですけども、ここに来たら真っ黒だから「佐藤くん、なんで黒なの?」って聞かれたことあるんです。で、色々話しをしたら、「私も九州で黒でまとめようって言って、良い方向にいってるんだよ」と。だから同じ頃なんですけど、私は意図としてやったんでなくて、防虫を兼ねて一番安いクレオソートをやったんですよ(笑)。
飯出 それが功を奏したわけだ(笑)。でもそれは外観を塗って効果出たけど、それ以降すべてそれに合わせてデザインしてきてるじゃないですか。
佐藤 というのは、ここは国立公園内で修理すると新しいとこ目立つわけですよ。だから修理しても真っ黒にしちゃえばという。黒でつぶしちゃえば、修理したとき、新しいとこもわからなくなっちゃうんで。あぁ、これはいいなと。
▲虫よけ対策で塗ったクレオソートの黒色が功を奏し、情緒ある佇まいに。
電線埋設、自家発電、水力発電も
飯出 電柱も埋設したんでしょ?
佐藤 最初、ここは電気も電話もないとこだったので、電柱はなかったんです。電柱建てるのは最初の50~100mくらいですよ。なので、ここは自家発電なんですけども。
飯出 今も自家発電?
佐藤 この間まで自家発電だったんですけども、機械が寿命きて今休んでるんですよ。今取り替えようか悩んでるとこ。
飯出 この電気は?
佐藤 今、東北電力に切り替えてます。電話がないと商売にならないのでNTTに何度か行ったんですよ、債券買えば7万円とかで電話入るエリアにはなってるけども、現実は県道から3.5kmあるから、今から35年くらい前に「あなたのとこ1軒のためにNTTが300~400万の金かけるわけにはいかないです」って断られたんです。いやぁ困ったなぁと思ってたんですが、その後なんとか掛け合ってNTTが無線電話で良ければ入れますと。でも無線電話で、こっちからも電気必要だったので、電気は利用者負担ですよと言われて。最初5kwの発電機だったんですけども、それだと電話の音が波打つんですね。
飯出 へぇ。
佐藤 いやぁ、これはダメだと思って、水車で1.5kw発電した。で、なんとか通じるようになったんですけども、無線電話って天気が良いと電波が逃げちゃうんですね、バーッと広がっちゃうんです。強い雨降ると、電波が切れて通じないわけです。で、無線電話入れて1年経ったら、NTTで有線にしますからよろしくって来たんですよ。NTTにすごいクレームが入ったらしいんですよね。
飯出 あぁ、お客さんから通じないって(笑)。
佐藤 それで、NTTが音を上げて、有線にさせてくださいって来たわけです。今度、向こうからお願いに来たから、よしっと思って、「地下埋設お願いします!」って。そしたら、「いやぁ、佐藤さん、地下埋設っていくらかかると思います?1mで2万円ですよ」って。3.5kmあるから7000万かかるわけです。電柱建ててもしょうがないかなと。ただ、最後の900mは何としても砂利道だし、埋設したいと。だけどNTTではやれない。「そしたら、どの程度の埋設であれば許可出るんですか?」と聞いたら、まず60cmの下に配管して周りに砂を入れて土かぶせるだけで良いから、あとカーブにマンホール。そしたら、マンホール1つ30万円もするんですね。
飯出 へぇ、マンホール。
佐藤 えぇ。カーブで線がまっすぐいかないので。30万円のマンホール買えるわけないから、どの程度のマンホールって聞いたら、何かあったときにフタ開けてチェックできるようなものっていうから、大きいU字溝買ってきて、両側をモルタルで止めてフタして終わりっていう(笑)。
飯出 それでできた?
佐藤 それで900m埋設して1800万円かかるところを、180万円でうちの方でやったんです。
飯出 10分の1(笑)。
佐藤 で、工事するときも道路掘るときも手間暇かかるから、路肩に土を盛って。そうすれば道路も広げられると。
飯出 なるほど(笑)。じゃあ、電柱じゃなくて電話線なんだ、埋めたのは。
佐藤 それやったんだけども、山の宿(別館)やるときに将来のことを考えて、こっちに引かなければダメなときもあると思うから、山の宿から500mくらいの集水ダムがあるところまで電気、電話全部埋設して山の宿まで持ってきたんです。その後、山の宿に水とお湯を運ぶために埋設しなければダメなんで、そのときに電気屋さんに話して、まず電話線と電線埋めたんです、工事して。
飯出 それ、自分で工事したの?すいぶんお金かかったでしょ?
