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Vol.25/法師温泉 長寿館・岡村 建

日本を代表する「秘湯の宿」、法師温泉長寿館の若旦那の熱き思いとは?

行き止まりになる狭い山道を抜け出し、法師温泉の一軒宿長寿館の建物が視界に飛び込んできた瞬間、一気にタイムスリップしたかのような異次元の空気感に包まれる。
そんな感覚にとらわれるのは秋田県・鶴の湯温泉と双璧ではないだろうか。
それほど、この温泉宿のインパクトは鮮烈だが、その印象は国の登録有形文化財「法師乃湯」で、さらに増幅される。
と同時に、維持管理の苦心さが想像される。
どんな歴史がこの「秘湯の宿」に刻まれ、そしてこれからも継承されていくのか。
次代を担う若旦那に、その熱い思いを聞いた。

法師温泉 長寿館・岡村 建
岡村 建 (おかむら たけし) /1971 (昭和46) 年、法師温泉長寿館の長男として生まれる。地元の小・中学校を卒業後、群馬県立沼田高校から神奈川県内の大学に進学。大学卒業後は東京のホテルニューオータニに2年間勤務ののち、帰郷して家業に入る。現在、専務取締役。みなかみ町観光協会副理事長、JTB群馬支部理事、雪国観光圏理事、日本秘湯を守る会関東支部副支部長、群馬県旅館ホテル生活衛生同業組合常務理事、みなかみ町観光協会新治地区会長、沼田法人会青年部副会長などを務めている (2020年10月現在)。

 


宿の創業は1875 (明治8) 年

飯出 まず法師温泉の歴史的なことから聞きたいんですけど、法師温泉というのは元々弘法大師が発見したという伝説から法師温泉という名前がついたんですよね?

岡村 はい。言い伝えではそのように聞いています。

飯出 まぁ、弘法大師伝説の一環だと思うんですけど。現実的にはいつくらいからと言われているんですか?

温泉達人・飯出敏夫

岡村 一応、創業は1875 (明治8) 年の本館が建築された時としていますが、『新治村史』によると江戸中期には入浴できる施設があったようで、県への月別の入浴者数の届け出が記録として残っています。

飯出 宿じゃなくて、お湯と湯小屋みたいな感じだったんですかね。

岡村 詳細まではわからないのですが、そうかもしれません。比較的利用は多かったようです。

飯出 で、長寿館としての創業は本館の建設された1875 (明治8) 年で、法師乃湯が1895 (明治28) 年、別館が1940 (昭和15) 年でしたっけ?

岡村 はい。この3つは、国の登録有形文化財です。

法師温泉 長寿館/外観
▲林間の道を抜け出して建物が見えた瞬間、時代がかった旅籠を訪ねた気分に一変する。

 

飯出 前に親父さんにインタビューさせていただいた記事があるんですけど、1978 (昭和53) 年に薫山荘、1988 (昭和63) 年に法隆殿を増築されたんですよね?

岡村 はい、間違いないです。

飯出 それでも、元からのこの建物の雰囲気に合うように造られていますから、違和感ないですね。

岡村 あたりの建物との調和は意識したようですね。

飯出 今、客室は全部で何部屋あるんですか?

岡村 本館6部屋、別館10部屋、薫山荘は比較的大きな部屋が6部屋。法隆殿は通常ルームが10部屋、2階建てのメゾネットタイプの部屋が1部屋の計11部屋。全部で33ルームですね。

飯出 33部屋っていうと、結構大きいですね。

岡村 そうですね、中規模くらいになりますね。

法師温泉 長寿館/外観
▲本館 (右手) から法師川を跨ぐ渡り廊下が、薫山荘 (左手前) と別館 (奥) をつなぐ。

 

国鉄のポスターで一躍全国区に

飯出 昭和の前期、ここは文化人の避暑地的な様相を呈して、著名な文化人がいっぱい来られてますよね。有名なところだと、与謝野鉄幹・晶子、川端康成、河東碧梧桐、直木三十五とかですか、直木賞の。

