検索

Vol.10/高峰温泉 ランプの宿 高峰温泉・後藤 英男

「自然との共生」をテーマに、超人気の“雲上の湯宿”を育て上げた苦労人

高峰温泉は、長野県と群馬県の県境、標高2000m付近に広がる高峰高原の稜線上に建つ一軒宿だ。
かつては現在地から30分も下った高峰渓谷の源頭に建つ「ランプの宿」だったが、昭和53年 (1978) に火災で焼失。
苦労の末、昭和58年 (1983)、ようやく標高2000m付近の現在地に再建した。
現在は、高山植物の宝庫・高峰高原をはじめとする自然美に恵まれ、四季折々にリピーターが訪れる人気の一軒宿となったが、その苦闘の歩みを知る人はそう多くはない。
「自然との共生」を胸に、訪れる人に驚くほどのサービスを発案・提供する後藤英男さんの、その稀代のアイデアマンの生きざまに迫るインタビュー。

高峰温泉・後藤英男さん

後藤 英男 (ごとう ひでお) /1昭和36年 (1961) 8月、後藤克己・けい子夫妻の長男として生まれる。1歳違いの姉 (京子さん) との2人姉弟。小諸高校2年生のときに宿が全焼したため、卒業後は再建資金を得るために地元の企業に勤務。昭和58年(1983)、家族一丸となって現在地に念願の再建を果たし、高峰温泉の3代目として、予約のとりにくい人気の湯宿に育て上げた。2女の父。現在、小諸旅館ホテル組合長、食品衛生協会小諸支部長、「日本秘湯を守る会」副会長。(2019年1月現在)。

 


「ランプの宿」の苦闘の歩み

飯出 まず、歴史からいうと、後藤さんの曾祖父が明治中頃に開発を手がけ、苦難の末にようやく湯宿を開こうとした矢先、明治35年 (1902) に鉄砲水で壊滅。その遺志を継いだ祖父さん (一さん=はじめさん) が苦闘の末、建物を造り、開業にこぎつけたのが昭和31年 (1956) ということでしたよね。

後藤 そうですね。場所もここから30分ほど下った谷底、高峰渓谷沿いにある「ランプの宿」でした。

飯出 ところが、昭和53年 (1978) の晩秋に火災に遭って焼失してしまう。このとき、後藤さんは何歳ですか?

後藤 高校2年です。

飯出 後藤さんは、何年生まれ?

後藤 昭和36年 (1961) 生まれです。

飯出 若いですねぇ、やっぱり(笑)。そのとき後藤さんは地元の高校生でしょ?

温泉達人・飯出敏夫

後藤 はい。小諸高校に行ってました。できるだけ一番山に近い学校を選んで。

飯出 そこの宿から通ってたんですか?

後藤 はい。

飯出 ということは、後藤さんが22歳くらいのときですね。それまで、どこかに勤めてたんですか?

後藤 佐久のオーディオやテープを作っていたTDKで、三交替の仕事をしてました。少しでも稼がないといけないので。そういう時代だったんですね。

飯出 後藤さんは、お宿を継ぐ気持ちはもうあったんですか?

後藤 当時からありましたね。高校卒業してから手伝うかって話もあったんですけどね。まぁ、火事で焼けちゃったんで、とにかく目処が立つまでは金を稼いでおかないと、ということで。やらなきゃいけない状況でしたね。

飯出 再建するのと同時に、TDKを辞めてすぐ手伝ったんですか?

後藤 そうです。まぁ、TDKにいるときでも手伝ってはいましたからね。

飯出 はぁ。なるほどね。

後藤 まぁ、山でうちの親父(克己さん)が温泉のボーリングをやったもんだから、そんときにいろんなものを運び込んできたりだとか、配管やるときとかは手伝いましたね。

高峰温泉・ランプの宿 高峰温泉/外観
▲高峯山登山道の途中から見た、尾根上に建つ高峰温泉の全景。バックは水の塔山。

 

どんな温泉だったのか?