佐藤 う~ん、だけども水、お湯、電気、電話、全部やって1300万ですよ。1600mあるんですけども。一気にやったから…。
飯出 でも1300万っていったら、大金ですよね。
佐藤 そのときは大変だったんですけども。でもまた後でっていえば金かかるので、懇意にしてる小さい土建屋さんあって、そこに頼み込んで、人件費だけで材料費は全部出して、だから安く上がったんです。これ業者に頼んだら、あと何千万ってかかる工事なんです。
転換点となった通年営業
飯出 冬季も営業するようになったのは何年からでした?
佐藤 平成6年の冬からですね。
飯出 なにか、きっかけでも?
佐藤 平成3年にブナ林を買ったからですね。融資を受けるのに、あそこで何かやらないと融資が受けられなかったから。
飯出 返済するための担保ってこと?
佐藤 ですな。それで山の宿(新館)を3年ほどかけて平成6年春にオープンし、その年の冬も営業したんだけども、最初は山の宿には温泉がなかったので、鶴の湯の風呂に入れるように除雪したんです。そしたら、なんでこっちには泊まれないんだ、こっちに泊まりたいって声が多かったもんで…。
飯出 それで、冬も開くようにしたわけですか?
佐藤 まぁ、せっかく除雪するわけだし、それもそうだなと。で、試しにやってみたら、予想外にお客さんが来るわけですよ。
飯出 これなら商売になるかって(笑)。
佐藤 はい(笑)。冬も商売ができれば、収入も安定して返済のめどもつくかと。
飯出 やっぱり、冬の鶴の湯は格別ですからね。あの雪に埋もれた佇まいや風情、雪見の露天風呂は都会人にはたまらない魅力だから、客が来ないわけがない。
佐藤 県道の分岐からこっちは町道なんだけど、自前で除雪するしかない。それで、除雪車とかそういうものは揃っていたので、やればできる。お客さんが来てくれれば、っていう気持ちはあったから。
▲露天風呂の除雪作業の様子。
飯出 冬の夜のろうそくの演出はどういうきっかけで、いつから始めたんですか?
佐藤 別館(山の宿)建てたときに従業員6~7人はりつけてたんですけど、お客さん来なくて仕事ないわけです。ちょうどその時、神戸の震災があったんです。私、観光協会長なので、雪祭りに合わせて、あのとき犠牲者が最初は4000人ちょっとだったんで、県道沿いに4600本くらい慰霊のためのろうそくを立てようということで、うちの山の宿の従業員で全部板に番号をふって釘1本打って、ろうそく4600本立てさせたんです。その年、道路上にずーっとろうそくがあって、お客さんにも好評だったんですね。で、今も1000~2000本くらいやってます。
飯出 道路沿いに今もやってるんですか?
佐藤 えぇ。夜、雪祭りのときに。で、あれがいいなということで、うちの従業員たちが「お客さんが夜かまくらまで歩いたりしているので街灯代わりにどうかな」って言って。
飯出 すごく良いですよね。
佐藤 お客さんが喜んで写真撮ったりしてるから。
飯出 ますます夜の雰囲気が絵になるし。とても良い雰囲気。いまじゃ冬も変わりなく、いつも満室じゃないですか。
佐藤 はぁ、おかげさまで(笑)。
環境保全のためにブナ林を買収
飯出 この辺のブナ林も買ったんでしょ?何年に?
佐藤 平成3年。買ったのは山の宿周辺の30町部。こっから、先達川の両側。
飯出 国有林ということは払い下げてもらったってこと?
佐藤 向こうは国有林ではないんです。
飯出 個人のものなの?
佐藤 リゾート開発用に大手旅行会社で買ってたんです。あそこをリゾート開発されちゃったらぶち壊しになるから、なんとしてもそれは阻止しないとと思って。私も分からなかったけど、実は高い買い物したんですよね。平成4年から土地保有税がかかったんですよ。土地バブルを抑えるために、土地持っている人に保有税がかかったんです。それは毎年かかる。だからその会社では山買ったけど使い道がないので、平成3年度中に売り払いたかったわけ。
飯出 渡りに船だったんだ。
佐藤 そうですな。私知らないで買ったら、次の月にまるっきり関係ない保有税が年間600万。金のないのにまた600万…。
飯出 それは毎年くるんですか?
佐藤 毎年くる。10年で終わりましたけどね。
飯出 10年間ずーっと600万払ってたの?
佐藤 最初の年は600万で、3年目から400万くらいになったかな。
飯出 だってそれは税金でしょ?ってことは、土地は相当な金額ですよね?