岡村 直木三十五さんは、誕生日を迎えるごとに「三十一」「三十二」、「三十三」と名前を変えていたみたいですね。そして最終的には「三十五」で落ち着いたようです。

法師温泉 長寿館/河東碧悟洞の書
▲廊下のギャラリーに展示されている河東碧悟洞の書。長寿館のロゴも河東が書いている。

 

飯出 ここのお宿は、何人かの共同でやったって伺ったんですけど。

岡村 昔は4~5軒、今でいう民宿に近い形かもしれませんが、宿の敷地の奥や川の向こう側にあったみたいですね。

飯出 あ、別々にあったんですね。

岡村 はい。

飯出 で、それをまとめて岡村家で引き取ったという?

岡村 多分そうではなくて、何だかの理由で閉めてしまったのではないかと思います。詳細は分かりません。

飯出 長寿館が創業された1875 (明治8) 年は1軒だけなんですかね?

岡村 部屋を整理していたらかなり昔の写真が出てきまして、そこに写っていた武蔵館という宿は少なくとも昭和の初期まではあったみたいです。

飯出 あ、そうなんですか。

岡村 勤続50年超の社員がいまして、その人は武蔵館の事を覚えておりました。

飯出 ここは、三国街道とはちょっと外れてるんですよね?ですけど、ここを通ってる旅人もいたわけでしょ?

岡村 (三国街道は) 国道17号の少し上で、ここは街道からはちょっと外れてますが、峠を越える最後の宿であり、越後側からは峠を越えて一番最初の宿でもあったので、昔から平標山、谷川連峰や三国山を背負った山小屋のような役割も果たしていたようですね。

飯出 なるほどね。

岡村 越後の山越えをして命からがら降りてきた人とか、鋭気を養ってこれから山も越えて越後に向かおうという方も泊まっていたと先代から聞いています。

法師温泉 長寿館/休憩処
▲ロビー脇の一室は囲炉裏のある休憩処。燃える薪を見つめながらのお茶は格別の味だ。

 

飯出 『みなかみ紀行』の若山牧水がここで歌会を開いて、新治村の若者たちが訪ねてきているようなシーンも出てきてますよね。

岡村 そうですね。牧水はかなりの酒飲みだったみたいですね。

飯出 そうですね。酒を酌み交わしながら歌を詠む。まぁ、そういう文化的な香りがする山の宿だったんでしょうね。

岡村 この山奥までよく足を運んできてくれたものだと思います。

飯出 やはり、法師温泉が全国的に一気にブレイクしたのは、国鉄のフルムーンのポスターになってからでしょ?それまでは、そんなにでしょ?

岡村 そうですね。それまでは、知る人ぞ知るぐらいだと思います。

飯出 あれは、1981 (昭和56) 年でしたかね?

岡村 はい。CMをやったとき温泉名は出なかったみたいです。その後2~3年経ってから、あれは群馬県の温泉らしい、群馬のどこかの一軒宿らしい、どうやら法師温泉というところみたいだ・・・と少しずつ世間に知れ渡ったみたいです。

法師温泉 長寿館/国鉄フルムーンのポスター
▲館内に掲示されている、法師温泉を全国区にした旧国鉄のフルムーンポスター。

 

青春を謳歌した高校、大学生時代

飯出 建さんはもう、そのときは生まれてますよね?

岡村 その頃、小学生ですね。1971(昭和46)年生まれで、今年49歳になります。

飯出 それで、建さんはここで生まれたんですか?

岡村 生まれは新潟で、育ちは群馬です。

飯出 父方は、塩沢なんですよね?

岡村 はい、そうです。

飯出 沼田高校卒業で、そのあとは?

岡村 神奈川の大学に進学しました。

法師温泉 長寿館・岡村 建さんと温泉達人・飯出敏夫

飯出 建さんは何をやってたんですか?