飯出 下にある温泉を掘り当てたんですか?自噴じゃないんでしょ?

後藤 自噴じゃないです。

飯出 それは、お祖父さん (はじめさん) が掘ったわけ?

後藤 明治の代は、自噴で出ていたみたいなんです。だけど、鉄砲水で流された後、昭和29年のときには祖父さん (はじめさん) がボーリング機械をここに持ってきて、230mくらい掘ったんです。その当時、32度のお湯を加温しなきゃいけないので、あえてそんなお湯で宿をやらなくてもって言われたんですけどね。

飯出 壊滅する前の自噴で出ていた頃は、もっと温度が高かったっていうことですか?

後藤 高かったようで、地元の人が入りに来てたみたいですね。当初は祖父さんもあまりやる気はなかったようですけど、そのお湯を分析した結果、非常に良い温泉だからと小諸の市長さんが推したために、やらざるを得なくなったみたいです。

飯出 そこの土地っていうのは、後藤さんの土地なんですか?

後藤 違います。国有地ですね。

飯出 国有地を借りて開発したってこと?

後藤 そうです。

飯出 (宿があった) 下のほうはそんなにうるさくなかったんですか?

後藤 当時はね。

飯出 まぁ、明治時代ですしね。その後、土石流で一旦埋まった後、お祖父さんがボーリングしてお湯を出したのが2号泉になるわけ?

後藤 1号泉っていうのは祖父さんが掘ったもので、うちの親父が2号泉と3号泉を掘ったんです。

飯出 あぁ、そうなんですか。じゃあ、すでにここに移ってお宿を始めたときは2号泉になってた?

後藤 そうですね。ちょうど天然ガスが出てたもんで、それを取ろうと思って2号泉を掘ったんですけど、2号泉掘ったときは天然ガスが逆に出なかったんですよ。それで、3号泉を掘っているときに井戸を曲げちゃって、それを修正している間、2号泉を使ってたんですね。

高峰温泉/ロビー
▲1階のロビー。天然ガスを使った暖炉 (右) とテーブル席。階段上はランプ型の照明。

 

現在の使用源泉は3号泉

飯出 3号泉っていうのは、お父さんがまた掘ったわけ?

後藤 掘ってはあったんだけど、自噴しないから広げて掘ってたときに井戸を曲げちゃったので、正しい井戸がどこに行ったかわかんなくなっちゃって、それを探すのに20年くらい手間かかったんじゃないかな。

飯出 はぁ。

後藤 3号泉は、大体670mくらい掘りましたね。で、それが仕上がったのが平成16年ですかね。

飯出 それが今使ってるお湯ですか?

後藤 はい、そうです。

飯出 2号泉と3号泉、微妙に泉質違いますよね?

後藤 温度も10℃くらい違うし、硫黄の成分が結構強くなってきているのが今のお湯ですね。

飯出 ですよね。泉質名が含硫黄になってますから。僕が以前取材で来たときは、2号泉で、カルシウム・マグネシウム-炭酸水素塩泉だったですよね。26.2℃でしたよね?

後藤 はい。その頃は源泉と交互入浴すると、えらい冷たいっていう感じでしたね。

飯出 その感じはありましたけど、結構記憶に残るお湯でしたよね。今は本当に、硫黄分が2mm以上含まれている感じですよね。で、炭酸水素塩泉ではなくなってますもんね。

後藤 ええ。

飯出 でも、もちろんそういう要素 (炭酸水素塩泉) も入ってるんだけど、規定値よりはちょっと低いってことだけですもんねぇ。

後藤 はい、ただ入っている湯のあたりは今の方がすごく柔らかくなりました。

飯出 柔らかくなりましたね。

後藤 で、評価も今の方が高くなった。飲泉して飲んでいただくと、すごく便秘症に即効性があったり、糖尿病の方が数値が下がってびっくりされる方がいますからね。

飯出 まぁ、その辺の苦労話を親父さん (克己さん) に聞くと、延々2時間も3時間も終わらないんだけど、やはりここに宿を建てるって相当大変だったみたいですからね。

高峰温泉・雲上の野天風呂(男性)
▲2018年12月に造り替えた2代目「標高2000m 雲上の野天風呂」。少し大きくなった。

 