佐藤 2億ちょっと。
飯出 じゃぁ、あそこの川に「鶴の湯橋」ってつけたからって文句言えないね(笑)。
佐藤 今になってみれば「ツアールの森」なんてつけたけども、結局は自分の土地になったんですよ。
飯出 ここは国有林なんですか?
佐藤 ここは全部国有林。1町2反部くらい借りてるんです。
飯出 それは国税として払うわけ?
佐藤 累進課税方式で、売り上げが延びれば借地料も高くなるっていう…。
飯出 いくら払ってるんですか?
佐藤 300~600万。
飯出 はぁ~。でも、それだけ払えるっていうのは、すごい宿になったんですね。
佐藤 そうですな(笑)。
テレビやラジオを置かないわけ
飯出 テレビとかラジオとか置かないっていうのは貫徹したポリシーだけど、何かお客さんは言います?
佐藤 今はほとんどないですね。以前、取材で来たこともあるアナウンサーの三宅民夫さんが紅白の総合司会やったときに、せがれがインターネット使って休憩所にテレビ置いたんですけども、80人くらい泊まってるのに見てる人が数人だけ。これだったらやらない方がいいなと(笑)。
飯出 佐藤さんの思いとしては、現代人はテレビとかラジオがなければ自然に話す空間ができるっていうこと?
佐藤 やっぱり囲炉裏の空間っていうのは微妙な距離なんですよね。お酒注ぐにもちょうど良いし、ほどよい距離で。
飯出 今でも予約で一番先に埋まるのは本陣でしょ?
佐藤 ここですね。
飯出 でも、お値段的には未だに1万円切ってますよね?
佐藤 えぇ。だって金かかってないですもん。
飯出 いやいや、かけてますよ。昔はここに泊まったときには朝起きたときに雪が積もってたことありましたし、すきま風ビュービュー吹いて(笑)。今は、全然寒くなくて快適で驚きました。
▲本陣室内の様子。
大工さんを正社員にして常に補修
飯出 佐藤さんの美的センスというか演出力というか、そういう発想って生まれもったものなんですか?
佐藤 う~ん。たぶんそれは、うちの兄貴2人、親父の左官屋を手伝ってたんですけども、その前に私は小学校の頃から親父について歩いていたんです。色々建築現場見て歩いて、古い農家の家あれば一日そこで遊んで時間つぶしてたんですけども、意図しないでたぶんそういうものを建てるとか直すとか、小さいときに数を見てるんですね。
飯出 あぁ、なるほど。それで身に付いたんですかねぇ。
佐藤 だから兄貴なんかは高校出てから親父から強制されて左官屋やってますけども、あくまでも左官屋なんですよね。で、私は小学校の頃、親父について歩いて、請け負った建物を土台から屋根上がって直すまで、土日ごとに行って見てますから、だから建物造るっていうのはそんな億劫でないんですよね。
飯出 大変と思わないんだ。
佐藤 別に元手がなくてもやれるかなって。普通はこれやるに見積もり取って、1000万とか2000万とかいえば、稼いでからさぁ頼もうってとこだけど、私は自前でやれば半分ちょっとで出来ると思ってるから、請け負いに出さないで大工さんも置いているっていうのはそういうことですね。
飯出 大工さんは大工仕事ないときは何かやるんですか?
佐藤 いやぁ、ないっていうことはない。
飯出 常に大工仕事やってるんだ、あっちでコンコン、こっちでコンコン(笑)。
佐藤 冬になれば窓壊れたりとか。ガラスや工具は全部置いてありますので。
飯出 すごいね。大工はお一人?社員としてるの?
佐藤 えぇ、社員です。
飯出 へぇ~。
水芭蕉群落や遊歩道の整備も
飯出 途中の山の宿手前の水芭蕉群落のところ、あれは完成したんですか?
佐藤 いえ、まだ完成してないです。色々やることがいっぱいあって。今年完成させないとまずいかな。乳頭から高原まで遊歩道できたので。
飯出 遊歩道出来たんですか?林の中通って。
佐藤 全部出来ました。それをつなぐようにうちも造ってるんです。
飯出 高原から乳頭までだいたいどのくらい?4kmくらいある?
佐藤 ありますね。去年完成したんですけど、それに名前をつけて春にオープンしないとまずいかなと。
飯出 それは良いニュースですねぇ。ほとんどブナ林の中を歩くんですよね。乳頭の終点はどこですか?
佐藤 黒湯です。
飯出 休暇村の下の森の中に道があったけど、あの道?