岡村 競技スキーやサッカーをやっていました。

飯出 バイク乗り回してたって聞きましたけど?(笑)

岡村 最初は電車で通学してたんですけど、バイク通学がOKでしたのでバイトして400ccのバイクを買いました。それからはバイクで通学したり、勢い余って学校を通り過ぎそのままツーリングに行ったりしていました(笑)。

飯出 横浜とかあちこちバイクで行ったんですか?

岡村 はい。横須賀が好きでよく行きました。海沿いをバイクで走るのは気持ち良かったですね。群馬は海がないので(笑)。

飯出 大学卒業して、一旦就職されるんですか?

岡村 東京のホテルニューオータニで2年くらい勤務しました。

飯出 名門ですね。で、2年勤めて戻られたんですか?

岡村 そうですね。

法師温泉 長寿館/法隆殿の客室
▲もっとも新しい1988(昭和63)年築の法隆殿の客室。他の建物と調和のとれた造り。

 

手を入れたいところは数多くあるが

飯出 お父さんは6代目って聞いてますが、とすると、建さんは7代目になるわけですね?

岡村 はい、そうです。

飯出 まだ、家督は継いでないんですか?

岡村 えぇ。まだ、修業が足りないとみえて(笑)。

飯出 まぁ、そろそろですよね。僕は、長寿館は相当クオリティが高い宿だと思っていて、すでに完成された日本の温泉旅館という感じがするんですけど、建さんとしては手を入れたいところはまだあるんですか?

岡村 えぇ、結構ありますね。法師温泉の最大の売りであるお風呂に少し手を入れたいと考えています。新しくしたいとか機能を加えたいとかというわけではないのですが、湯船とか床で傷んでいる部分があるので、そろそろ補修が必要かなと思っています。

飯出 法師乃湯



岡村 はい。法師乃湯は今年で築125年になるのですが、その補修は新しく作るより難しく、慎重に考えております。昔ながらの風情を残して、余計なことを考えず、しっかりとした材料を使い、今の姿を後世まで残していきたいと思っています。

飯出 あとは?

岡村 建物に関しては、食事処や厨房、ロビーまわりは少し改修を考えています。当館はパブリックスペースが少ないので、ホッとくつろげる空間を整備したいと思います。ただ、基本的にはこの建物の良さを損なわないようにしなければならないので、柱とか床は極力変えず、主に内装だけを変えて機能的にしようと思うのでなかなか難しいです。

法師温泉 長寿館/ロビー
▲玄関に入るとすぐの古色蒼然とした雰囲気のロビーが、旅人を異次元の世界に迎える。

 

飯出 建さんがこちらにお戻りになって、建さん発案で手を入れたところっていうのはあるんですか?玉城乃湯とか?

岡村 玉城乃湯の建築は、帰ってきてすぐくらいですね。当初はどんなお風呂にするか結構悩みました。あれも欲しい、これも欲しいといっぱい足していったんですけど、最終的には広々とした湯船にどっぷりと浸かり、身体を洗う機能だけを残して、他は全て削りました。シンプルで豪快な造りになったのではないでしょうか。

法師温泉 長寿館/玉城乃湯
▲男女交替制の玉城乃湯。女性専用15時~20時と翌7時~10時。男性専用20時~翌7時。

 

飯出 シンプルイズベストですね。玉城乃湯を造るにあたっては、建さんの意向が相当入っているってことですか?

岡村 全体のイメージやデザイン、他には中に鏡がなかったり、ちょっと変わったカランがあったり、あの辺は私でしょうかね。

法師温泉 長寿館/玉城乃湯(露天風呂)
▲玉城乃湯は宿泊客専用。内湯は総檜造り、露天風呂は銘石を配した豪快な造りだ。

 

飯出 今一番、課題に思っていることは何ですか?

岡村 食事処ですね。食事処の下に厨房があるのですが、だいぶ古くなったというのと厨房が半地下にあるんですけど、(作った料理を) ワンフロア上げなきゃいけないんで、手間もかかりますし、料理をタイムリーに出すのがワンテンポ遅れてしまうんですね。

飯出 なるほど。

岡村 まずは美味しい料理を考えるにあたり、建物の構造を改善したいなと思います。次に器や盛り付け、食材や調理方法も研究しなければなりません。

飯出 こちらの板長さんは長いんですか?