現在地への再建は昭和58年 (1983)

後藤 当時は、ここに建物を造るにあたって借金しなきゃいけない中で、温泉も水も揚げなきゃいけないってなると、通常建物建てるだけでも大変なのに、さらに別のお金がかかるわけですからね。建物にそんなに費用がかけられなかった、っていうのが正直なところですね。

飯出 ですよねぇ。

後藤 とりあえず、初めの10年営業していた平屋のときは、とにかく営業にこぎつけようってことで。

飯出 平屋の時代、それでも10年やったんですか?

後藤 11年くらいですね。

飯出 そうなんだ。当時僕が働いていた会社の編集部に後藤さんから手紙がきて、高峰温泉を復活したから見に来てくれって、しかも手書きの手紙ですよ。それで、取材に来たんですよね。

後藤 そうですね。覚えてます。何ヵ所も手紙を出したんだけど、来てくれたのは飯出さんだけでしたから。

飯出 それが、後藤さん、まだ相当若かったですよ。ご両親とお姉さん (京子さん) と4人だけでやってましたよね。大変だなぁと思ったけど。平屋のときはトイレがまだボットン便所だったし、臭いでけっこう苦労していましたよね。

高峰温泉/後藤さんご家族
▲左から、父・克己さん、英男さん、実姉の京子さん (この写真は2010年9月の撮影)。

 

後藤 そうですね。それを、ようやく借金も返して平成6年に今の2階建てに建て替えたんですね。

飯出 で、さらに相当進化させたじゃないですか。トイレも全室にウオシュレットのトイレつけたでしょ?

後藤 今から5年前くらいに、けっこうお客さんの電話でも部屋にトイレないか聞かれて、ないって答えるとそれだけで電話ガチャって切られちゃうんですよ。そういう時代がきているのを感じて、押入れを壊してスペースを空けてトイレにしたんですね。

飯出 あ、押入れスペースだったんですね。

後藤 二期に分けてやったんですね。凍結しないかとか、水が足りるかどうかとか。

飯出 平成16年の春に全室が整ったってこと?

後藤 はい、そうですね。

飯出 今、最低の料金は15,000円 (税別) にしましたっけ? 

後藤 14,000円が最低で、14,000円、15,000円、16,000円の3タイプですね。

飯出 まぁ、秘湯の宿でも気持ち高めの宿になりましたよね。

後藤 そうですね。その分、料理を月ごとに季節によってメニューを変えて、レベルアップしていこうということにしました。

飯出 今、何部屋ありますか? 

後藤 部屋数は23部屋です。

飯出 まぁ、いいとこですね。このくらいがね。なかなか多くなると大変だし。

後藤 もっと減らしてもいいくらいですけどね。今、1人のお客さんも増えてきてますから、そこそこ部屋がないとね。

飯出 1人の場合は、プラスいくら?

後藤 1,000円です。

飯出 一人旅も泊めているわけですね。それは、あんまり早くだと1人では予約はできないでしょ?

後藤 大体、ハイシーズンのときは1週間前くらい。空いてればですね。

 

「自然との共生」をテーマに

飯出 後藤さんが専務のとき以来、方針はすべて後藤さんが主導してきてるわけでしょ?自然に親しむような仕掛けとかは。

後藤 えぇ。

飯出 あれは、いつぐらいから始められたものですか?