佐藤 そうですね。妙乃湯さん行く橋の手前からきてるんですよ。黒湯から休暇村までもう出来てるので。ブナ林に遊歩道っていうのは、あまりないですからね。
飯出 むしろ今までなかったのが不思議なくらいですよね。乳頭温泉郷といったら、ブナ林ってイメージが強かったので。僕もブナの芽吹きの頃に歩かなくちゃ。
佐藤 そうですね。前は遊歩道って割り砂利だったんですよね。歩いてると割り砂利の小さい石が靴に入って大変なので、割り砂利を敷いた上にウッドチップを重ねていって、そうすると水はけも良いし。
▲ブナ林の遊歩道。
飯出 鶴の湯から蟹場に行く道は整備しないんですか?あれ、なかなか楽しい道ですよね。
佐藤 誰にも言ってないですけど3000万くらいかけてるんですよ、旧道や遊歩道やあちこちに。
飯出 もったいないよね。
佐藤 もったいないと思うんですけど。
飯出 けっこう峠みたいなのもあるし、展望の良いところもあるし。
佐藤 金かけてるけどみんなあまり知らない。県とかでやってると思ってるんですよ。
飯出 あんまり歩かれてないでしょ?もうちょっと歩いてほしいですよね?
佐藤 そうですね。歩けば、面白い道だと思います。田沢湖も見えるし、駒ヶ岳もばーっと見えるし。
飯出 ねぇ。良いコースだなぁと思いましたけどねぇ。
いつかわかるときを信じて
佐藤 私的にはやっぱり鶴の湯って1軒離れているので、できれば歩道をつなげて途中にトイレがあって…。実は別館のところに水洗トイレ造ってあるんですよ。まだ使えないようにしてるんですけど。だから、せがれからすればそういうのは無駄だって思うんでしょうね。
飯出 でも、ここまできちゃうと、次に何かするっていうのは難しいでしょ?
佐藤 う~ん、私的にはもうちょっとやりたい部分あるんですけども。せがれからあと親父やらないでっていわれてる(笑)。
飯出 いやぁ、親父が立派だと、子どもは子どもで大変だと思いますよ。プレッシャーがあるから。どこでもそうだろうけど。
佐藤 なかなかせがれとまともに話す機会がないんですよ。せがれも朝早くて夜遅いから。
飯出 そういう時間がなかなかない?
佐藤 私、インターネット一切触ってないので。
飯出 大ちゃん(息子の大志さん)はやるんですか?
佐藤 えぇ、せがれはホームページ自分でやれるんですけど。だからオヤジは遅れてるんだって頭から言われると、そんなら一切やらない方がいいなと思って。
飯出 ははは(笑)。
佐藤 でも、インターネットって便利ですね。何でもわかりますもんね。
飯出 そうだよねぇ。
佐藤 今、使ってないから。ただ、あるってことが今、評価されることなんですよね。
飯出 まぁ、息子さんにしたら、こういうものは町が造るものだろうって思うだろうね、どう考えても。
佐藤 ですな。ただ、道路を直したりっていうのも、町でやるって言えば、コンクリートになるわけですよ。この山道にコンクリートの擁壁ってなれば面白くないから、町でやる前にうちで(笑)。結局、それが何年か経つと価値が出てくるわけですよ。やっぱり自然の石で石垣が組まれているっていうのは、何年か経って歩き始めると、コンクリートの擁壁がない空間っていうのはすごく貴重になると思うんです。
飯出 それは間違いなくそうですね。それは佐藤さん、息子さんとしっかり話さなきゃダメですね(笑)。佐藤イズムをやっぱり継承してもらわないと。
佐藤 えぇ。でも、なかなか話しづらいですね。頭から否定されると言い合いになっちゃうので。だから、いつかわかるかなっていう。まぁ、私がいなくなってから気がつくと思うんですけど(笑)。
…あとがき…
私の選ぶ温泉宿の総合ベストワンは、数十年前から鶴の湯温泉で不動である。
鶴の湯温泉とも佐藤さんとも長い付き合いになったが、佐藤さんの発想と実行力にはいつも驚かされてきた。
そのエネルギーはどこから湧いてくるのか、このインタビューでそれがわかった気がした。
「やるっきゃない」「一点突破全面展開、行動してこそコトは動く」「失うものはなにもない」…、いわば「開き直りの精神」を規範として突っ走って来られたのではないか、と。
佐藤さんと私は同じ昭和22年生まれの亥年。
猪突猛進などと揶揄されるが、いわゆる団塊の世代のトップとして、そう生きるしか術はなかったようにも思う。
同時代の空気を吸って生きてきた者としての感慨が、そう思わせるのかもしれない。
(公開日:2016年11月23日)
◆カテゴリー:湯守インタビュー