岡村 5年くらい前に私の1歳上の若い板長さんに変わり、私と一緒に試行錯誤しています。現在の板長の前に30年間に渡って板長をやってくれた人や、調理人を志す若いスタッフもいます。

飯出 そうでしたか。やはり、料理変わりましたよね。お料理になんか古臭い感じがないですよね。料理は心に残る大事な要素ですから、難しいですよね。名物が一つあると楽ですけどね(笑)。

岡村 そうですね、名物料理は是非とも欲しいですね。それを食べに法師温泉に来てくださる方がいるかもしれませんしね。器も結構気にしていますね。

法師温泉 長寿館/夕食の一例
▲豪華な献立の夕食の一例。食事はプランによって、食事処または客室に用意される。

 

変な進化はしない、させない

飯出 これからの長寿館は建さんのお手並み拝見ですね(笑)。どんな風に進化していくかはとても楽しみですね。

岡村 あんまり変な進化をさせないように、といつも思っています。若く元気な経営者は会社をどんどん変化、進化させていきます。その行動力と向上心はもちろん素晴らしいし、大切なことなんだけれど、僕は少し違った考えを持っています。

飯出 変えたがりますよね。自分の色を出したいというのもあるでしょうしね。

岡村 毎年どんどん変化し続け、ある時フッと振り返ってみたら、昔ながらの姿や長年培ってきた伝統や良さがほとんど残っていない、といったことがしばしばあるように思います。変化をするときは出来るだけ小さく、そして継続的にと考えています。

飯出 なるほどね。

法師温泉 長寿館/外観
法隆殿から見た夕暮れの玄関部分。灯が点ると周囲の闇が深まり、静けさが際立つ。

 

岡村 もちろん向上心を持って少しでも良くしていきたいというのはあるけれども、根っこや幹は動かせませんし、お客さまはそんなの望んでいないと思うし、すべきでもないと。最初、玉城乃湯ができたとき、ついでに法師乃湯にも露天風呂を造りませんか?という提案があったのですが、即答で「いりません」と言いました。

飯出 へぇ、法師乃湯を。

岡村 その当時は、「露天風呂が流行っていてここなら景色良いしお客さんも喜びますよ」って言われて。でも、私は「法師乃湯は今のままで一つの完成形だと思うので、他には何もいらない」と答えました。

飯出 よく建さん、そこで抑えましたね! そんなの造ったら法師乃湯を壊しちゃいますもんね。

岡村 お客さんに怒られちゃいますね。おそらく望んでいるのは機能性とか快適さとかではないと思うんです。露天風呂を一つ付けることで大きく雰囲気が損なわれてしまいます。図面を見慣れてないと「なんか良い感じだなー」と思ってしまう事があるので、気をつけないといけないですね。

飯出 完全に入浴の風景が変わっちゃいますよね。その辺をしっかり持っていただいているのは頼もしいですよ。

法師温泉 長寿館/法師乃湯の入口
▲法師乃湯の入口。浴場内は変わらぬ混浴仕様だが、女性専用時間が設けられている。

 

岡村 私の名前は、建築の「建」と書くんですけど、基本的に建造物が好きだし興味があるし夢を見たりするのが好きなんです。いつも地形を見ながら、林のところを少し平らにして森のテラスとかツリーハウスとか作れるかな?と考えてます。

飯出 ランドスケープというか、自然と法師温泉の建物との調和っていうのは相当大きな意味を持っていると思います。

岡村 建物はどこも風雪に耐えてきて、近くで見ると古臭く感じるかもしれませんが、遠く引いて「写真をパチリと撮ったときに辺りの風景と調和している」というのは、日頃から意識していることかもしれません。

飯出 それは、すごく正解だと思います。

法師温泉 長寿館/外観
▲渡り廊下から眺めた法師川と、長寿乃湯の浴舎 (右) と登録有形文化財の別館 (左)。

 

コロナ禍であらためて思ったこと

飯出 最後に、コロナ被害を受けて特に思ったことはありますか?相当長く休みましたよね?