後藤 最初は送りくらいしかやってなかったんですけど、ガイドを始めようと思ったのは、「日本秘湯を守る会」の岩木さん (※会の創設に尽力した元朝日旅行会の社長) にけっこう怒鳴られましてね。

飯出 あぁ(笑)。

後藤 儲けばっかやってんじゃないよと。せっかくやるんだったら、お客さんの案内くらいしたらどうだと。それで、手始めに冬の間にできそうなことから始めたんですよ。夏は忙しいので手が回らないと困るから。

飯出 あぁ。

後藤 で、冬に、歩くスキーを始めました。

高峰温泉スノーシュー
▲冬季のイベントは、家族連れでも容易に楽しめるスノーシューハイキングが好評だ。

 

飯出 「日本秘湯を守る会」には何年に入会したんですか?

後藤 昭和61年くらいですね。

飯出 入会したら客層ガラッと変わったでしょうね。

後藤 秘湯の会の人たちと、山を求めるお客さんは一致している部分もあるんですね。けっこう秘湯を守る会のスタンプ帳持ちながら、山登りする方も多いです。山登りながら秘湯の宿に泊まるグループの方も昔は相当多かったですね。

飯出 今も、多いでしょ?

後藤 多いですよ。だから、スタンプ帳も昔はお客さんから要望あれば出してたくらいなんですが、最近はスタンプ帳を前に出すことでリビーターになってもらえるようにしてますね。

飯出 僕が最初にここを訪ねたとき、このロケーションならいずれ人気の宿になると思ったけど、あっという間だった(笑)、お客さんの気持ちをつかむサービスっていうのは、高峰温泉以上のところはないですよ。見事ですよ。

後藤 原点は、アンケートとっているってことですね。お客さんが何を望んでいるのかなと。褒められたことは貼っておけば従業員も喜ぶから良いんだけど、一番経営者として見なきゃいけないのは批判ですよね。そういったところに、次に良くなるヒントは隠れてますね。

飯出 サービス、増えましたよね。今、いくつありますか?

後藤 今は、スノーシュー、朝は7時30分から野鳥教室、9時~12時までがハイキング (夏は自然観察会、冬はスノーシュー)、夕方17時~温泉療養講座、夜20時30分~星の観望会ですね。親父の苦労話を聞いてもらう会もあります (笑)。

高峰温泉ハイキング
▲自然観察員のガイド付きで、山や高山植物の解説を聴きながら歩く池の平ハイキング。

 

飯出 まったく、いつ寝てるのかと心配になるくらい、働いてますよね。

後藤 やはり、これを本格的にやろうと思ったのはリーマンショックのときですよね。リーマンショックで売り上げ落としている中で、お客さんに向けて本腰入れて徹底してやってみようじゃないかと。

飯出 ハイキングの参加費はおいくら?

後藤 自然保護協力金として500円、保険入ってない方はプラス300円ですね。

飯出 コースはどんな感じなんですか?

後藤 冬は高峰山に行って、雪がなくなると池の平の方に案内してます。

飯出 高峰山にはスノーシュー履いていくの?

後藤 はい。ちょっとの雪だったらアイゼンとかね。雪の状況によって道具変えますけど。

飯出 黒斑山なんかなかったっけ?

後藤 はい、ありました。今は進化して、秋の紅葉の終わり頃から、池の平ではなくて黒斑山にしちゃいました。その方が、綺麗な縞模様や初冠雪の浅間山を正月前まで観られるんですよ。その後はスノーシューで高峰山、雪がなくなってくると水の塔山に変え、1年かけて固定しないで変えていこうというのをテーマにしています。

飯出 それは、お客さんはここに来て知るわけ?

後藤 ホームページやブログで書いてるんですけど、夕食時にも案内してますね。

飯出 じゃあ、お客さんは来てからの予約で大丈夫なんですね。スキーの貸し出しは今もしてるの?

後藤 えぇ。1日1000円で。スノーシューは無料です。スキーウエア、長靴、帽子、手袋とかも無料でお貸ししてます。

飯出 すごいですね。僕なんかの世代で、子供連れで来てこんなにお金かからないでいろんな自然体験をさせてあげられるのって、ものすごいインパクト強かったんですよ。他にないから。

後藤 けっこう家族連れで、子供に星を見せたいとか自然を体験させたいという方は増えてきましたね。

 

これからの取り組みは?

飯出 今、新しい源泉を掘ろうとしてるって言ってましたよね?

後藤 ちょうど今掘っている井戸の位置に、信州大学と調査して、高温の温泉を掘って灯油がなくてもいいような施設に造り替えようということを、これから10年先に向けてやっていこうとしています。

飯出 確か天然ガスを利用するのに、鉱山の免許を取ったんですよね?加温は灯油でやってるんですか?

後藤 主は灯油なんだけれども、天然ガスも余ってますから、そういうのをボイラーに入れたりして、エネルギーを無駄なく使えるようにしたいんですよね。

飯出 天然ガスだけだと加温の量には間に合わない?

後藤 そうですね、量が足りないですね。温泉熱で確保できれば、1日に灯油でドラム缶1本くらいは浮くはずなんですね。熱源をここで取れるものに変えていくことで、環境も悪くしないで済みますから。

飯出 自然エネルギーに変える目算はあるんですか?

後藤 まぁ、ある程度のお湯が出れば、それによってそこから取れるエネルギーとか、そこから捨てる排熱もあるから、排熱も再利用して取ると無駄なくエネルギーを使うシステムができてくると思うんです。

飯出 鉱山の免許というのは、天然ガスが出たから取らざるを得なくなったんですか?

後藤 親父がこの辺を高峰温泉鉱山として許可を取ったので、一つの鉱区として認められてるんですね。それを管理するには免許が必要で試験を受けました。

飯出 それは、管轄はどこなの?

後藤 経済産業省ですかね。あまりそういうのはよくわかんないんだけど。呼び出されることはよくあるけど(笑)。

飯出 ははは。なるほどね。とりあえず今後の展開は、どういうことを目指しているんですか?

後藤 そうですね。ここ2~3年くらいの間に、客室にトイレ付けたり、全部三重サッシ化が終わったんですよ。

飯出 はぁ、三重サッシ。

高峰温泉/食事処
▲夕食や朝食は、窓外に刻々と変わる山々の景色が美しい食事処「雲表」に用意される。

 

後藤 標高2000mでも、快適性が向上して。あと屋根も二重にする工事をしたんです。しもべ行って、ぬる湯と言うのも面白いっていうので入り方から勉強して、一階のランプの湯はいじろうかと考えてますけど。それで、温泉のあり方をもう一度再構築しながら。今客室でアンケートとってるんですよ。ここの温泉はどういう入り方するとどういう効果が上がるのかというデータですね。

飯出 それは興味深いですね。

後藤 医療現場でも、昔は適応症があって禁忌症があってだったのが、今は禁忌症が先にきて適応症が下の方に押し出されてるように書かれているのはどうかと。温泉の力っていうのは本来そういうものじゃなかったんじゃないかって、思うんですよ。

飯出 はい、確かに。

後藤 保健所からも圧迫受けて、だんだん温泉の権威がなくなっているのを、もう一回数値化してデータをとって、考えてみたいと。もうちょっとで1000データくらいいくと思うんですけど。そうすると、うちの温泉がこういう入り方して、こういう飲み方すると何%の人がこういう効果が上がるとかね。そういうもので、温泉を数値化して世の中にアピールできないかと考えてるんですね。

飯出 なるほど。

後藤 それはそれでやって、あとはここにある自然エネルギーをこれから10年いろんな掘削をします。高峰温泉は、昔は火山として噴火してた谷間なんですよね。そういう火口の中を掘る人なんてそうはいないだろうから、貴重なデータがこれから取れてくるんだろうと。浅間山もこれからどういう方向でいくのかを信州大学と相談しながら進めていくのも楽しみな10年かなと思ってます。それが終わったら、温泉のエネルギーをいろんな使い方ができる時代がくる。そうしたら温泉熱を利用した植物栽培を含めた農業をちょっとやってみようと思ってます。今、植物やると鹿にみんな食われてしまうんで、もう少し先に(笑)。

飯出 鹿はここも出てくるんですか?