岡村 1か月半くらい休んでいましたね。この時期に実感したことは、実はこれまで大切にしてきたものとあまり変わらないですね。私は最近まで、たまたまなんですが、いろんな組織で外客誘致 (インバウンド) を担当していました。海外にエージェントセールスに行き、英語でプレゼンしたり旅行博に参加したり、ブロガーを誘致したりしていました。

法師温泉 長寿館/客室
▲別館の客室。眼下に法師川、対岸に長寿乃湯の浴舎と登録有形文化財の本館が見える。

 

飯出 どんな組織に属していたんですか?

岡村 当時はJTB群馬支部のインバウンド部会長、群馬県旅館組合のインバウンド担当、みなかみ町観光協会のインバウンド担当をやっていました。そのときに感じたのは、どんなに海外セールスで外国からの誘客をしても、ただ1つ忘れてはいけないのが「地元の人たちに慕われている宿であるか?」ということだと思いました。近所のおじちゃんが時々風呂に入りに来てくれたり、同級生や役場の人が夏休みに子供が帰省したから一緒にお風呂に入りに行っていいかい?と言ってもらえるような、地域に根ざした宿でなければいけないと思いました。

飯出 なるほどねぇ。

岡村 そのとき、国は外国人観光客4000万人を目指していて外客もぐーっと伸びていた時期で、私も担当だったので誘客はするけれども、地元の人が気兼ねなくお風呂に入りに来れるようにはいつも心がけていました。

法師温泉 長寿館/長寿乃湯
▲かつては女性専用だった長寿乃湯。現在は男性専用時間(15時~20時)も設けた。

 

飯出 コロナ禍前、長寿館には外国人のお客さんはどのくらい来てたんですか?

岡村 宿泊客全体の4~5%くらいですかね。

飯出 そんなに大きな数じゃないですね。

岡村 はい。やはり、この地でお湯が湧いていて、ここで暮らしてきたわけですから、地元の人が風呂に入りに来てくれないようではダメだと思います。インバウンドをやればやるほど、「地元に慕われ、日本国民に愛される宿でありたい。インバウンドはその延長である」と。コロナで海外のお客さんが99%減りましたけど、やはりその思いはさらに強くなりました。

飯出 地元の人が風呂に入りに行きたいと思う宿、子供が帰省したから今からお風呂に入りに行っていいかい?と言ってくれる宿に。いいですねぇ。素晴らしい、深い言葉ですね。

法師温泉 長寿館・岡村 建さんと温泉達人・飯出敏夫

 

…あとがき…

いまから20数年前、法師温泉長寿館の歴史や諸々について、現館主の岡村興太郎氏にインタビューしたことがある。
そのときとまったく変わっていないロビー脇の囲炉裏のある休憩処で、次代を担う若旦那の建氏に話をうかがった。
20数年前のインタビューがそのまま再現しているかのような錯覚にとらわれるほど、建氏は親父さんに見た目も雰囲気もそっくりで、なんだか不思議な感慨にとらわれた。
建氏と親しく話すのは今回が初めてなので、インタビューの内容はかなり真面目な内容に終始した。
氏の「地元の人が風呂に入りに行きたいと思う宿、子供が帰省したから今からお風呂に入りに行っていいかい?」と言って気軽に訪ねてくれる、地元に密着した宿でありたい、という言葉に深い感銘を受けた。
この思いがある限り、法師温泉の在り方にブレは無いにちがいない、と安堵した。
まぁ、奥さまやお子さんの話など、プライベート面に深く切り込めなかったのが、少々心残りではあるが…(笑)。

(公開日:2020年10月18日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

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法師温泉・長寿館/混浴・内湯「法師乃湯」

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