後藤 出るんですよ。前に、みんないいように食われてしまったことがありました。そういう意味で、将来的には排熱を有効利用して植物なりそういうものを栽培しながらやっていきたいなと。鹿も人間の知恵で入ったら最後出られないようにして、それで牧場みたいにしちゃって好きなときに鹿をくすねに行って、美味しいところを食べるというそういう形で…(笑)。

 

水へのこだわりと創成水

飯出 後藤さんの信条として、水にすごくこだわってるでしょ?で、行き着いたのが創生水っていってるじゃない?創生水っていうのは、工場でつくられる水でしょ?

後藤 工場じゃなくて、機械があって。そこに水を通すと洗浄力のある水に変えちゃうんですよ。機械なので、家庭でも設置できます。

飯出 高峰温泉は、その機械を購入して、それで創生水をつくってるわけ?

後藤 そうです。

飯出 目からウロコのような感じで出会ったんですか?

後藤 まぁ、目からウロコっていうか、一番は塩素系の洗剤で洗うと手がガサガサしてくるし、そういう洗剤で洗ったお皿で食べてると体調もあんまり良くないから。一時、塩素中毒になったことがあるんですよ。

飯出 後藤さんが?

後藤 そうそう。風呂の消毒やってて。やっぱり塩素と身体が合わないんで、だから塩素を使わないような身体に良いものを使いたいと思って、10年くらいになりますかね。

飯出 今もシャンプーとかリンス、石鹸とか置いてないですよね。お客さんの反応はどうなんですか?

後藤 今になると環境への対応は評価が上がっているから良いんですけど、始めた当時はひどかったですよね。

飯出 シャンプー、リンスくらい置けとか。

後藤 そういうのもありましたね。今はそういうのは無くなりましたけど。周りの理解が多くなってきたというのを感じます。

高峰温泉/「創生水」の機械
▲石鹸やシャンプー&リンスを排し、環境保護を第一義に「創生水」を作る機械を導入。

 

飯出 そういう創生水をつくる機械を売ってるメーカーがあるわけね?

後藤 えぇ。たまたま、地元の上田にあるんですよ。

飯出 あぁ、上田にあるの。

後藤 それも、たまたま知ったのは動物病院の先生で。動物は嗅覚が鋭いじゃないですか。洗剤で洗ったものより、創生水で洗ったほうが動物たちも安心して寄って来るということで取り入れていたんですよ。当時はうちの子供たち小さかったので、調理場の隅に創生水の機械を取り付けさせてもらって、水槽にして、裸ん坊にした子供の身体洗って本当に落ちているか試してみたり、洗濯して大丈夫かやってみたりして。で、これならなんとかなるなぁと。

飯出 ほぉ。 

後藤 面白いのは、マイシャンプーを持ってくるようなこだわっている人の方が、創生水で落ちると実感したというお声がありますね。

飯出 高峰温泉では定着したって感じですかね。

後藤 そうですね。日本で入れてるのはうちくらいしかないですけどね(笑)。

飯出 そうでしょうね。見たことないですもん、他で。

後藤 広がらないんですよ(笑)。創生水使い始めて、5年くらいした後、地元の田んぼで近年ドジョウが急に増えたって話があって。うち1軒の排水だけでも下にも影響あるのかなって感じましたね。

飯出 そうなんですか。ところで、三重サッシにして、下界と変わらないとなると、高峰温泉らしさは無くなっていかない?

後藤 ただ、シンプルで、それ以上のことはあんまりしないです。寒いところに来て寒いっていうのは外までであって、中に入ったときには快適に過ごせるっていう形が大事かなと思ってます。それに、年とってくるとね、実は私の部屋が一番寒かったんですよ~。それが、実はなんとか変えたいと思ったのがきっかけなんですけどね(笑)。

飯出 今、この暖房は何の暖房?

後藤 今、暖房は入れてないです。自然の日差しだけで暖かいんですよ。

飯出 床暖房もあるの?

後藤 今は入れてないけど、ありますよ。灯油で普通の水を回してます。最終的にはその熱エネルギーを床暖房にも活用できればと思ってますけどね。

高峰温泉/雪上車
▲冬季は、路線バスの終点となるアサマ2000スキー場から約15分かけて雪上車で送迎。

 

新源泉の開発計画

飯出 今度、新しいのを掘ると4号泉になるわけ?

後藤 そうです。

飯出 4号泉の見通しはどんな感じなんですか?

後藤 ここしかないだろうってことで掘りますからね。

飯出 それはもう見つかったんですか?

後藤 まぁ、一応ね。信州大学や温泉専門家と地下探査もやったりしてね。

飯出 あとは、実行あるのみですか?

高峰温泉・後藤英男さんと温泉達人・飯出敏夫

後藤 えぇ、掘るのみですね。本当はもっと早く掘りたかったんだけど。

飯出 競合がどうのという問題もないし、他の温泉にも悪影響与える場所ではないですからね。

後藤 そうですね、他の宿は離れてるから同意書は不要です。ただ、一番は自分のところで墓穴を掘らないようにしないと。新しいところ掘って、今の井戸が止まっちゃったら困るから(笑)。

飯出 今使ってるのは、3号泉のみなんでしょ?3号泉のみで、どれくらいの湧出量があるんですか?

後藤 今、毎分60リットルくらいしか揚げてないですね。そのくらいで十分なので。

飯出 基本、全部、加温かけ流しでしょ?

後藤 はい。

飯出 まぁ、源泉浴槽もあるけど。高峰温泉に来るお客さんは温泉目的と高峰高原を含めたトータル的なものを満喫したい目的と、どっちが多い感じなんですかね?

後藤 そうですね、ちょっと前は山目的の人が多かったですね。野天風呂造ってからは、それを楽しみの一つに来る人も多くなったような気がします。温泉目的は3割くらいですかね。

高峰温泉/内湯(女湯)
▲2階にある宿泊客専用の男女別の内湯。左右対称の造りで、写真は女湯「四季の湯」。

 

永年の夢だった野天風呂

飯出 泊まらないと野天風呂は入れないですからね。野天風呂造るのに10年くらいかかったんですよね。

後藤 たまたま縁があって群馬県側に行ったときに、ここは厳しくてできそうもないよって話は受けたんだけど、なんとか出来る方法があるんじゃないかと思って行ったら、私の熱意に負けて、その担当者が最終的に許可が取れるようにベースを考えてくれて、それがあったから進められたんですよね。ただ、結局、群馬県側にはできなくて、長野県側だけで最終的には進めたんですけど。

飯出 最初に作った設計図は、作りかえさせられたんですよね?

後藤 それもねぇ…。最終的には標高差で10m以上あると、平面図ではその長さでも斜面があるから実測図で2mずつズレちゃうんですよ。そうすると絶対数字が合わないんです。それを営林署に説明したんだけど、ダメでね。始末書でもいくらでも書いて、誰かが嫌な役を引き受けないと示しつかないんですよね。嫌な役、引き受けてやったけれども。で、業者に頼まず、基礎も削岩機で自分で削って落として、重量ブロック積み直して鉄筋入れて、組み上げて、そのときに配管も全部変えたんですよ。設備屋さんとかって見た目に綺麗な配管するけど、本当にこういう寒いところの配管って考えてないんですよね。

飯出 そうなんですか。

後藤 エネルギーのロスないように、単純明快でわかりやすい配管にしないと。山の上は、雷で温度サーモもやられちゃうから、電気使わないバネで今組んであるんですよ。

飯出 野天風呂?

後藤 野天風呂です。雷受けても温度はいつでも一定になるようにして。よく紅葉の時期とかは野天風呂にすくい網置くじゃないですか、あれがタヌキたちにみんな持っていかれちゃうんですよ。

高峰温泉・後藤英男さん

飯出 えーっ、すくい網をタヌキが持って行っちゃうんですか?(笑)

後藤 なんか、なくなっちゃうんですよ。しょうがないから、浴槽の角度を調整して落葉松の葉がきれいに流れ落ちる高さに変えて、自然の摂理に逆らわないようにしたのが最終的な今のお風呂なんですよ。

飯出 へぇ、そっかぁ。

後藤 失敗してもいいから、何を学んで次に繋げていくかってことを考えると、まぁ、営林署で怒られたのも頭にはくるけど、だけどそこから次にいい方向に変えていければいいのかなっていう。

飯出 はぁ、粘り強いですねぇ。

後藤 そうですかね。

高峰温泉・雲上の野天風呂(女性)
▲春はシャクナゲの花が美しい女湯「標高2000m 雲上の野天風呂」。正面は池の平方面。

 

飯出 ところで、今、スタッフは何人ですか?

後藤 今は、14~15人くらいです。

飯出 結婚されたお姉さん (京子さん) も手伝いに来てるの?

後藤 はい。今は人出不足が懸案ですから助かってますね。今日は休みですけど。

飯出 女将さん (真弓さん) は子供たちと小諸市内の家に住んでいて、後藤さんは基本的にはここに住み込みなんでしょ?

後藤 はい、まだ娘2人は学校に行ってますし、ここから通学するのはちょっと無理なものですから。

 

ロボット採用も視野に

飯出 宿泊業界も人出不足が深刻なようですけど、なにか対策は考えていますか?

後藤 もうすぐ人がロボットに変わられる時代がきちゃうから、それも視野に入れています。

飯出 ロボット?人手不足の切り札にですか?

後藤 そうですね。人手不足はどこも深刻ですから。今、廊下はルンバで掃除させてるんですけど、次は硫化水素にいかにロボットがやられないようにするかが課題で、硫化水素抜きを自分で考えてやって、試験的に置いてるんです。それで、ロボットの寿命を少しでも伸ばしてあげないと(笑)。今、ルンバがどこまで壊れないか、耐久実験をしてるんですよ。

飯出 なるほど。それも後藤さんらしい、将来を見据えた実験ですね。でもねぇ、仕事熱心なのはわかるけど、小諸市内で暮らしている奥さん (真弓さん) と2人の子供さんに忘れられないよう、顔を見せに、ちょくちょく街に下ってくださいよ (笑)。

後藤 はい、肝に銘じておきます!(笑)

高峰温泉 後藤英男さんと温泉達人 飯出敏夫

 

…あとがき…

高峰温泉の初訪は現在地に再建した直後だったから、昭和58年 (1983) かその翌年、いまから36年ほど前になる。
それからすぐに人気の宿になったが、その要因は標高2000mの抜群のロケーションと魅力的な温泉、そしてなにより後藤さんの発案するサービスによるところが大きい。
春から秋の自然観察会、冬はスキーやスノーシュー、夜は星空観望会 (星が見えない日はスライド上映) や温泉療養講座など、現在は少額の参加費が必要のものもあるが、当初はすべて無料サービスだった。
このサービスは子供連れには大変ありがたく、また温泉仲間や大学の先輩たちを引き連れて、一番多く足を運ぶ湯宿になった。
それはやはり、「自然との共生」をテーマにした後藤さんの確固とした信念と努力が実を結んだということだろう。
しかし、その働きぶりを見るにつけ、いったいこの人はいつ寝ているんだろうと心配になる。
そろそろ健康にも留意する年齢になったということ、それを自覚していただきたいと思う。

(公開日:2019年2月2日)

◆カテゴリー:湯守インタビュー


 

▼【高峰温泉】詳細はこちら

高峰温泉(男湯露天風呂)

5

関連記事

先頭へ戻る